包摂と介在物

先日「こども食堂3」で、多様性に配慮して共に生きることをインクルージョン(inclusion)と言い、包摂や配慮と訳すことを紹介しました。これを読んだ知人から、次のような指摘が届きました。

昔、鉄鋼会社での私の仕事は、溶けた鉄を固めることでした。そこで出てきたのが「Inclusion」です。「介在物」と訳されていて、主に酸化物で不純物です。介在物があると健全な固体の鉄とはならず、鉄板にした時に割れの起点になったりする厄介物でした。いかに介在物を除去するかが、大きな課題でした。
「所変われば品代わる」で、ここでは「配慮」になるのですね。

インドに日本のカレー店

6月6日の読売新聞「日本の味 アジア開拓…大手飲食業 商品開発 現地好みに」が載っていました。

・・・日本の大手飲食チェーンが海外で新たな市場の開拓を進めている。インドなど日本食レストランの「空白地」だった国のほか、大都市郊外や地方への出店が目立つ。日本食ブームの拡大が追い風となっているが、現地の好みに合った商品開発などきめ細かな対応が成否のカギを握っている・・・

・・・インド・デリー郊外グルグラム。IT企業や多国籍企業の高層ビルが並び、急成長を遂げるインド経済を象徴する場として知られる。
日本のカレー専門店チェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」のインド1号店がここにオープンしたのは2020年8月で、「カレーの本場・インドに日本風カレーの専門店ができる」と注目を集めた。日本人駐在員に連れられたインド人スタッフが知人を連れて来店するなど次第に定着し、最も人気のメニューは「チキンカツカレー」(475ルピー=約800円)という。店員のマーシュ・マックスウェルさんは「この店では辛さやトッピングが調整できる。インドの飲食店ではこうした仕組みはないので面白いですね」と話す。
インドでは日本で牛丼店「すき家」を運営するゼンショーホールディングス(HD)も店舗を展開している。牛肉を食べないヒンズー教徒に配慮して、鶏肉や野菜などを使った丼もののメニューを中心に据える。
インドは巨大市場ながら、「自国の食べ物を好む人が多く、保守的な傾向が強い」(飲食業界関係者)とされる。それでも日本食レストランの数は徐々に増え、日本貿易振興機構(ジェトロ)によると21年6月時点で約130店となった・・・

連載「公共を創る」第121回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第121回「行政・官僚への不信ーその内実」が、発行されました。

国民の政治への信頼感、今回は行政への信頼について議論します。かつて高い評価を得ていた行政と官僚が、近年評判を落としました。
現在の官僚への信頼低下の原因には三つの次元があると、私は説明しています。

その1は、倫理違反の問題です。破廉恥行為や汚職などです。特に幹部公務員の不祥事は目立ち、国民の信頼を損ねます。清廉といわれた官僚なのに、一部とはいえ汚職をしたり常識を超えた接待を受けたりしていることが明らかになり、信頼を下げました。「官僚バッシング」「公務員たたき」という現象も生みました。セクハラや勤務外の醜聞も報道され、官僚全体への信頼は低下しました。
これは個人の規律の問題です。

その2は、事務処理の失敗と政策の失敗です。前者は統計偽装や決裁文書の書き換えなど、求められた品質を満たす仕事をしていないことが次々と判明したことです。後者はうまくいかなかった産業振興や、無駄といわれる建設事業などが批判されたことです。安全と主張していた原発が大事故を起こしたことも、その一つでしょう。これは職場の問題と言えるでしょう。

その3は、国民の期待に応えていないことです。日本経済の停滞、社会の不安という現代日本の大きな課題を解決できていません。これまで通りに公共サービスやインフラ整備を進めても、個別の産業を振興しても、国民の不満に応えられないのです。それは、新しい社会の課題を拾い上げていないこととともに、新しい社会像を提示できず、政策・予算・人員をそれらに再配置できていないことです。社会の変化についていけず、自ら変化できないのです。これは官僚機構全体の機能不全の問題です。
その1とその2も大きな問題ですが、ここではその3について取り上げます。

感染症対策の科学と政治

6月9日の朝日新聞、飯島渉・青山学院大教授の「中国が続ける「ゼロコロナ」政策の教訓は」から。

――中国が続けてきた政策は妥当でしょうか。
「02年から03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行が、医療・衛生行政の改革のきっかけになりました。経済成長の果実を使いながら、医療保険制度の改革を行いました。現在の対策を見ると、社会主義の下での大衆動員による医療・衛生行政との連続性も垣間見えます」
「感染症対策を決定するのは科学であると同時に、むしろそれ以上に政治、文化や社会であることを痛感します。中国では、政治文化としての介入的で、動員的なモデルからの離脱が難しい。ただ、いずこの国も臨機応変な政策転換は容易ではありません」

――中国の現状から、日本や世界各国がくみ取れる教訓は何でしょうか。
「中国の対策の特徴は、『社区』や『小区』と呼ばれる居住単位を基盤とした厳しい行動規制、情報通信技術(ICT)を駆使した住民管理、それを実現しうる共産党の組織力、物資や医療人材を集中させられる経済力です。同時にロックダウンのコストは膨大で、継続は難しい」
「一方、そのあり方は近未来的でもあり、さまざまな健康情報の集約も含め、過度に情報が一元化されています。その方が効率的だという誘惑にかられるのですが、個人の生活において、常に自分の情報をめぐって防疫との『取引』をしなければいけない世界だといえます」
「中国の感染症対策におけるICTの活用は、デジタル化した社会での個人の生活のあり方を考えるきっかけを提供しています。ポストコロナを見据えながら、その過程をていねいに検証する必要があるでしょう」

よい単語を探す

このホームページを書いたり、原稿を書いたりするときに、良い単語が浮かばなくて難儀することがあります。

例えば読んだ本を紹介する際に、「面白い」とか「興味深い」と書きたくなるのですが、これでは紹介になりませんよね。漫画のように笑えるのか、小説のように引き込まれるのか、学術論文のように分析が鋭いのか。
「面白い」という表現は、話し言葉ではよく使います。分かりやすいのですが、多義的で、思っていることが正確に伝わらないのです。他に適切な言葉がないか知恵を絞り、なかなか出てこなくて、自分の語彙の貧弱さを嘆きます。
学者や小説家、記者さんたちも、毎日、私と同じように悩んでいるのでしょうね。そこに、力量が表れるのでしょう。

この文脈とは少し異なりますが、「環境」もよく使いつつ、多義的なので困ります。「環境」と聞くと、環境省に代表されるような自然環境を思い浮かべます。しかし、それに限らず、仕事をする条件(労働環境)、住居のある空間(住環境)などのように、取り巻く条件やおかれた空間を指し示す場合もあります。これは日本語に限らず、英語にあっても、一つの単語がたくさんの意味を持つ場合があります。
ところで、「自由」は、日本古来では勝手気ままを意味し、西洋語を翻訳する際に拘束を受けず自らの責任で行動する意味を持たせたようです。