連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第100回「通念と生活の「ずれ」ー顕在化した不安」が、発行されました。社会を支える民間のうち、企業や非営利団体の活動を説明したので、もう一つの要素である個人の意識を説明します。
同じような自然環境や地理的条件にあっても、関係資本や文化資本が違うと、国や地域で発展の違いが生まれます。「この国のかたち」が異なるのです。民主主義を輸入しても、刑法を輸入しても、それだけでは機能しません。国民がそれを受け入れ、運用しないと、絵に描いた餅になるのです。「集団主義」と呼ばれる日本国民の通念と慣習は、発展途上時代にはとてもよく機能しました。しかし、成熟社会になって、その通念と慣習が逆機能を生んでいます。
これで、第100回を迎えました。2019年4月25日からですから、2年半ですね。よく続いたものです。当初は、1年半ほど続くかなと思っていたのですが。こんなに続きました。この間、一度も原稿締めきりに遅れなかったことが自慢です。
事実の確認をしてくれた同僚、作図をしてくれた知人。そしてなんと言っても、毎回、原稿に目を通し鋭い指摘をして、真っ赤にしてくれる右筆たちに感謝です。さらにその原稿の誤りなどを指摘してくださる校閲さんには、頭が上がりません。
第4章2までたどり着いたので、もう少しで完結です。