梅棹忠夫著・中牧弘允編著『梅棹忠夫の日本の宗教』(2020年、淡交社)を読みました。梅棹先生が亡くなられてから、10年が経ちます。この本は、少々複雑な方法で、できたようです。出版社の紹介には、次のようにあります。
・・・淡交社が昭和44年より刊行した「世界の宗教」シリーズの掉尾12巻は、梅棹忠夫著「日本人の宗教」を予定するも、刊行が叶いませんでした。本書では、梅棹資料室に残されている、執筆のメモ書きに相当する「こざね」約350手掛かりに、氏がどういう話を展開しようとしていたのか、中牧弘允氏が推理しました。本稿を中心に、日本宗教に関する梅棹氏の論考・対談を集めて、幻の「世界の宗教」第12巻「日本人の宗教」を、生誕100年(没後10年)を機に刊行します・・・
中牧先生のおかげで、梅棹先生がどのような視点で、どのような項目を立てておられたかが再現されています。それを見ると、梅棹先生らしい視野の広い研究で、本にならなかったことがとても残念です。
私は、これまでの思想や宗教論が、知識人、提供者側の議論であって、受け手である庶民の視点が抜けていることに不満を持っています。「日本の思想史」「エリート文化と民衆文化」
梅棹先生は、「メーカーの論理とユーザーの論理」と指摘されます。そして、ユーザーの立場から、日本の宗教状況を議論する予定だったようです。「宗教状況」という言葉が、ユーザーからの議論になっています。私の言いたいのは、まさにこれです。
この項続く。