対立する立場の調整、トリチウム水の処理

先日紹介した、朝日新聞社の月刊誌『ジャーナリズム』2月号に、安東量子・NPO法人福島ダイアログ理事長の「「結果オーライ」への道筋を探る トリチウム水の海洋放出問題」が載っています。
表題だけでは何のことか分かりませんが、政治学として勉強になることが書かれています。詳しくは原文を読んでいただくとして、少しだけ紹介します。

タンクにたまり続けているトリチウム水の扱いについてです。
原子力規制委員会の委員長(現任者と前任者)は、ほかの原発でも規制の範囲内で海洋放出しているので、福島第一原発でも規制の範囲内で海洋放出することが、現実的で唯一の選択肢だと発言しておられます。このままタンクに貯め続けることは、敷地の関係で不可能ですし、タンクに貯めておくことの方が危険でもあります。

他方で、漁業関係者からは、海洋放出によって風評被害が出るので、反対であるとの主張がされています。その際に、「風評被害が出る覚悟はしている。被害を最小限にする方法を考える必要がある」や「科学的な見解は理解できるが、了解はできない」という発言もあります。

安東さんは、概略次のように指摘します。
「希釈して海洋放出するのが現実的で唯一の選択肢だ」という原理原則にとってつけたように、「丁寧な説明を行って正しい情報と知識を理解してもらう」という文言が付け加えられることもあるが、具体的になにをどうするつもりなのか語られることはない。
だが、これはそれほど有効な解決策なのだろうか。政府による丁寧な説明の結果、全員が政府の見解は問題ないと同意してくれるなどということがあり得るのだろうか。あり得そうな話には思えない。なぜならば、それぞれの置かれた状況によって利害が決定的に異なってくるからだ。
この項続く

祝330万番

今日2月24日に、訪問者が330万人を超えました。
2002年にこのホームページを作ってから18年、2019年9月15日に320万番を達成してから5か月半です。良く続きましたねえ。
いつものことながら、つまらない記事にお付き合いいただき、ありがとうございます。仕事に悩んでいる後輩たちに、少しでも参考になれば、うれしいです。

「毎日、よく書くことがありますね」「いつ書いているのですか」との質問を頂きます。
思いついたことを書き留めておき、また新聞記事などで気になったものを切っておきます。それを、休日や早朝に文章にします。未完成のメモも、パソコンにたくさん残っています。
かつては、酔って夜に書くことも多く、翌朝読んで削除することもありました。危ないので、最近は止めるようにしました。
「同じようなことを書いていますね」との批判もありますが、それはご容赦ください。

職場勤めの教科書を目指して書いた「明るい公務員講座」シリーズも、着実に売れているようです。こちらも、ありがとうございます。
4月には、新しい職員が入ってきます。職場を変わる人も多いでしょう。悩んだときに、あるいは悩む前に、読んで参考にしてもらうとうれしいです。

福島、国と地方の協議の場

今日は、天皇誕生日の振替休日。福島市で「原子力災害からの福島復興再生協議会」を開きました。国と地方とが、復興について意見交換する場です。法律に定めてあるので、「法定協議会」と略称しています。
福島からは知事や市町村長が、国からは復興大臣、経産大臣、環境大臣ほかが出席しました。国会開会中に、この人たちの日程を合わせようとすると、休日になることが多いのです。

大臣が、福島に出かけて意見交換することに、意義があります。今回で、20回になります。定期的に開くことで、関係者がそれぞれの考えや課題を述べ、実行できたことを報告します。
原発被災地の復興は、そう簡単には進ません。しかし、意見を交換することで、齟齬のない施策が立案実行できます。

管理職、中間管理職、職員の区分、3

管理職、中間管理職、職員の区分、2」の続きです。

会社の中に「身分」「階級」をつくらない。これが、戦後日本の民主主義や平等意識の反映であったと、小熊英二著『日本社会のしくみ』は指摘しています。
確かにそれは、採用時に、管理職と職員を分けない平等をもたらしました。しかし、そこに、管理職と職員の仕事のあいまいさが生まれました。

実際は、管理職になることができる者とできない者は、区分されていました。大卒、高卒、中卒という差(上級職、中級職、初級職の区分)で区分を作り、またコース別管理という形で区別しました。
上級職は、学歴と、早い昇進で、管理職になります。ただし、先にも指摘しましたが、平職員から出発して、管理職に昇進する過程で、管理職教育がきちんと行われていないのです。

かつて、全体の学歴が低かった時代は、大卒それも偏差値の高い大学卒というだけで、部下がついてきました。
お手本があって、それをまねる場合。前例通りで仕事を処理できる場合。本社から指示が来て、それを実行すれば良い場合などは、現場でたたき上げてきた管理職でも勤まりました。
しかし、その組織の進むべき方向を決めたり、新しい仕事の目標と期限を決めたりする場合には、現場経験だけではできないのです。

管理職教育がなされていないことの背景には、職員すべてにおいて、職務内容が不明確なこと、明示的に指示されない風土があります。
あなたは異動した際に、あるいは採用されたときに、その席で1年間になにをするべきかを、上司から文書で指示されたことがありますか。私はありませんでした。前任者から、簡単な引き継ぎを受けただけという人が、多いのではないでしょうか。
大部屋でみんな一緒に働く、係ごとで仕事を処理する場合は、このようなあいまいな方法でも処理できました。いえ、この方が、うまく処理できたのです。
この項続く

新たな階級区分、イギリス。その2

新たな階級区分、イギリス」の続きです。

階級とは、客観的に存在するものではありません。人が、他人とは違うと意識することによって生まれます。そして、1人が意識するのではなく、その社会の多くの人が同様に意識することによって定着します。その「違い」が何か。見る人によって、階級の定義は異なります。
盛山和夫先生の『社会学とは何か』(2011年、ミネルヴァ書房)の、あとがきを思い出しました。先生は卒論で「階級とは何か」に取り組み、挫折します。「階級概念をどう定義すべきか」という問が解けなかったのです。その理由は、階級は客観的に実存しているのではなく、理念としてつくられたものだったからです。

日本では、明治維新で士農工商の身分が廃止されました。戦後改革で華族制度廃止、財閥解体、農地解放が行われ、身分区別がなくなり、また大金持ちがいなくなりました。さらに、経済成長を通じて平等化がすすみ、「一億総中流」と言われる、世界でも希な平等社会が実現しました。
かつてのような、生まれによる階級は薄くなりました。努力すれば、収入や社会的地位を得ることができます。

それでは、階級はなくなったのか。いえ、依然として存在します。上流、中流、下流という区分を、私たちも使います。さらに、近年では、格差拡大が大きな問題になっています。階級の元祖である経済的格差が、復活しているのです。
その元になるのは、
・高学歴を目指すことができるか(各人の努力の前に、家庭の事情で塾や有名進学校に行けるかどうか、出発点において差が出ています)
・職が正規化非正規か(労働者と経営者の対立より、こちらの差の方が実質的になりました)
などでしょう。