日本酒はおいしい

昨日、帰国して、今日から仕事。夜の異業種交流会も再開。
実は昨日も、とても珍しい会にお呼びがあったのですが、さすがにお断りしました。

で、久しぶりに日本酒を飲みました。もちろん、福島のお酒です。
ワインも、チェコのビールもおいしいですが、日本料理に日本酒は良いですねえ。

東電原発事故、防げた可能性

5月19日の読売新聞、科学面「福島第一事故 防げた可能性…事故調」から。
・・・原子力発電所のテロ対策は、2001年9月に米国で起きた同時テロをきっかけに世界各地で強化された。しかし、日本は対応が遅れ、福島第一原発事故後の13年7月施行の新規制基準で、ようやくテロ対策施設の設置が義務付けられた。
米原子力規制委員会(NRC)は02年2月、米国の原子力事業者に対し、航空機の衝突や全電源喪失などへの対策を講じるよう求めた。これらの措置は、NRCの命令の項目名から「B5b」と呼ばれている。

福島第一原発事故についての国会事故調査委員会の報告書によると、当時の日本の規制機関「原子力安全・保安院」は、NRCからテロ対策強化の情報を得ていたものの、電力各社には伝えなかった。
報告書は保安院について、「海外からの知見の導入に対して消極的だった」と批判したうえで、「機微情報に配慮しつつ、必要な部分を電気事業者に伝え、対策を要求していれば、(福島第一原発)事故は防げた可能性がある」と指摘した。
元NRC委員長のニルス・ディアズ氏は11年10月の国際シンポジウムで、福島第一原発事故について、「もし日本でB5b型の安全性強化策を効果的かつタイムリーに実施していれば、事態は軽減されていたであろう」と述べた・・・

2019年中欧旅行

5月15日から22日まで、キョーコさんのお供をして、ヨーロッパに行ってきました。
今回は、ブダペスト(ハンガリー)、ウイーン(オーストリア)、プラハ(チェコ)の3都市巡り。中欧旅行の定番です。途中、ブラチスラバ(スロバキア)と、チェスキー・クルムロフ(チェコ)にも立ち寄りました。

それぞれに歴史を感じさせる、きれいな都市です。どこも、大勢の観光客でごった返していました。土産物屋さんもたくさんあって、賑わっています。
歴史、きれいな街並みは、大きな財産ですね。京都と同じです。たくさんの観光客に来てもらう、よい思い出を持って帰ってもらう、そしてお金を落としてもらう。そのために、これら先輩都市に学ぶことは多いです。

去年のフランス旅行に続く、「罪滅ぼしの旅」です。都合で、この時期になりました。
JTBのパック旅行を、利用しました。よくできた行程で、添乗員さんもよい人で、楽しんできました。一人では、こんなに効率よく回ることはできません。
ところで、休日でない日に休むことは、どうも落ち着かなくていけません(苦笑)。
この間もご覧いただいたように、ホームページを更新しました。事前に書きためてあった原稿を、予約投稿したり、旅行先のホテルから掲載しました。ホテルも空港も、インターネットが簡単につながり、便利です。連載原稿の校正もできました。

特許制度、脱「途上国モデル」

5月14日の朝日新聞オピニオン欄「知財立国の足元」荒井寿光・元特許庁長官の「脱「途上国モデル」へ一歩」から。

・・・日本の特許裁判の賠償額は、全体的に低すぎます。2007年から17年の間で、最も高くて17億円です。一方、米国は2844億円です。中国は56億円ですが、政府は引き上げる方針です。賠償額は裁判所で決まる特許の価値ですから、高いほど勝手に使うことを抑える力になります。

日本の現状は「侵害し得、侵害され損」です。欧米に追いつき追い越せの時代には、この方がよかったからです。日本は欧米から基本的な技術を導入し、改良して安くて良い製品の輸出を伸ばして経済成長しましたが、米国から何度も特許侵害で裁判を起こされました。「侵害者」の日本としては米国の主張が認められにくい方がよく、負けても少ない賠償額で済ませたい。いわば「発展途上国モデル」を続けてきたのです。

歴史的にみれば、19世紀には新興国だった米国が欧州に対して特許を侵害する立場でした。米国は20世紀に知財大国になり、今度は中国が侵害する側になりました。その中国はいま、研究開発に力を入れ、特許の裁判や賠償制度を強化し、米国を追い越そうとしています・・・

連載「公共を創る」第3回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第3回「想定外が起きた─政府の役割を考える(1)東日本大震災の衝撃」が、発行されました。

今回から、本文に入ります。全体構成では、次のような位置づけになっています。
第1章 大震災の復興で考えたこと
1 想定外が起きたー政府の役割を考える
(1)東日本大震災の衝撃

第1部では、東日本大震災にの際に私が考えた「行政の役割の再考」と「町とは何か」についてお話しします。この経験が、公共と行政を考え直す具体事例になりました。それまでも、このテーマで長く考えていたのですが、身をもって体験することになったのです。そして、かねて考えていた方針を、実行することができました。

あれから、8年が経ちました。若い人たちは、詳しく知らないのですよね。で、まず今回は、大震災の概要を説明します。