企業広報の変化、平成の30年

3月13日の日経新聞「私見卓見」、江良俊郎・エイレックス代表取締役の「企業広報に変化突きつけた平成
・・・平成が始まる3年前、1986年に大学を卒業して以来、企業が手がける広報と危機管理の業務を支援してきた。まもなく幕を閉じる平成は企業広報に大きな変化が生じた時代だった。私が考える3つの変化から今後の企業広報のあり方を探りたい・・・
として、次の3つを挙げておられます。
1 危機が起きたあとの対応の失敗が、企業の存続に直結するようになったこと。雪印乳業が倒産した。
2 リスク要因の多様化。労災認定を受けた家族の記者会見、アルバイト店員の不適切投稿。
3 危機管理に取り組む企業の進化。トヨタのように、社長が記者会見に臨むようになった。

・・・現代社会は多様な価値観を尊重する一方、不寛容な面もある。危機意識の高い企業は社会の求めに敏感だ。主体的な危機対応を心がける。平成の次の時代、企業は社会が要請するコンプライアンス経営と説明責任を徹底する必要がある・・・

勉強になります。原文をお読みください。
私も、おわびのプロだと自任していたのですが。「おわびの仕方

経済再生に苦しんだ平成時代

2月23日の日経新聞「平成の30年 経済再生 試練の時代」から。

福井俊彦・元日本銀行総裁の発言。
・・・戦後復興、高度成長の時期を経て平成の時代を迎えました。戦後成功物語の頂点は1980年代半ばごろでしょう。日本の産業界が「もはや世界に学ぶものなし」と言い始めたのがこのころです。
その後、日本は世界の先頭で新しい道を切り開くプレーヤーの一人として歩むべき時代に入りました。自ら経済・社会のモデルチェンジを施しながら前進する。それが容易にできず今日に至るまでその苦しみを味わい続けています・・・

・・・平成時代の金融政策から得られた教訓は、金融政策の役割は、人々の価値創造への努力や、傷ついた企業・金融機関が次の段階にいく過程を背後から支援する縁の下の力持ちであるということです。問題のすべてを解決できるわけではありません。平時は金利機能を生かし、異常時は金利機能をあえて封殺し流動性を豊富に供給して支える。だが、過剰な介入はかえって将来に禍根を残します。財政との関係でもそうです・・・

村瀬拓人・日本総合研究所副主任研究員の発言。
・・・人生のほとんどが平成だった世代としてこの時代をみると、日本の構造的な問題が顕在化するなかで対応することができなかった30年だと感じています。
私が大学に入ったのは2003年で、金融危機の処理の最終段階でした。就職氷河期も終わり、リーマン危機はありましたが最悪期はすぐに脱しました。比較的緩やかな成長を見てきた世代です。
低成長が普通と考えているので、景気がすごく良くなるという期待感もないし、それなりに成長が続けばよいという世代ではないでしょうか。・・・

住民帰還と事業再開のために、NHK松本解説委員

NHK3月8日の時事公論、松本浩司・解説委員が「震災・福島原発事故8年~住民帰還と事業再開のために」を、書いてくださっています。

原発被災地の復興は、時間がかかっています。避難しておられる方々には、申し訳ないことです。
この区域は、当分の間、あるいは長期間人が住むことができないと予想された地域です。いま、予想以上の放射線量の減少によって、順次期間が始まっています。
しかし、原子力発電所という基幹産業がなくなり、住民が減少した区域で、直ちに産業と賑わいが戻ることは難しいです。「進まない復興」「遅い回復」と言う方もおられますが。

現地で、頑張っている事業者の方がいます。松本さんの解説は、そのような具体事例を取材し、他方で広い視野で問題点を指摘しています。
ありがとうございます。私たちも、これまでの延長とともに新しい視点で、支援を進めます。

平成時代、日本企業敗北の時代

3月9日の日経新聞「平成の30年 日本企業、再生への苦闘 平成から次代へ」、小林喜光・経済同友会代表幹事の「敗北見つめ新境地開拓を」から。

・・・反省をこめて言えば、日本企業は平成時代に手痛い敗北を喫しました。世界の株式時価総額ランキングを見ると、平成の初めには世界トップ20社のうち14社までを日本企業が占めましたが、昨年末は1社も入っていません。米国と中国のデジタル系企業が上位を占有し日本の存在感はゼロです・・・

・・・さらに気がかりなのは、国民の多くがこうした危機感や問題意識を持つことなく、日々の生活に満足しているようにみえることです。内閣府の調査では74.7%の人が今の生活に満足と答え、しかも若い世代ほど満足度が高いです。
国民一般だけではありません。過去4年、経済同友会の代表幹事として政治家や官僚とも多く接触しましたが、かなり近視眼的だと感じます。選挙で頭がいっぱいで痛みを求める改革に踏み出せない。経営者でいえば、目先の業績を気にするあまり、長期の展望に立った投資や事業のリストラを先送りするようなものです。アベノミクスの6年間は株高や円安で心地よかったですが、新たな飛躍や成長のタネは生まれませんでした・・・

西條都夫記者の解説から。
・・・日立製作所は日本を代表する企業の一つだが、・・・ところが、巨体のわりに中身(利益)は貧弱で、30年分を合算した営業利益は10兆1千億円、純利益は1兆7千億円にとどまる。最近数年の復調がなければ、純損益の赤字転落もあり得た。昭和時代に築いた事業モデルや成功体験が行き詰まり、時代遅れになったのは誰の目にも明らかだった。
そんな状況を同社が直視し、本格的に改革に乗り出したのはリーマン・ショックで巨額の赤字を計上して以降の過去10年のことだ。一度は引退しながら、09年に会長兼社長にカムバックし、再建の指揮をとった川村隆氏は「昔の日立には悪い事業をやめる発想がそもそもなかった」という。

日立は巨大な共同体であり、働く人たちは大切な仲間だ。そんな彼らを共同体の外に放り出すことは許されず、業績が悪化すれば、賞与のカットなど痛みを全員で分かち合うことで、乗り切ろうとした。
だが、この手法には限界がある。競争力を失った事業を抱えながら、多少のリストラやコスト低減をしても、「沈む巨艦」は浮揚しない。見込みのない事業を外部に売るなど外科手術を勇気をもって実行したのが川村改革の特長だ。「なぜあの事業を切ったのか、OBや関係者から叱責され、つらい思いもしたが、それに耐えるのも経営者の役割だ」と川村氏はいう・・・
・・・過去の自分を否定し、新たな時代に適合する組織文化や事業モデルを模索する。日立の30年間の悪戦苦闘は、他の日本企業や日本経済全体の歩みの相似形である・・・
原文をお読みください。

「明るい公務員講座」第3巻、校了

「明るい公務員講座」第3巻のゲラを、昨晩、校了しました。
第3巻では、課長をはじめとする、管理職の基本をお教えします。名付けて『明るい公務員講座 管理職のオキテ』です。
副題はいろいろ悩んだのですが、編集長との相談の上、これに決まりました。少々、意外感があるかもしれません。

2月から3月は、3.11を迎えるために、何かと忙しい時期です。そんなときに、仕事が重なるのですよね。ここのところ視察や講演が続き休日がなく、夜の異業種交流会も忙しかったです。その合間を縫って、時間を作って校正しました。
印刷にかけ、月末には本屋に並ぶでしょう。