何度やっても、講演は難しい

いろいろと講演を引き受けています。大学の講義も。しかし、何度やっても、話すことは難しいです。「宮城県市町村行財政セミナー
場慣れはしているのですが、毎回「あそこは、もう少し違った話し方をすれば良かったなあ」と、振り返ることが多いです。

もちろん、講演会の評価は、伝えたいことを伝えることができたか。そして、聴衆に満足してもらえたかです。
前段は、何を伝えるかを考え、脱線しないようにレジュメを配ります。これで、伝えたいことは、はっきりします。後段は、聴衆の反応やアンケートで評価がわかります。

私はもう一つ、伝えたいことを明確にするだけでなく、楽しみながら聞いてもらうことを考えます。白板を使って動きを入れたり、質問をして興味を引いたり。楽しく聞きながら、重要なことを持って帰ってもらう。これが、私の理想です。
話している最中は、「聴衆に受けているか」を気にします。受けが良いと、私も話が乗ります。聴衆の反応を見ながら、次の話の展開を考えます。その場合に、受けが良くないときは、どうしたら受けるかを必死に考えます。

聴衆が雑多な人からなっている場合は、難しいです。そのテーマに関する知識、関心がばらばらなので、全員を喜ばせることが難しいのです。
次に、話が同じ内容で、聴衆もよく似た人たちであっても、受けが良い場合と、いまいちの場合があります。これには、頭を抱えます。
同じ内容を話しているつもりでも、興味を持ってもらえる場合と、そうでない場合があるのでしょう。ちょっとした言い回しとか、表現の違いだと思います。

わかりやすいように、抽象論でなく具体例、簡単に言うと私の体験談や失敗談を多用します。また、なるべくリラックスして聞いてもらえるように、笑い話などを織り込むのですが。これが受けない場合があります。
関西漫才を目指している私にとって、これはつらいです(苦笑)。で、時に「ここは笑ってください」と、笑いを強要するのです。これは反則行為ですね。
壇上で、あるいは終わってから次回に向けて反省し、工夫を重ねます。「難しい速記録起こし

一対一での会話は、相手の表情を読みながら応答しなければならないので、もっと難しいのですが。この場合は、相手とのやりとりなので、直ちに修正が可能です。

大量消費の時代、まだまだ工夫ができる

2月11日の日経新聞、ジョン・ギャッパー、ファイナンシャル・タイムズのチーフ・ビジネス・コメンテーター「消費財も再利用する時代」に、次のような数字が載っています。
イギリス、エレン・マッカーサー財団によると、全世界の消費・活動を支えるために、金属からバイオマスまで、一人あたり年間約10トンの原材料が使われています。
製品の大半は再利用されずに捨てられます。リサイクルされるプラスチック包装は14%です。
マッキンゼーの推計では、ヨーロッパでは、自動車は廃棄されるまでの92%の時間が乗車されず、31%の食品が捨てられています。

「一生買い換えが不要な製品ばかり作っていたら、企業は経営が成り立たない。それでも買い換えを減らすためにできることは多い。
まず包装材だ。詰め替え可能な容器を増やせば良い」
このほか、所有でなく利用に対価を払うことを提案しています。
原文をお読みください。

展覧会、奇想の系譜、北斎

土日を利用して、展覧会に行ってきました。
奇想の系譜」(東京都美術館)は、見応えがあります。若冲、蕭白、岩佐又兵衛・・・最近ではおなじみですが、私が学生時代には習いませんでした。展覧会に出始めた頃は、びっくりしました。そういえば、カラバッジョもフェルメールも、知りませんでした(いつも同じことを言っています)。
新・北斎展」(六本木ヒルズ)も、良いですよ。富岳三十六景以外にも、いろんな絵を描いているのですね。北斎漫画は有名ですが。

あわせて、「日本を変えた千の技術博」も。行きたいと思っていたのですが、いろいろと他の用事があって・・。終了が近づいてきたので、上野に行ったついでに行ってきました。これも、勉強になります。
残念ながら、即席ラーメン(NHK朝の連続ドラマ「まんぷく」のモデルであるチキンラーメン)は入っていません。私は、日本が世界の生活文化に貢献した3大発明は、即席ラーメン、カラオケ、漫画(あるいはウオッシュレット)だと思っています。もっとも、この3つ(4つ)は、世界への貢献であって、日本を変えた技術とは別の分野ですね。

上野では、「顔真卿」(東京国立博物館)もやっていたのですが、会場に入るまでに40分、さらにお宝には100分以上並ぶとのことで、断念しました。
で、原稿の執筆は進まず・・・。

変な日本語、カタカナ語

何度も書いていますが、私はカタカナ語(英語もどき、英語をカタカナで表記した日本語)が嫌いです。
地下鉄や鉄道の券売機での「チャージ」については「伝わっていないカタカナ語」で批判しました。「相手に通じないカタカナ語
さらに外国人が増えるのですから、英語もどきは、やめた方が良いです。日本語を学んだアジア各国の人にとって、辞書に載っていない「英語もどきカタカナ語」は理解不能です。

最近気がついたことに、町で見かける、自治体が設置している案内板・地図があります。「××区エリアマップ」と表示があり、その下に「AREA MAP」英語表記がしてあります。これって、誰に向けて作った地図なのでしょうか。
なぜ、「案内図」とか「周辺地図」と、表記しないのでしょうか。そして、「AREA MAP」と併記しておけば、国際的だと思っているのでしょうか。あなたの町の案内図などは、大丈夫ですか。

と、思いながら本屋に寄ると、『日本人が勘違いしているカタカナ英語120』(2019年、中公新書ラクレ)を見つけました。いくつかの単語・言い回しを見ると、「これもおかしいのか」と気づくものがあります。

日本の電機産業の衰退

2月10日の朝日新聞連載「平成経済18」は、「総合電機、解体への歩み」でした。
戦後日本の成功を象徴する産業だった電機。テレビ、ビデオ、パソコン、そいて半導体など、世界の最先端を行っていました。それがいまや、見る影もありません。この記事は、その実情を報告しています。
電機メーカーは残っていますが、売っている物は大きく変わりました。ある人に聞くと、「秋葉原がその象徴でしょう」とのこと。かつて電気街だった秋葉原は、今行くと電気店はなく、オタクの聖地になっています。

「選択と集中に失敗した」「先の見通しが甘かった」と言えばそれまでですが。それらは、後から言えることであって、当時の当事者は夢にも思っていなかったでしょう。
成功の次に、あるいは成功の影に、失敗が待っています。

それはさておき、ここで紹介したいのは、その記事に付いている「電機大手の従業員の推移」のグラフです。2008年に約160万人だったものが、2018年に約120万人に減っています。日立、パナソニック、三洋電機(途中で消滅)、ソニー、東芝、富士通、三菱電機、NEC、シャープです。
意外です。4分の3に減っていいます。しかし、それしか減っていないとも取れます。壊滅的状況ではないのです。関連会社などは、大幅に減っているのでしょうが。

「平成の日本は失敗の時代だった」と呼ぶ人が多いです。確かに、経済成長や支配的産業の面で、トップクラスから落ちたことは事実です。栄光の時代から低迷の時代へとです。
ところが、経済成長率も低いながらプラス、そして失業率も低いのです。いくつもの問題を抱えつつ、社会は安定しています。
後世、「あの時代は、そこそこよかったな」と言われるかもしれません。