減るより増える本

昨日、「本を捨て始めました」と書きました。しかし、話はそう簡単には、進みません(笑い)。
今月は休日も仕事などが入り、休みがありませんでした。23日に久しぶり休みが取れたので、紀伊國屋書店に散歩に行きました。「読まない本は買わないぞ」と決意しながらです。

そうはいきませんねえ。たくさん、興味深い本が並んでいました。
佐々木毅編著『民主政とポピュリズム』(2018年、筑摩選書)は、当代一流の政治・経済学者が、世界と日本の最近のポピュリズムを論じた本です。読まないわけには、いきません。
ホブスボーム著『20世紀の歴史 両極端の時代』(2018年、ちくま学芸文庫)が、文庫本になっていました。翻訳がでた際に、「読まなければ」と思いつつ、分厚いので買わないでいました。「文庫本なら、寝転がっても読めるなあ」と思い、買いました。とはいえ、上巻だけで560ページ、1700円の文庫本です。
その隣に、フィリップ・マティザック著『古代ローマ旅行ガイド』(2018年、ちくま学芸文庫)が、並んでいます。これも面白そうです。

新書では、玉木俊明著『ヨーロッパ 繁栄の19世紀史」 (2018年、ちくま新書) は、玉木先生の本はいつも切れ味鋭いので、逃すわけには生きません。牧野成一著『日本語を翻訳するということ』(2018年、中公新書)、久保田哲著『帝国議会』(2018年、中公新書)、長谷川宏著『幸福とは何か』(2018年、中公新書)、森本 公誠著『東大寺のなりたち』(2018年、岩波新書)、見田 宗介著『現代社会はどこに向かうか』 (2018年、岩波新書)など。読まずに(正確には買わずにおられない)本がたくさん並んでいます。

で、「これは、買っても、きっとたどり着かないだろうな」と思い、数冊は棚に返して、残りを買ってきました。
いま読みかけの本も、たくさんたまっています。先月、先々月に買った新書や文庫も、まだ読み終えていないのに、どうするの。他に気になっていた本を、アマゾンの中古で見つけて注文してあるし・・・。

今日も、つまらない漫談にお付き合いいただき、すみません。

官僚機構改善論5―組織の目標

官僚機構改善論の続きです。

人事政策を考えると、さらには、霞が関はどうあるべきかを考える必要があります。
これは、2つの面から考えましょう。1つは、社会における官僚機構のあり方です。社会で果たすべき役割です。もう1つは、官僚たちに与える目標であり、やりがいです。この2つは盾の両面です。

実は、これを考える組織もなく、人もいません。
これまでは、各省や各局の積み上げが、官庁になると考えられているようです。各省で人事を管理していたことと、そんなことを考えなくてもよかったのです。
しかし、各局は政策を考えますが、政府全体としてあるべき官庁の姿や官僚の姿を考えることはありません。

かつては、日本の官僚に求められた仕事は明白であり、官僚たちもそれを誇りに仕事をしました。そして、政治家も国民も、それを支持してくれたのです。批判と尊敬を受けながら。
しかし、社会が大きく変わり、行政に求められることが、変わりつつあります。政と官のあり方も、大きく変わっています。すると、霞が関の各省と官僚はどうあるべきかを、議論する必要が出てきたのです。

民間企業の場合は、法令を遵守しつつ、利益を目指します。そこにおいて、幹部と職員の役割は明確です。それに対し、行政の場合は、目標がそのように単一明快ではありません。「公共の福祉の増進」といっても、分野が多岐にわたり、それぞれの分野において時代とともに課題と目標が異なります。そして、それらの間での優先順位は、当然には決まりません。あわせて、総理や大臣たち政治家との関係・役割分担があります。

一つの期待は、内閣人事局です。官僚機構全体の人事と組織を考える組織ができました。ここで、これからの人事政策、職員育成計画、官僚のあり方を研究できるのではないでしょうか。

このようなホームページで論じるには大きすぎる課題を、書きました。検討不足、説明不足で書いたことを、お許しください。
例えば「官僚」という言葉を使いしましたが、読者から「何を指しているのか、そもそもそんな分類ができるのか」という批判をもらいました。私は、国家公務員の中でも、組織と仕事に責任を持つべき上位の者とそれになることを期待されている職員を想定しています。かつての「高級官僚」というイメージです。
引き続き、考えてみたいと思っています。

本を捨てる、思い出を捨てる

少しずつ、本を捨てることを始めました。
書斎の本棚は、とっくの昔に満杯になっています。少しずつ床に積み上げたのが、山のようになっています。パソコンにたどり着くには、その山並みの間の、けもの道を歩くのです(笑い)。階段、寝室にも増殖中です。反省。

ほとんどの本は、もう二度と読むことはないとわかりつつ、なかなか捨てることができず。決断力のない男です。とはいえ、このままでは、日常生活に支障が出そうです。新しい本を買ってきても、置く場所もなく。
去年春に、近くのブックオフに98冊持って行きました(2017年5月9日)。しかし、改善は見られません。それどころか、ますます増殖します。

そこで、少しずつ職場に持って行って、職員に引き取ってもらっています。職員にとっては、迷惑な話かもしれません。でも、中に1冊でも「読もう」と思ってもらう本があれば。
「これは誰も読まないなあ」と思う本は、古紙回収日に出しています。まだ始めたばかりで、目に見える成果は出ていません。

本の山を崩したり、本棚から本を抜くと、「こんな本も読んだなあ」という本が発掘されます。あることすら忘れている本ですから、捨てても何の支障もありません。でも、なぜ捨てにくいか。
わかったことは、本という物ではなく、「読んだ本」「買った本」という思い出が捨てがたいのですね。

発掘された日本列島2018展

今年も、「発掘された日本列島2018」展に行ってきました。
次々と、驚く発見がされています。道路工事や住宅工事などにひっかかった土地だけで、こんなにも出てくるのです。まだまだ、たくさんの「宝物」が埋まっているのでしょうね。
東日本大震災の復旧過程で、高台移転予定地からも、いろんなものが出て来ました。全国から応援に駆けつけた専門家が、発掘を急いでくれました。それらも、展示されています。

今日も、専門家の解説時間に合わせて行って、説明を聞いてきました。展示物には解説がついているのですが、専門家の説明を聞くと、へえと思うことが多いです。
榛名山の火砕流に飲まれた、甲を着けた人物は、NHKテレビでも想像した場面を放映しましたが、よくまあ残ったものです。加曽利貝塚の断面図も面白いです。アサリやハマグリのほかに、小さな貝が大量に捨てられています。出汁を取るのに使ったようですが。そんな手の込んだ料理をしていたんでしょうかね。何に味をつけていたんでしょう。謎です。

日経新聞夕刊コラム「明日香村」にも書いたように、考古学者になりたかったのです。小学生の時、「将来の夢」の作文にも、そう書きました。
どこをどう間違ったか。東京に出て、官僚になってしまいました。初志を貫徹しておれば、解説を聞く側ではなく、解説をしていたでしょう(残念)。

砂原庸介教授、政治研究の紹介

最近、紹介を怠っていたので、久しぶりに、砂原庸介教授のブログを紹介します。(昔の紹介例
砂原くんは、現在カナダで研究中です。この夏には、帰ってくるのかな。

カナダからも、日本の政治行政研究の紹介をしてくれています。ブログをお読みください。
こんなにたくさん、しかもさまざまな分野での研究がされているのだと、驚きます。とても、全てを追いかけることは無理ですね。