これまでに、何本の傘をなくしましたかねえ・・・。
折り畳み式の傘はかさばらず、持ち運びに便利ですが、面積が小さくてあまり役に立ちません。そこで私は、旅行以外は長い傘を使っています。
20年ほど前に、サンフランシスコに行ったときに、オペラハウスで記念に買って帰った真っ赤な傘。もちろん、日本が独立を回復した平和条約の調印式が行われた場所です。飛行機にも抱えて乗って、日本まで持って帰りました。気に入っていたのですが、数年後には、タクシーに置き忘れました。それ以来、車に乗った際には、傘は扉側において、降りるときに絶対忘れないようにしています。
ロンドンで買って、これまた機内に持ち込み持って帰ってきた細身の傘。こちらは、値が張ったこともあり、置き忘れることなく10年以上使っています。もう一本は、安いジャンプ傘ですが、これはこれで使い勝手が良いのです。
それを、自宅と霞が関の職場に1本ずつ置いてあります。福島の職場にも置いておくために、先日もう1本買いました。これも少々値が張りましたが、どうせなら良いものを持とうと選びました。
今日、原稿書きに疲れて散歩する際に、曇り空なので、それを持ちました。途中で、ぱらぱらと細かい雨が降ってきましたが、コートを着て帽子をかぶっていることもあり、新しい傘は広げず帰ってきました。傘を濡らさないで持つのは、本末転倒です(笑い)。子供の時、新しく買ってもらった靴を汚すのが嫌だったのと、同じですね。
もっとも、ロンドンで紳士が使っていた細身の傘は、一度開くと畳むのに専門家の手が必要なので、少々の雨では開かないと聞いたことがあります。
年別アーカイブ:2017年
書斎の資料整理
いよいよ、書斎の整理に着手しました。本棚は引っ越してすぐに満杯になり、その後読んだ本や買った本は、床に山積みになっています。最初の頃は、それもかわいかった(必要とあれば取り出せた)のですが。気がつくと、50センチ以上の山脈になっていて、取り出すどころではありません。11年間に、たくましく増殖しています。
困ったものです。見ない=使わない=捨てれば良いのですが、その「きっしょ」(関西弁で「きっかけ」のこと)が立ちません。仕事では決断の早い私ですが、本を捨てることに関しては優柔不断です(反省)。
かつて大学教授の研究室を訪れたときのことを思い出します。天井まである大きな本棚はもちろん、通路にも本や資料が山積みされていて、その間の獣道(けものみち)を通って、先生の机までたどり着きました。人様のことを笑えません。
4月から大学で講義も始めるので、その資料を入れる空間を作る必要があり、遂に本棚の一部を整理しました。かつて出講していた大学での講義の資料、書いていた原稿の資料(中断したままのもの)を、捨てました。本棚の良い場所を、それらのファイルボックスが占領していたのです。講義資料はデジタルにして、パソコンや記録媒体(USBメモリ)に保管してあります。原稿もデジタルで保存し、記事にもなっています。しかし、その準備のために集めた資料がたくさんあるのです。
資料を見ると、「良く集めたな」「こんな資料もあったよな」という思い出の旅です。我ながら、よく調べていたものです。私の関心は、「日本の政治と行政」「官僚の役割」です。いずれ文章にして世に問おうと考えてたのですが、総理秘書官や大震災対応の仕事について、それどころではなくなったのです(言い訳です)。
それぞれに有用な資料なのですが、10年近く経つと価値が下がります。もう一度読み返したい資料もありますが、そんなことをしていては、新しい準備に取りかかることができないので、えいやっと捨てました。やれば、できるのです。
けっこうな空間を確保できました。ところが、既に集めてある資料をそれらのファイルボックスに入れると、すぐに埋まってしまいました。いよいよ、本の整理に着手しなければなりません。
原発被災地復興、経産省の取り組み
経産省の広報誌「METI Journal2・3月号」が、「あれから6年-着実に未来への向う福島の”いま”を見つめる」を特集しています。経産省のホームページで、見ることができます。「 経済産業ジャーナル平成29年2・3月号」
被災地が復興するためには、働く場や買い物の場が必要です。特に、原発被災地ではこれまでの原発に依存していた産業構造を転換する必要があります。そして、風評被害など原発事故に特有な負の面もあります。
「省が事故を起こした責任」も背負って、経産省の諸君が地域に入って頑張っています。地域に入って産業振興に取り組むことは、経産省始まって以来のことだと思います。東京で大企業を相手にしたり、諸外国で外国政府や企業を相手に仕事をするのとは、勝手が違うと思います。過去にない政府の取り組みです。この特集を含め、彼らの頑張りを見てください。
官の役割、民の役割。「支援を必要としている人」への支援2
「ストレーター」という言葉を知っていますか。公式の定義はないようですが、高校を卒業し、大学や専門学校を出て就職し、その後も会社を辞めずに働き続ける人(3年以上)を呼ぶようです。
インターネットに載っている「高校生が100にんいるむら」では、中退、退職などする人を計算すると、「ストレーターは、100人のうち、44人。つまり実際の社会では、ストレーターではない人の方が多い」と述べています。3割以下だという計算もあるとのことです。
世間が想定している「単線的人生」は、半分もいないのです。もちろん、中退して就職する人や退職して転職する人もいますし、フリーターやアルバイトで頑張っている人もいます。
そして、ここでも指摘されているように、学校では、ストレーターを前提にしたキャリア教育が行われています。世間もそれを「常識」としています。すると、ストレーターではない56人は、「自分は標準ではないのだ」と思ってしまうこともあるでしょう。
人生は、これまでの教育や「世間の標準的目標」が想定していたような、順調で単線的なものではないこと。それが現実であり、それを前提とした教育や社会の仕組みをつくらなければなりません。
第一次安倍内閣で、私は再チャレンジを担当しました(残念ながら、政府のホームページからは資料が削除されているようです)。その際に、「支援を必要としている人」に対する行政の対応の欠如を実感しました。刑を終えて刑務所から出てきた人、フリーター、引きこもりの人たち。「落ちこぼれた人」はわかりやすい表現ですが、必ずしも適当でないので「支援を必要としている人」と呼びましょう。
行政はこのような人たちに対し、もっと支援をすべきです。その手始めとして、生活に関する相談についての「行政の窓口」をつくる必要があるのです。そして様々な活動をしている民間団体と連携をして、支援をするのです。
さらに、より大きな視野から、社会の変化が行政の基本に変化を迫っていることを、「行政の変化」として簡単な表にしました。ご覧ください。
官の役割、民の役割。「支援を必要としている人」への支援
先日(1月31日)書いた「官の役割、民の役割。養子縁組」の続きです。
明治以来日本の行政は、国家に有意な人材と健康で優秀な職業人を育てることを、主たる目的としてきました。そして、そこから漏れ落ちた人への対応は、十分とは言えなかったようです。
学校教育を考えてください。東大を頂点とした教育の一方で、高校を中退した若者には、ほぼ何の公的支援もありません。彼らが次に接触する行政窓口が、ハローワークと場合によっては警察では、さみしすぎますよね。挫折した場合のセイフティネットの教育も、十分ではありません。犯罪を犯した場合、誘いに乗って法を犯した場合、どのようにして応援をもらい、立ち直るかは、学校では教えてもらえないのです。「すべてよい子に育てる」という方針の下で、落ちこぼれは置いてきぼりになります。
拙著『新地方自治入門』p175で、スウェーデンの中学の教科書『あなた自身の社会』を紹介しました。そこでは、ちょっとしたいざこざで相手を傷つけ警察に逮捕された少年を例に、その後の手続きを説明しています。同棲や結婚とともに離婚や、失業や病気になった場合の支援も書かれています。
もちろん「よい子」に育てる必要はあります。しかし、みんながみんな優等生にならないのが、現実です。すると、落ちこぼれた場合のことを教えておく必要があるのです。
不本意な妊娠をした場合、それも未成年の場合はどう対処してよいかわからないでしょう。親に言ったら叱られる、どこに相談したらよいかわからないのです。他方で、子供に恵まれない夫婦は、どこに相談したら養子縁組ができるか。あなたは、知っていますか。