新しいホームページになってから、一度も肝冷斎を取り上げていないことに気づきました。
「肝冷斎日録」。
あきることなく、難しい漢文の紹介を書き続けています。その博識と根気に、脱帽します。「生きていくのが嫌だ」と繰り返す割には、止むことがありません。しかも、シーズン中は「野球」を追いかけ、その他にも日本国内を訪ね歩いています。「フィールドワーク」。
肝冷斎本文の漢文は、杜甫や李白しか知らない私には、少々難しいです。「フィールドワーク」の方が、わかりやすく興味深いのですが。
月別アーカイブ: 2017年1月
経済成長、早さと社会の変化
1月10日に、高齢化に要する時間が、国や地域によって異なることを書きました。「高齢化社会、社会の変化と意識の変化」。
1月4日の日経新聞経済教室に、猪木武徳・大阪大学名誉教授が「大転換に備えよ。競争と再分配、豊かさの鍵」を書いておられます。そこに、各国の経済成長の「早さ」が図示されています。産業革命後の経済成長で、1人あたりGDPの倍増に要した年数です。
イギリス58年(18後半~19世紀前半)、アメリカ47年(19世紀半ば)、日本34年(19後半~20世紀前半)、韓国11年(20世紀後半)、中国10年(20世紀後半)です。
先生は、次のように書いておられます。
・・・一般に後発国の経済成長は「後発性の利益」によりかなり高いスピードを示す。高度経済成長の軌道に乗る時期が遅いほど成長は早く、その終わりが訪れるのもまた早い・・・
高度成長により日本は豊かになりました。また、その早さで自信を持ちました。しかし、アジア各国が同様の道を進んだことで、日本だけの特殊なことではないとがわかりました。
そして、ここで指摘したいのは、「かかった時間の長さ」です。急速な高度成長は、多くの日本人に、田舎を出て都会へ出て行くこと、両親とは違う道を歩むことを求めました。結果として豊かになったのですが、故郷や家族と離れて初めての土地で初めての仕事に就くことには、大きな不安があったことでしょう。そして、地域社会もまた大きく変貌しました。豊かさの光の影には、多くの不安や悲しみもあったのです。この変化が徐々に起きたものならば、「ご近所の××さんところも・・・」とか「お父さんやおじさんも・・・」と近くに見本があってその不安は和らげられたでしょう。
急速な変化、それは経済成長であれ高齢化であれ、個人と社会に大きな影響、それも負の影響をも与えます。その変化をどのように「吸収」するか。変化の大きさとともに、変化の早さも、政治や社会が考えなければならない大きな要素です。
ポピュリズムに対抗する
1月9日の日経新聞オピニオン欄、ニック・クレッグ、前イギリス副首相の「英、単一市場残留へ譲歩を」から。
・・・大衆迎合主義(ポピュリズム)に対抗するには3つのことが必要だ。第1に、ポピュリストに失敗させることだ。大衆迎合の政治家にとって最悪なのは、実際に責任を引き受け、様々な代替案から物事を決めねばならないことだ。
第2に、主流派の政治家は自由民主主義の価値をあきらめてはいけない。第3に、最近の経済環境になぜ市民が怒り、幻滅を抱いているかを真剣に考える必要がある。賃金はおそらく前世紀のいつの時代よりも長く停滞している。賃金制度や労働法、税制を通じて解決策を見つけないと、ポピュリストが得をする・・・
砂原庸介・准教授。個別政策、パッケージで議論
1月9日の日経新聞経済教室「大転換に備えよ」は、砂原庸介・神戸大学准教授の「非主流派政治に取り込め。政策提示、個別より一括で」でした。配偶者控除の改正が、2017年度の税制改正で議論になりつつ、選挙を前にして進まなかったことについて紹介した後。
・・・配偶者控除のように個別のテーマごとに議論すると政治的にリスクが大きい中で、働き方改革のようにパッケージで議論することには意味がある。なぜなら一つのテーマでは負担が増える敗者となったとしても、別のテーマと組み合わせることで、その負担を軽減できるからだ。
例えば配偶者控除を廃止するのならば、他方で育児に対する給付を増やすことで専業主婦世帯に報いられるかもしれない。また、単に共働き世帯を優遇するだけではなく、子どもへの一定の給付を前提として、保育所の利用料引き上げにより収支のバランスを考える方法もありうる・・・
・・・そこで政党は世論の反応をみながら支持拡大につながるパッケージを提示し、既存の政策的対立軸とは異なる形で新たに包括的な改革連合を形成していく必要がある。そのとき、従来は政治的に代表されてこなかった女性を中心とした非正規労働者などの「アウトサイダー(非主流派)」を政治過程に包摂することは政党の支持基盤を広げるという点でも重要な意味を持つ。
近年の日本政治でこうした取り組みがなかったわけではない。具体的には、各省庁にまたがる論点を包摂する形で、内閣府に首相直属の会議体を設け、調整がなされてきた。しかし党内に「抵抗勢力」を定めて、それとの積極的な対立を辞さない姿勢をとった小泉政権を除けば、基本的に関係者のコンセンサス(合意)を重視するコーポラティズム(協調主義)的な手法がとられてきたといえる。
そうした手法ならば、関係者にとって受け入れやすい漸進的な改革が中心となる。しかし、それでは従来の政治過程から排除されてきたアウトサイダーの利害が反映されるのは難しいところがある・・・
続いて、次のような指摘もあります。
・・・しかも会議の乱立は重要な首相の時間資源を奪うことになった。外交における首相個人の役割が大きくなる中で、すべての重要案件を首相の責任の下で処理するのは不可能に近く、積極的なリーダーシップを発揮するのは困難だ・・・
原文をお読みください。
高齢化社会、社会の変化と意識の変化
先日(1月6日)、「高齢者は75歳以上」で、「課題は、75歳までの人たちに、活躍の場を提供することです」と書きました。私たちの寿命が延びることは望ましいのですが、二つ条件があります。一つは健康でいることと、もう一つは生きがいを持って生きることです。そして、後者は個人で趣味に生きることだけでなく、社会での「位置」も必要でしょう。元気な高齢者が、毎日趣味だけで時間をつぶすのは、難しいでしょう。皆が皆、それをできるとは思えません。
すると、個人に任せるだけでなく、高齢者の「活躍場所」を社会で用意する必要があります。活躍できる場を与えるということです。少しずつ定年を引き上げてきたのですが、それですべての高齢化を引き受けることは難しいようです。
今回の老年学会の提言での「65歳から74歳までの人たちを准高齢者と位置づける」ことは、一つの良い方法だと思います。全員が、現役を続けると若者の出番を取ってしまいます。他方で現役並みに仕事を続けるのは、すべての人にとってはしんどいでしょう。「准」という移行段階を設営するのです。それは、個人にとっても、社会にとってもです。その受け皿を、個人に任せるのではなく、意図的に設計するべきでしょう。
個人の寿命が延びるという事実の変化に対して、社会や意識を変える、制度を変更する必要があります。その際に、意図的に制度を変えるか、少しずつ微修正を加えていくか。高齢化が進み、元気な高齢者が増えている事実に対し、社会の制度と意識は追いついていないようです。
また、「時間」という要素が重要です。短期間に劇的に変化するか、緩慢に時間をかけて変わるかです。劇的な変化は認識されやすいのですが、緩慢な変化は意識しないと分かりません。「いつの間にか変わったなあ・・」とです。そして緩慢な変化に際して、社会の制度や意識が追いつくか、先取りするかです。
緩慢に高齢化が進んだ国・社会と、急速に進んだ国・社会とがあるのです。例えば、高齢化率が7%から14%になった「倍加年数」を比べると、フランス115年、アメリカ72年、イギリス46年に対し、日本は24年です(国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集)。なお、韓国は18年、中国は24年です。緩慢に進むと、徐々にそれに会わせて社会も変わるのでしょう。しかし、急速に進むと、制度や意識をそれにあわせて変えることは、重要になります。
年金制度や年金財政については、高齢化を意識して整備、改正を加えてきました。介護保険と老人ホームなども、整備しました。問題はあるのですが、ひとまず用意されています。課題は、このようなお金と設備とサービス以外の、生きがいの場を社会としてどのように用意するかです。そして、高齢化では年齢や比率で、日本が世界の最先端を走っています。単に老人が多いだけでなく、その高齢者が生き生きとしている社会をどのように作っていくかです。