名著の位置づけ

玉木俊明著『歴史の見方 西洋史のリバイバル』(2016年、創元社)が、面白かったです。ヨーロッパ経済史が専門の著者が、西洋史について、特に日本における西洋史の盛衰について書いた本です。
第1部は、近代西洋経済史のいくつかの名著についての書評です。これが、単なる内容の紹介でなく、その本が書かれた時代背景や現在から見た限界を書いているのです。これは、勉強になります。
私たちも、それぞれの分野で名著を読みますが、それがなぜ名著なのか、その本を読んだだけではわかりません。それまでの通説を打ち破ったり、パラダイムを変換したりしたことが、名著に位置づけられるゆえんでしょう。単にそれまでの学界の研究成果をまとめただけでは、概説書や教科書です。そして、その後の研究によって、その名著がどのように乗り越えられたか、今もなお影響力があるとするなら、それはどの部分なのか。門外漢には、わかりません。
玉木先生の試みは、優れたものだと思います。名著=正しいと思っていた私たちに、「あの名著も、その後の研究で、間違っていたとわかった」「このような点が、欠落していた」など厳しい指摘がありますが、それが勉強になります。
第2部は、近代西洋経済史の主要な論点の解説と、日本人が西洋史を研究し日本語で論文を書くことの意味を論じています。これも、一読をお勧めします。これも、興味深いです。
ラース・マグヌソン著『産業革命と政府―国家の見える手』(邦訳2012年、知泉書館)が紹介されています。「神の見えざる手」は、アダム・スミスが『国富論』で主張した市場経済の機能ですが、それだけでは経済の発展はなかった、国家の介入が必要であったことを主張したものです。「国家の見える手」は、よい表現ですよね。使わせてもらいましょう。(2016年10月8日)

明るい公務員講座、単行本へ

9月まで連載した「明るい公務員講座」(初級編)を、本にする作業をしています。編集部からは、8月には原案のゲラをもらっていたのですが。本業のほかに、毎晩の異業種交流会、さらには休日の出番も多く、なかなか時間がとれませんでした。
中級編の構成に悩んでいたことも、着手を遅らせました。こちらは、見切り発車し、次の原稿は粗々のままで、右筆に預けて・・。
9月下旬から、中級編執筆と並行して、ゲラに手を入れ始めました。ホテルやら新幹線中やら・・・。そんなときに限って、ボールペンの赤のインクが切れたり。涙ぐましい努力です。笑い。今日、ひとまず初稿に手を入れて、編集部に返しました。
35回の連載をそのまま本にすると、とてつもない分量になるので、まずは分量を削減。そのために、削除する項目を選び、残った項目を並び替えます。そして、文章をそぎ落とし・・。結構、手間がかかります。それでも、「まだ、本にならないのですか」と催促する人がいます。もう少しお待ちください。(2016年10月7日)

雑談は相手との距離を詰めるためのもの、聞き上手がこつ

10月4日の日経新聞キャリアアップ欄は、「雑談上手は聞き上手」でした。
・・・雑談の目的は「面白い話をする」ことではありません。相手との人間関係を円滑にするために、「私は話しやすい人ですよ」「私はあなたに興味を持っていますよ」と伝えることが目的です。それには自分が話すより、相手の話を聞くことが重要になります。つまり、相手にたくさんしゃべってもらうことが雑談を成功させる秘訣なのです・・・
・・・「相手にしゃべってもらう雑談」の極意は2つ。
1つ目は「話がうまい人」ではなく、「話しやすい人」を目指すこと。2つ目は、相手と対等に話そうとしないで、相手に教えてもらう姿勢で話をすること・・・(2016年10月6日)

明るい公務員講座・中級編、始まりました

お待たせしました。明るい公務員講座・中級編の連載を開始しました。専門誌「地方行政」10月3日号からです。毎週月曜発行号に載る予定です。中級編は、管理職、すなわち課長になったばかりの人、あるいはこれから課長になる人を対象としています。よい係長やよい課長補佐が、よい課長になると思っている人が多いです。それは間違いです。課長の仕事と係員の仕事とは、性格が違うのです。再開第1回は、「いつもニコニコ明るい上司」です。内容は次の通り。
良い上司になる、嫌な上司は反面教師、嫌われる上司、部下に厳しい上司、仕事ができない上司、人間性に問題がある上司、あなたは大丈夫?

漢字の威力

「オートファジー」という言葉が、突然ニュースに出てきて、世間に知られることになりました。ノーベル賞とマスコミのおかげです。
ところで、このカタカナ、多くの人は意味を理解できないでしょうね。日本人の多くは、オートは「自動」だと推測します。ファジーは、少々カタカナ英語を知っている人なら、「あいまい」と理解するのではないでしょうか。インターネットで「ファジー」を検索すると、「ファジーとは英語の“fuzzy”からきたカタカナ英語で、英語同様「あいまいな」「ぼやけた」といった意味で使われる」と出てきます。
この言葉は、ギリシャ語から作られた言葉だそうです。英語圏の人も、「Autophagy」と聞いて、細胞内のタンパク質分解機能ととわかる人は、どれくらいいるのでしょうか。
ところが、これを漢字にすると「細胞の自食」で、何となく細胞が自分を食べるんだとわかります。もちろん、正確な理解ではありませんが、少なくとも細胞の話、生理学の話なのだと当たりがつきます。免疫でのマクロファージ(Macrophage)を知っている人もおられるでしょうが、これも「食細胞」と漢字にすると、何となくわかります。
カタカナ英語は勉強したときは理解するのですが、しばらくすると、意味を思い出せないのです。それに比べ、漢字って、すごいですよね。表意文字と表音文字の違いでしょう。
IT用語もカタカナ英語でなく、漢字にしてもらうと、私たちも理解しやすいのですが。ネット、メール、アドレス、ファイル、アップ、サイト、ウインドウ、プロバイダー、サイバー、ラン・・・(2016年10月5日)