CSRと復興支援

田久保善彦・グロービス経営大学院研究科長の「企業経営から見たCSR」(東京財団レポート、2014年6月25日)から。
・・広く知られるようにCSR(corporate social responsibility)を日本語で表すと、「企業の社会的責任」となる。そもそも企業とは社会に対し責任を果たしつつ、何らかの価値を提供する事によってのみ、存在できる主体であるという観点に立てば、CSRとは「企業経営そのもの」であることは明らかである。つまり、CSRを何か特別なものかのごとく切り出して議論したり、取り組んだりするものではないという認識を持つことが、健全なCSRの議論を始める第一歩となる。
ここ数年、日本においても、「CSRは経営そのものである」という考え方が広がりを見せてきている。しかしながら、企業の経営者がその概念を頭で理解することと、日々の経営にどれだけ落とし込んでいるかは、別問題であり、従来型のメセナ活動などの延長線上にあるカギ括弧付きの切り離された「CSR」に終始してしまっている企業は未だに数多く存在する。
日本でCSRの議論になると、必ずといって良いほど引用されるのが、『日本には昔から、「三方良し」という概念があり、昔から社会のことを考え上手くやってきた』という話である。「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」と、三方それぞれが発展するように商売をすべきという近江商人の哲学と呼ばれるものであり、この哲学自体は、時代を超え、未だに輝きを失わずにいる素晴らしい考え方である。
例えば、各地に存在する工場では、多くの雇用を維持しつつ、様々なコミュニティーの発展に資する活動を展開しているケースが少なくない。時に驚くほど深く地域と関わり合いを持ち、まさに地域と共存しているといえる企業や工場も多数存在する。東日本大震災の折にも、数多くの企業が素晴らしい活動をしたことは記憶に新しく、地域を大切にする日本企業の姿勢は特筆に値する・・
(この文章の主旨はこの部分にあるのではないのですが、それについては次回紹介します。)
田久保さんは、企業による復興支援の記録として、次のような本をまとめています。
『日本型「無私」の経営力ー震災復興に挑む七つの現場』(2012年11月、光文社新書)、『東北発、10人の新リーダー 復興にかける志』(2014年3月、河北新報出版センター)。
前者は、東日本大震災後、日本企業が取り組んだ「無私の支援」、「利他の経営判断」とも言える復興支援について、具体的にどのような活動が行われ、また何がそうした行動を生んだのか、関係者への取材を基に書かれたものです。7つの企業の活動が取り上げられています。
・・そうした活動の模様は、これまでテレビや雑誌などの速報性のあるメディアで何度も取り上げられ、目にした方も多いと思います。しかし、それらは必然的に一過性の報道となり、「フロー情報」としてすぐに忘れ去られてしまったのではないでしょうか。そのような活動は、きちんと評価・分析するべきではないか、そして、「ストック情報」として後世に伝えることに大きな意味があるのではないかーそんな問題意識から、私たちは今回の取材・執筆に着手しました・・(同書「はじめに」から)。
後者は、被災地で新しい東北をつくることに取り組んでいる若いリーダー達を紹介したものです。この項続く

内にこもるか、攻めて出るか

6月16日の日経新聞の国際面に、ドイツポスト社長の発言が載っていました(古い話で、申し訳ありません)。
・・同社は、欧州の郵便市場自由化を転機に大型の合併・買収をしかけ、国際郵便・物流企業に脱皮した。DHLブランドの国際貨物などが売上高の4分の3を占める・・
これを読んで、10年前に、ドイツポストを訪問したことを思い出しました。衆議院総務委員会の欧州視察に同行して、訪問したのです。私の記録によると、2004年8月19日です。ドイツ・ポストが民営化され、郵政民営化を試みていた日本が、お手本としていたのです。ドイツも、決して順調ではありませんでしたが。私が感心したのは、アメリカのDHLを買収して国際市場に攻めていること、そして中国を市場と考える発想でした。日本には、そのような動きは見えませんでした。あの時感じたことが、今なお続いているのだなあという感慨です。でも、10年も経ちました。若い人には、昔のことです。
ここでの教訓は、「10年先を考えて手を打つこと」です。市場が国際化した現代では、今ある商圏とビジネスモデルを守っているだけでは、生き残れないのです。
このページの他、当時はあんなことを考えていたのですね。興味あれば、ご覧ください。欧州随行記その2ヨーロッパで考えたことヨーロッパで考えたこと2

台風8号、意見交換会

台風8号が、各地で大きな被害をもたらしています。被害を受けられた方々に、お見舞いを申し上げます。台風の進路だけでなく、それに刺激された前線で、遠く東北や中部地方でも被害が出ています。気象庁は、台風としては初めての、特別警報を出しました。
と書きつつ、被災地の方々には申し訳ないのですが、夕べも今晩も、意見交換会を決行しました。
天災とはいえ、お店は大変ですよね。仕入れをどうするか。予約の解約具合などをにらみながら、準備をされるのでしょう。ある人曰く、「生ビールの樽を配送しているビール会社や運送会社も、大変ですよね」。確かに。私たちが気持ちよく飲んで食べている後ろに、あるいはお気楽に予約を解約している後ろに、たくさんの人が支えてくれているのです。
幹事は天気予報をにらみつつ、延期の予告と、実施の通知を再度出すことで、大変だったでしょう。かつての同僚や部下とか、苦労をかけた人たちで、かつ日程調整が難しい人たちなのです。
幹事の判断で18:00とか17:45開始にしました。勤務時間中の職員は、遅れて参加。ごめん。まだ東京は小雨でしたが、20時には、お開きにしました。私は帰りましたが・・・。

社会はどのようにして進歩するか、させるか

近藤和彦先生の「グローバル化の世界史」を読んで、ロードレース史観の見直しについて考えました。社会や国家は、進歩します。しかし、諸国が同じ路線を順番に進んでいるのではありません。単純な、後先はないのです。
明治以降の日本は、「進んだ西欧、遅れた日本と東洋」という図式で社会を理解し、産業や技術だけでなく、社会制度を輸入し、西欧を追いかけました。技術や産業なら、先進と後進があるのでしょう。しかし、「社会」については、各国がそれぞれの置かれた条件(地理的条件、資源、気候、歴史、文化)の中で、それに適合した社会をつくりあげてきました。社会について、進んだとか遅れたという評価はあるのでしょうか、あるとしたらその物差しは何でしょうか。
一人当たりのGDPは、一つの物差しでしょう。また、物をたくさん持っている方が進歩していると、通常は評価されます。私もそう考えて、生きてきました。「豊臣秀吉でも飲んでいないおいしい酒を飲んで、徳川家康が食べたこともないアイスクリームを食べている」とか「クレオパトラが見たことのないロンドンを見て、始皇帝が乗ったこともない飛行機に乗った」と自慢しています。しかし、それは豊かさの比較です。それをもって、社会の進歩とみて良いのでしょうか。時代と地理的条件が違う社会で、単純にどちらが進歩しているか、比較はできるのでしょうか。
例えば、このホームページでは、労働慣行をしばしば取り上げています(2013年12月26日2014年4月20日)。日本型の内部労働市場と、欧米型の外部労働市場とで、先進と後発はあるのでしょうか。それぞれに、長所と短所のある慣行だとおもいます。どちらが進歩しているとは言いにくいです。
さて、社会の進歩に話を戻すと、それぞれの社会に「進歩」はあるが、それぞれの社会の間で「優劣の比較」はない、ということでしょうか。
また、国民の努力によって、社会は変えることができます。しかし、ご先祖さまから相続した歴史を白紙にして、新しい社会を作ることは困難です。文化の移植は、難しいでしょう。特に、国民の末端まで意識を変えることができるか(ここでは、社会の単位を、国家として考えています。もちろん、国家の中に、いくつもの社会が存在します)。
そうしてみると、フランス革命、ロシア革命、中国革命(1949年)は、どこまでそれぞれの社会を変えたのでしょうか。また、変えなかったのでしょうか。家族のあり方、親子の関係、宗教、習俗、教育への考え方、隣近所との付き合い方などなど。英雄や革命では、変えることは難しいです。
ところが、戦後日本の経済成長は、家族の暮らしや、村の生活を大きく変えました。現在もなお、過疎化、少子化、都市への集中、若者の非正規雇用の増加などは、社会と個人の暮らしを大きく変えています。インターネットやスマートフォンの普及もそうです。革命以上の変化をもたらしています。
そうしてみると、社会を変えるエンジンは何なのでしょうか。そして、私たちは、何をどのように変えれば良いのでしょうか。生煮えな議論で、すみません。

経団連会長の被災地視察

今日は、経団連会長の被災地視察に、同行しました。榊原会長は、先月に経団連会長に就任されたばかりですが、早速、被災地を訪問してくださいました。副会長も4人同行されました。女川と石巻をご案内しました。経済界の幹部の方々に、復興の進捗状況を、その眼でご覧いただく、ありがたい機会です。移動時間を利用して、バスの中で、現状と課題を説明しました。大企業の幹部に、こんな時間は、なかなかとっていただけません。
被災地の復興には、産業の復興が欠かせません。今日も、復旧なった工場なども、見ていただきました。経済界には、発災直後から、義援金、物資、ボランティア、各種基金による支援など(企業による復興支援)のほか、本業の復旧を通して、被災地の復興に大きな協力をいただいています。また、復興庁や現地にも、たくさんの職員を送っていただいています。それらについてお礼を申し上げるとともに、現地で求められている支援のお願いもしました。厚かましいですが。今日もまた、盛りだくさんの強行軍でした。