今日の放課後は、かつての職場のOB会「全勝課長を囲む会」でした。平成13年(2001年)から、総務省自治財政局交付税課長を、3年勤めました。その当時の部下たちです。10年も前のことです。
今にして思うと、よくまあ、あのような過酷な仕事に、みんな耐えてくれました。一端は、このホームページにも書きました(2006年8月22日。もっともこの記事は、課長補佐時代のことです。課長当時の記録の多くは消してしまったので、このホームページに残っていません。当時大きなテーマだった三位一体改革はこのページに、日記はこのページに、少し残っています)。
今日は会場に行くと、ほぼ全員が揃っています。私が当時、「会合は、15分前には行くんや」と言っていたのを、実行してくれたのです。席に着くと、座布団の上に資料(出席者名簿や当時の記録)が乗っています。これも、私が部下への指示書を、座布団の上に置いていたことの「実践」です。後は、ご想像の通り。
その部下たちが、それぞれ出世して、ある人は交付税課に戻って交付税制度を支え、ある人は別の職場(これがまた幅広いのです)で活躍しているのがうれしいです。「あの時の青い××君がねえ・・」と。人材供給源になっています。みんな、「あの時のことを思えば、楽ですわ~」と。
私が課長補佐の時に始めた「富士山頂で明日の交付税を考える会」を、今年も明日金曜日の夕方に実行するそうです。
私はその後、官房の総務課長、内閣府官房審議官・内閣官房審議官、総理秘書官、(少し飛んで)大震災被災者生活支援本部、復興庁と、内閣や官房業務に「転籍」しました。でも、私の仕事の原点は、自治省での地方勤務と、地方財政です。その原点と官邸勤務が、今の仕事を支えています。本拠地(原点)があってこそ、さまざまな場所での活躍ができると、私は思っています。
ありがとう、N幹事長、みんな。
月別アーカイブ: 2014年7月
覇権国家イギリスを作った仕組み、4
「覇権国家イギリスを作った仕組み、3」から続く。
4 王様は弱い
社会の問題を解決したのは議会であると、紹介しました。私たち日本人にとって、イギリスと言えば王室の国です。しかし、イギリスの王と女王は、目立つ存在ですが政治的には弱い存在です。君臨すれども統治せず。
まず、1649年にチャールズ1世が処刑されます。法廷で裁かれ、公開処刑です。1688年には名誉革命で、現国王を追放し、オランダから新しい国王を迎えます。議会の方針に従わない国王は、取り替えられるのです。国王は、権利の章典を制定し、自らの権限を制約させられます。
1701年には、名誉革命で作った国制を守るために、王位継承法を作っておきます。血縁関係の濃いカトリック系の王族より、血は薄くともプロテスタント系の王族を優先する規定です。それに従って、1714年には、ジョージ1世が即位します。ドイツ人であり、英語を話せない国王です。
何度か、カトリック系の王族が、王位奪還を目指して戦いを挑みます。スコットランドやフランスの応援を得てです。しかし、そのたびに王と議会の前に負けます。
議会が、国政の中心にあります。バジョットは、王と貴族院を尊厳的部分(ディグニファイド・パーツ)と、庶民院と内閣を機能的部分(エフィシェント・パーツ)と表現しました。
この項続く。
地方議会の改革
7月29日の日経新聞経済教室「問われる政策決定」は、砂原庸介・大阪大学准教授の、「地方議会政党軸に再生を。決定責任 所在明確に。国政の基盤安定の効果も」でした。
1990年代の衆議院の選挙制度改革は、中選挙区制のもとでは、政党ではなく候補者個人間の競争が激しくなるので、政党間の政策競争を促すために、小選挙区制に変更したものです。そのことを踏まえた上で、次のように書き出します。
・・他方、地方議会では「どのように民意を吸収するか」という問題意識から選挙制度が検討されたことはない。そこでは、依然として個人間の競争が中心で、この競争のあり方が地方政治だけでなく、国政での有権者の選択に弊害をもたらしていると考えられる・・
ポイントは次の通り。
・地方議会は政党内競争が激しく、候補者が乱立する
・選挙制度を改革し、政党の存在感を高めよ
・それが、国政での安易な離合集散を防ぐことにもなる
原文をお読みください。
覇権国家イギリスを作った仕組み、3
「覇権国家イギリスを作った仕組み、2」から続く。
3 では、どのようして、イギリスはフランスやドイツに勝っていくのか。
・・名誉革命すなわち反ルイ14世戦線の成立のあと、イギリスとフランスのあいだで、王位継承、海外領土、通商、そしてアメリカ独立、フランス革命、ナポレオン帝国をめぐる戦争が間歇的に続いた。中世の百年戦争にならって「第二次百年戦争」(1689-1815)と呼ぶ。
これがイギリス政治の第二の規定要因なのだが、その戦場は中世の百年戦争と違って、ヨーロッパ大陸や地中海からアメリカ、大西洋、南アジアに広がり、その余波は日本の長崎にまで及ぶ。地球上の要所で競い戦う英仏によって、世界近代史が画されることになる。
1698年から議会の承認があれば平時(戦間期)にも常備軍を維持できるようになった。長期にわたるグローバルな戦争を戦いぬくには、軍事力と外交力はもちろん、それを支える兵站、補給、動員、管理のレジームが要となる。その帰するところは、カネすなわち財政力であり、国富であり、また国民のコンセンサスである。
中世以来の関税と臨時税だけで長期の戦費をまかなうのは無理なので、議会は地租や窓税といった直接税を創設した。また1692年に初めて国債を発行し、94年にはその引受銀行としてイングランド銀行を設立した。今日の連合王国の中央銀行である。印紙や麦芽などの特定品目に課す消費税も行われた。その結果、ウィリアム三世期のイギリスは関税、直接税、消費税、そして国債に支えられる、近代的な財政国家となった。すべて議会の決定による。これをもってP・オブライエンとJ・ブルーアは、名誉革命後のイギリスに、絶対主義の官僚国家でも小さな政府の夜警国家でもなく、「財政軍事国家」が出現したという・・(p157)
・・たしかに18世の後半までイギリスの人口はフランスの半分にも満たず、陸軍はフランスが圧倒的であり、また服部春彦が明らかにしたとおり、カリブ(西インド)貿易においてフランスのパフォーマンスのほうが優っていた。だが、長い18世紀の第二次百年戦争は、兵站、財政、そして国民的コンセンサスといった難題を解決できる国に、究極の勝利をもたらすであろう。イギリスはすでに大陸諸国とは異なる国のかたちを描いていた・・(p159)
次回に続く。
内閣の方針による職員数の配置
7月25日に、新たな「人件費と機構・定員に関する方針」が決定されました。中長期の方針では、新聞報道にあるように、5年間で10%の定員削減をするとともに、府省の枠を超えて大胆に定員の再配置を推進するとされています。またあわせて、「平成27年度の人件費予算の配分の方針」が決められました。その中で、復興は次のように、特別な扱いをされています。
平成27年度の体制整備及び人件費予算の配分の方針において、「東日本大震災からの復興の加速化に適切に対応する」こと(1の1行目)。
新規増員の要求について、「1.に掲げる内閣の重要政策に係る取組を推進する体制の整備に重点化することとし、東日本大震災からの復興関連など時限のもの、上記の業務改革に係るもの及び新設組織に係るものを除き、前年度要求数を相当程度下回るよう、厳しく抑制する。」(2(2)④)