被災地での試み、地域医療

NHK番組の予告と宣伝をします。10月25日、今週の金曜日夜10時からの、NHKスペシャル「逆境からの再出発~高齢者を支える医師たちの挑戦」です。お世話になっている先生方も出演されるようです。番組紹介には、次のように書かれています。
・・医師の絶対数が不足し、震災前から医療崩壊の瀬戸際に立たされていた東北地方。2年半前の震災で多くの病院が流され、事態は深刻化していた。さらに、若年層が流出して高齢化が進み、将来、日本全体が直面することになる「超高齢社会」がひと足早く出現。複数の慢性病を抱え、病院に通うことも難しい場合が多い高齢者への医療をどうするかが大きな課題となっていた。
しかし、震災という逆境を機に改革の動きが始まった。超高齢化に対応できる医療の形を模索していた医療者たちが東北に結集し始めたのである・・

セクハラ、セ・パ交流戦

職場でのセクハラ(セクシャルハラスメント)や、パワハラ(パワーハラスメント)が、しばしばニュースになります。「私には関係ない」と思っていると、危ないですよ。
人事院のサイトに、「セクハラの診断書」があります。「理解度チェック」と「意識度チェック」。試してみてください。
自分自身が気がつかないうちに、部下に対してセクハラやパワハラをしている危険があります。さらに、前にも書きましたが(2013年2月2日)、職場で、セクハラやパワハラ、個人情報保護、部下のメンタルヘルスなどの事故が起こらないように気配りをする必要があります。いずれも、私たちが習ってこなかった項目です。良い教科書もないようです。
先日、駅のプラットフォームで、会社員たちが大きな声で会話していました。
A:あの部長って、パワハラがひどいよな。
B:そうだなあ。
C:彼は、セ・パ交流戦だから。
A:何それ?
C:セクハラもひどいから。
A:それで、セ・パ交流戦か。

日本とドイツ、戦後の近隣諸国との付き合いの違い

10月3日(すみません古くて)の朝日新聞オピニオン欄、駐日ドイツ大使のフォルカー・シュタンツェルさんの「これからのドイツは」から、日本に関する部分を引用します。聞き手は、有田哲文・編集委員です。
「戦後史を振り返ると、ドイツはずっと『経済的には大国だが政治的には小国』と言われてきました」という問に対して。
・・それは、私たちの「自制」という考え方から来るものです。
私たちは侵略者でした。戦後になると、周りの国すべてが私たちの犠牲者でした。もし、もうドイツのことを恐れてほしくない、協力してほしいと思うならば、自分の考えを他国に押し付けるのを控える以外にありません。もちろん、私たちの要求を一切言わなかったわけではありません。しかし、その時には欧州の多国間の枠組みで進めました・・
「日本にも同じような自制の態度が見えますか」という問に対しては。
・・もちろんそうです。日本もひどい戦争を引きおこし、そしてその戦争に負けた後、ドイツと似たような結論を導き出したのだと私は考えています。経済発展に専念し、国家を再建するけれども、決して自分の意思や利益を他国に押し付けることはしない。自制とは、賢い政策です・・
「でも、日本はドイツと違い、いまだに中国や韓国との歴史問題をかかえています」
・・不幸にも日本とドイツでは環境に大きな違いがあります。欧州では私たちだけでなく、フランスなど私たちの犠牲者であった国々も和解を望んでくれました。そして彼らと一緒に、EUをつくるという事業を成し遂げることができたのです。しかし、日本の場合は、アジア連合のような事業はありませんでした。中国は共産主義国家だし、韓国はかつて軍事独裁でした。これらの国は民主的なパートナーにはなりえませんでした。同じ立場に立って多角的な協力を政策として進めることは、私たちよりもずっと難しかったと思います・・

日本の大学、頭脳のガラパゴス化

10月9日の朝日新聞オピニオン欄、野依良治さんのインタビュー「頭脳、大循環時代」から。
・・日本ではほとんど注目されていませんが、学界トップの壮絶な引き抜き合戦が、国を超えて繰り広げられています。たとえば、米国の名門ロックフェラー大学が2003年に学長として引っ張った英国のノーベル賞学者を、英国は7年後に王立協会会長として取り戻しました。米ロ間では、米在住のロシア人科学者をめぐる攻防がありました・・
・・現代は知識に基盤を置くグローバルな社会です。人や資源、情報は簡単に国境を超え、一国の発展を担う科学技術も国家の枠内にとどめておくことが難しい。優秀な人材をあらゆる階層で引き抜きあい、異才を融合して新たな知につなげようという頭脳の大循環を引き起こしているゆえんです。とりわけ、新しい時代の研究機関の経営ができる力量ある人材は限られています。こうした動きに新興国も積極的に加わりつつありますが、日本はその認識が乏しい。世界の潮流から取り残され、独自の道を歩む「ガラパゴス化」を指摘されても仕方がない状況です・・
・・グローバル化と国際化は連続していますが、区別して考えなければなりません。国際化は自分たちの国の特質を堅持したうえで、諸外国と関係をつくること。グローバル化は世界の一体化です・・
・・日本の国立大学の学長の8割に留学経験がない、というのも際だっています・・

・・かつては個人戦でしたが、いまや団体戦です。異なる分野との連携や融合がものをいう。若者や女性、外国人の参加が絶対に必要です。違う感性を持っているからです。パスツールは「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」といいました。研究者の発想のもとには文化があります。一番大事なのは、さまざまな文化を背景に持つ人たちが直接顔を合わせて連携することです。違うものとの出会いが新たな価値を生む。本人がいかに優れているかより、いかに触発されるか。同質の統合ではなく、機能を重視した横断型ネットワークが欠かせません。
いかなる国でも、外からの多様な人材が必要ですが、残念ながら、いまの日本の国立大学には、外国人を呼び込むだけの魅力がありません。これまでの慣習と成功体験の呪縛によって、世界の潮流に乗れていません。科学の共通語は英語ですが、大学院ですら日本人の、日本語による、日本人のための教育と研究です。これでは若い外国人は来ません。留学生の割合は米国で3割、欧州では5割ですが、日本では東京大学でも14%です・・
これもまた、日本のこれまでの成功の裏返しです。日本は、英語を使わずに高等教育ができる、数少ない国です。政財界のエリートも、日本語で用が足せました。