パラダイム転換から始まって、新しいモノやサービスが国民のものの見方を変えることまで、話が広がってしまいました。実は、次のようなことを、言いたかったのです。
なお、ここで取り上げている「ものの見方」は、個別のモノについての考え方より、「社会の見方」とそれに関わっている「人の生き方」「人と社会とのつながりのあり方」についてです。
「政治体制の革命」は、社会の仕組みとともに、人々のものの見方を変えます。明治維新、戦後改革です。しかもこの場合は、「価値観が変わった」といわれることもあります。あるテーマについて見方が変わるだけでなく、体系的に変わるのです。
ところが、そのような短期間に革命的に変えるのではなけれども、「いつの間にか変わっていた」という場合があります。その前と後を比べると、革命的に国民の考え方が変わったのだけど、それを表す象徴的な事件やモノがない場合です。
たとえば、日本人の時間を守る習慣です。先日紹介したように、明治初年の日本人は、時間にかなりルーズだったようです(7月15日)。それが、今や世界で一番時間を守る国民、列車が正確に運行される国となっています。
衛生観念が広がり、医療が発達し、死亡率が減ると、人の命の価値や死生観が変わりました。人はそう簡単には死なない存在になりました。また、私の子どもの頃は、お爺ちゃんとおばあちゃんは自宅で死ぬものでしたが、今ではほとんどの人が病院で死にます。家族の看取りを、多くの子どもは経験していません。
進学率が高まることで、高校教育をうけることが、当然のこととなりました。介護サービスが定着することで、高齢者の介護は家族だけの仕事でなくなり、行政とともに支えることになりました。あるいは、家族だけではできないという考え方が広がって、行政が支えることになりました。そして、全体的には、戦後の高度成長と近代化や都市化によって、生活の仕方と考え方が大きく変わりました。
他方で、男女同権は、昭和憲法に規定されました。しかし、実際の生活や世間の考えでは、そうなっていません。改めて、男女共同参画という言葉によって、改革中です。
これらのように、ある出来事やある思想が導入されたからではなく、暮らしの変化が、じわじわと日本人の考え方を変えました。あるいは、考え方の変化が、暮らしの変化を加速しました。「よそのうちもしている」「みんなが、そうしているから」と。「いつから変わったから」と聞かれると難しいのですが、いつの間にか変わっていました。先日、「イギリス社会はどう変わったか。英国病の前と後」(6月23日)で、清水知子著『文化と暴力―揺曳するユニオンジャック』を紹介しました。これも、その例です。
社会評論には、変化の兆しをとらえて、「そんな見方もあるのか」「そのような社会の変化が始まっているのか」と、蒙を啓かれる指摘があります。このホームページの「社会の見方」欄は、そのようなものを紹介しようと作ったものです。
他方で、社会が変わっているのに、通説となったものの見方が、現実の変化を隠蔽することもあります。「一億総中流」「平等な国日本」「教育に熱心な日本」は、それが崩れていたのに、その後も信じられていました。
ということで、このシリーズでは、国民のものの見方を変えるのは何か。それを、考えていました。すみません、とりとめのない文章になって。日々の思いつきを書くホームページでは、ふさわしくないテーマでした。私のライフワークの一つは、社会の変化と行政の転換です。例えば、『新地方自治入門-行政の現在と未来』。引き続き、考えてみます。