年末のご挨拶

今日は大晦日。平成22年(2010年)も、終わりです。皆さんにとって、今年は、どのような年だったでしょうか。
長い期間で見ると、21世紀に入って、もう10年が経ちました。日本は、バブル崩壊から20年が経ちます。霞ヶ関では、省庁改革から10年です。時間が経つのは早いです。これらの評価も、しなければなりません。
私は、消防大学校長から、7月末に自治大学校長に異動しました。研修生の皆さんに、少しでも良い研修を受けてもらえるように、課目の見直しに力を入れています。校長自らの講義も行っているので、思った以上に、忙しくさせてもらっています。もっとも、教職員の方が、もっと大変でしょう。校長から、次々と指示が降りてくるのですから。申し訳ありません。
副業では、春から日本大学法学部大学院での講義(毎週土曜日)、秋から慶応大学法学部での講義(毎週水曜日)を持っています。講義ノートや配付資料の準備で、結構な時間が取られます。講義をした社会のリスク論は、月刊誌『地方財務』に連載中です。また、近年の行政改革を鳥瞰した論文も書き上げました。長く放ってあったのですが、原稿の依頼を受けたのをきっかけに、まとめることができました。もっとも、まだ不十分なものですが。また、講演にも呼ばれ、時々出かけていっています。
講義と原稿で、休みが無くなるのですが、ふだん考えていることをまとめるには、良い機会です。このような機会や締め切りがないと、整理しないで終わるのでしょう。声がかかるのは、ありがたいことです。中国とネパールへの出張もあり、外から日本を考える機会もありました。
時間を取られるというと、このホームページの加筆も、積み上げると結構な時間になります。毎日30分ほどは、かかっていますから。内容は立派なものでなく、毎日の日記になっています。私にとっては、その時々に考えたことのメモになっていて、役には立っているのですが。昨年末120万人余りだったカウンターは、今日140万人を超えています。拙い文章を読んでくださる方々に、感謝します。
家族を含め、元気に一年を過ごすことができました。娘が結婚することになり、家を出たのが寂しいですが、これも喜ばなければなりません。
皆さん、良いお年をお迎え下さい。

撥水加工をした脳

今年(平成22年)春から、NHKラジオのビジネス英会話(入門と実践)を聞くようにしました。通勤で電車に乗っている時間が長くなったので、一念発起(というほどのことでもありませんが)、CDをiPod(アイポッド)に入れて、通勤途中に聞いています。
総理秘書官の時に、総理に随行して外国に行くと、昼食会や晩餐会で、相手国の政府要人とテーブルを囲みます。ヨーロッパだけでなく、韓国や中国でも英語で会話します。自分の英会話能力の低さに、歯がゆい思いをしました。
今日の話は、英会話が上達したということではありません。その逆です。ある先輩に、英会話の勉強を始めたと話をしたら、「全ちゃん、無駄なことは止めたらどう。この年になったら、無理だよ」と笑われました。そうなんです、何度聞いても、なかなか頭に入りません。
別の同級生との会話でも、盛り上がりました(苦笑)。「若い時は、何でもすらすら頭に入ったよなあ」「あの頃の頭が、水をどんどん吸収するスポンジだったら、今は石か鋼鉄だね」「それも撥水加工がしてあって、水をはねとばすぞ」「僕は幼稚園の頃が一番吸収能力があった」「僕は高校生の頃かなあ」と。

年賀状終了

今日最後の150枚を投函し、ようやく年賀状を出し終えました。 日本郵便さん、できるだけ元旦に届けてください。虫の良いお願いですが。
今年は少し減量して、800枚で勘弁してもらいました。たくさん頂いていながら、返事を出さず、申し訳ありません。表書きと添え書きを1行。でもこれだけの分量になると、結構な労働であるとともに、気力が続きませんねえ。
さて、年末恒例の苦しみが終わると、次の仕事です。締め切りの迫っている原稿が2本あるほか、年明けの講義や講話が7つほどあって、その準備をしなければなりません。ほいほいと引き受けて、自分で忙しくしています。でも、こうして自らを追い込まないと、だらけてしまうので。
ところが、休みに読もうと買ってある本の他に、年賀状を出し終えた喜びで、紀伊国屋に行ってまた買い込んでしました。反省。

一つのモデル、スウェーデン

高岡望スウェーデン公使が、『日本はスウェーデンになるべきか』(2010年、PHP新書)を出版されました。高岡公使は、約10年前に省庁改革本部で一緒に仕事をし、ご苦労をかけました。全省庁を対象とした改革だったので、外交官である彼も、参加してくれたのです。
日本では、かつてスウェーデンは、福祉の先進国としてお手本とし、あるいは国連平和協力の先進国として視察先の一つでした。実は、地方分権の進んだ国でもあります。リーマン・ショック後、市場重視型経済モデル・「小さな政府」に疑問符がつき、高負担高福祉・「大きな政府」のスウェーデンが脚光を浴びています。
しかし、制度を輸入しただけでは、スウェーデン型の社会には、なれないようです。高岡公使は、スウェーデンの生き方の、より深いところにある「スウェーデンの本質」を、この本で論じておられます。2年間、彼の地で暮らした経験からの、考察です。先日までは、ノーベル賞授賞式の対応に追われておられたとのことです。今は、氷点下の寒さだそうです。
PHP新書は、たいがいの本屋に並んでいるので、ぜひご覧下さい。

自由で孤独な時代

12月26日の朝日新聞1面は、連載「孤族の国」を、大きく取り上げていました。すでに一番多い家族形態は、両親と子ども2人の標準家庭ではなく、一人世帯です。それは、独身の若者と、連れ合いに先立たれた高齢者です。外食産業やコンビニなど、一人暮らしもしやすくなりました。そして、一人暮らしは気楽です、自由です。しかし、病気になったら、高齢になったら、一人では暮らしにくいです。さらに、自由は孤独です。イヌやネコは話し相手になってくれますが、お風呂や便所で倒れた時、助けてはくれません。孤独死が大きな話題になり、その対応が行政の課題になっています。生活保護制度や介護保険制度を整えましたが、このような制度では対応できません。

私は、連載「社会のリスクの変化と行政の役割」で、現代が自由な生活を達成した、しかしそれが、孤独というリスクを生んでいることを取り上げています。詳しくは、第3章3「豊かな社会の新しいリスク」(1月号掲載予定)をご覧下さい。
近代は、それまでの身分、イエ、ムラ、職業、宗教といった束縛から、個人を自由にしました。しかし、それらの自由が実質的になったのは、工業化に成功して、農業を離れることができるようになってからです。農業を継いでいる限りは、イエやムラの束縛から自由にはなれませんでした。職業を選ぶことができるようになって初めて、住所を選ぶことができるようになり、イエから離れることができるようになったのです。もっとも、都会に出てからもしばらくは、会社という疑似イエ・疑似ムラに属していました。
それらの束縛から逃れることは、自由になることですが、他方で困った時に助けてもらったり、相談できる人や集団がなくなるということです。核家族では孤立します。そして、家族を持たなくなると、個人はさらに孤立します。街の中で誰も私を知っていないので、周りの目を気にすることなく自由な行動が取れます。それは同時に、誰も私のことを知っていてくれない、孤独だということです。

私は、庶民の暮らしから考えると、日本の歴史は大きく3つに分けることができると考えています。縄文時代と弥生時代(広い意味で、稲作の時代)と高度成長以降(多くの人が農業を離れ農村を出た時代)です。その意味は、次のようなことです。
江戸時代の農民が平安時代の村にタイムスリップしても、昭和前期の農村にタイムスリップしても、そんなに苦労せず生きて行けたでしょう。稲作によって規定されていたムラの暮らしは、そんなに大きくは違いません。電化製品もありませんでした。江戸に幕府があろうが、明治維新が起きようが、村の農民の暮らしは大きな影響はありません。
しかし、高度成長期以降の私たちの暮らしは、大きく変わったのです。会社に勤め、電化製品に囲まれて暮らすようになりました。ところが、社会の形態や人間関係は、完全には新しい時代に適応できていません。家族形態、親類との付き合い、近所づきあい、さらには祭やお墓なども、農村時代のものが基礎となっています。
例えば、叔父叔母や従兄弟たちとの付き合いが、この半世紀の間に大きく変わった(希薄になった)と思いませんか。本家や分家との付き合い、お墓も。農地が基本的財産だった時代が終わったことで、親類とのつながりも変わったのです。そのうちに、お盆や正月に田舎の実家で過ごすという風習も、少なくなるでしょう。

記事(2ページ)では、孤独死が40代から急に増えること、そして男性が多いことを指摘しています。どうも、男性の方が不器用なようです。
このような家族形態とともに、他者や社会とのつながりを持てない人、作りにくい人たちが増えていることも大きな問題です。引きこもりやニートの人たちです。春日キスヨさんは『変わる家族と介護』(2010年、講談社現代新書)で、親に依存する同居中年シングル男性を取り上げておられます。
社会関係資本が壊れた社会は、不安な社会です。豊かな社会の大きな課題だと、私は考えています。