中国・ネパールで考えたこと2010年

(中国出張)
ご無沙汰していました。8日(月曜日)から今日(12日)まで、中国に出張していました。このホームページは、自宅のパソコンからしか加筆できないので、その間、更新できませんでした。このページを訪れてくださった方には、お詫びします。
携帯パソコンを持っていったのですが、インターネット環境が悪く、メールをうまく見ることができませんでした。私あてに電子メールを出していただいていながら、私からの返事が来ていない場合には、申し訳ありませんが、再度お送りいただけますか。

仕事は、中国財政部(財務省)との、地方行財政に関する定期意見交換です。中国中央政府には、総務省(旧自治省)に相当する役所がないので、地方財政については、財政部が相手になります。中国は、地方政府の支出割合が大きく、経済発展が著しいのですが地域間不均衡もあり、国と地方の税源配分や財政調整が大きな課題です。16年前に国税と地方税について、大改正をしました。国庫補助制度や地方交付税に似た制度もあります。
地方政府は、簡単に言うと、省、市、県、郷と鎮の4層になっています。しかし、法人格が分かれておらず、仕事や財政が混在しています。また、急速なインフラ整備のために、地方政府自身だけでなく、出資をした別法人による事業も大きいです。

北京では、丹羽宇一郎大使(経済財政諮問会議でお仕えしました)、山崎和之公使(一緒に総理秘書官をしました)にも、お会いすることができました。中国は訪問するたびに、急速な発展を遂げています。今回は、北京のほか、山東省(斉南や青島など)にも連れて行ってもらいました。この時期には珍しい黄砂にも、あいました。
中国についても、そして日本についても、考えることもたくさんありました。外から日本を見ると、そして日本を追いかけている中国から見ると、日本の中にいるより、より日本が見えます。それらについては、追々書きましょう。(2010年11月12日)

(中国の国地方財政関係)
中国で学んできたことの一端を、書いておきます。
中国では、1994年に税制改正を行いました。それまでは、地方税収が、国と地方を合わせた全税収の7割から8割を占め、地方政府が中央政府に上納していました。1994年に大改正をし、大幅に国税に移管しました。この結果、国と地方の税配分は、約5対5になりました。
中央政府は、そこから地方政府に対し、「税収返還」を行い、さらに「財政移転」行います。これで、国と地方の支出割合は2対8になります。
このうち税収返還は、国税の一定割合を地方政府に還付するものです。性格としては日本の譲与税に近いですが、日本では少額です。また財政移転には、支出項目を限定したもの(専項移転。日本の国庫補助金に相当)と、自由に使えるもの(財力性移転。日本の交付税に相当)があります。地方政府全体では、中央政府からの財政移転は、収入の約半分を占めています。
この結果、財政力の強い東部と、弱い中部・西部との差は縮まっていますが、まだ格差は残っています。
中国の地方行財政については、自治体国際化協会が、良い紹介を作っています。(2010年11月14日、15日)

(中国で考えたこと)
中国に行くたびに、そのめざましい経済発展ぶりに、驚かされます。しかし、振り返れば、日本もかつてそうだったのです。
日本の経済発展の軌跡と中国の軌跡を並べると、なお10数年は、中国の発展は続くでしょう。すなわち、日本が欧米に並ぶまでは、絶好調だったと同じようにです。(「戦後日本の経済成長と税収」のページの図表GDP1955-2009.pdf )
課題は、その後です。キャッチアップ型の政治経済から、先進国型に転換できるかどうか。日本は今、それに悩んでいます。もちろん、日本よりはるかに大きい人口、広大な国土で、発展することはより困難でしょう。また、貧富の差、地域間格差、日本より早いであろう高齢化、成熟していない年金制度などの困難もあります。いつまで、現在のような政治体制が続くかもです。

中国とアジアの経済発展は、日本の産業に大きな打撃を与えています。しかし、アジアの国々が発展することは、地域の安定にも、これからの日本にとっても、プラスでしょう。貧しい国々の中で、一人だけ先進国になっていても、アジア全体の安定にはなりません。いつまでも「民主主義と経済発展をした唯一の非白人国」では困るのです。
私はかつてアジア諸国を訪れるたびに、「いつになったら、この国々の人と、対等にしゃべることができるようになるのだろう」と、考えていました。あまりの経済格差は、対等な会話を成り立たせません。韓国が日本に肩を並べたので、韓国の人とは会話しやすくなりました。かつては、お互いに遠慮というか、いろいろ意識して話していました。
日本人は、しばしばヨーロッパに憧れますが、アジアがヨーロッパのようになるためには、近隣諸国がある程度同程度の経済水準になる必要があります。この経済発展ぶりだと、そう遠くない日でしょう。これまで一人勝ちだった日本にとっては、さみしいことでもありますが。
アジア諸国が同程度の水準になった時、その中でどれだけ日本が先に進むか。いよいよ、日本の実力が試されるのです。(2010年11月30日)

(中国らしい近代化はあるか)
先月、中国を訪問し、その経済発展ぶりが素晴らしいことを、このホームページでも書きました。日本の高度成長期との類似も。もう一つ考えたことがあります。それは、「経済発展・近代化は欧米化なのか」ということです。
確かに、中国の経済発展、今回見たのは北京であり青島ですが、素晴らしいです。しかしそこに、中国らしさは見あたりません。一つ一つのビルは大きく立派であり、デザインもしゃれています。そして、土地が広いので、それら高層ビルが整然かつゆったりと建てられています。その点は、日本の都会やマンハッタンとは違います。
しかし、鉄筋コンクリートとガラスという素材にしろ、高層ビルという立て方やデザインにしろ、アメリカで見ても違和感はありません。ホテルや食堂、政府関係の建物にしか、入らなかったのですが、その中の仕組みも同じです。

ホテルの中の「仕組み」が世界で共通なのは、旅行者にとって、とても助かります。これは、カトマンズでも同じでした。フロント、ボーイ、カードキー、部屋中の配置、風呂と洗面所、レストラン、ビュッフェスタイルの朝食、清算の仕方・・。西欧システムというのか、イギリス・アメリカシステムというのか、日本でもどこでも同じです。外国にいることを忘れてしまいます。もちろん、私たちも、日本国内でも、その仕組みに慣れたということです。かつては、西欧式のお風呂の入り方を教えてもらい、便器の使い方は図解してありましたよね。日本風の旅館とは違うのです。

さて、本題に戻ると、かつて中国に行くと、随所に中国らしさがありました。しかし、近代化が進み、それらはどんどん無くなっているようです。日本も同じですが。土産物を考えてください。書画や陶磁器が代表的なものでしょう。しかしこれらは、ノスタルジアをかき立てるものであっても、現代の中国を象徴してはいません。
かつて中国は、西欧とは違う中国文明を生みました。それは、西欧の文明をしのぐ、素晴らしいものであったと思います。しかし、現在の発展は、西欧文明へ飲み込まれることであり、近代化とは西欧への収れんのようです。現代中国は、近代西欧文明に新しいものを付け加えたり、違った路線を提示していません。キャッチアップ型の発展でしか、ないのです。
すると、前回(2010年11月30日)書いたように、一人当たりGDPがアメリカに追いつくまでは、このまま成長するでしょう。その後は、日本と同じように、停滞する可能性が大きくなります。(2010年12月27日)

(ネパール出張)
ご無沙汰していました。11月20日から今日26日まで、ネパールの首都カトマンズに出張してきました。EROPA(エロパ)という、アジアと太平洋諸国を対象とした行政学会があります。本部はフィリピンで、すでに50年を超える歴史を持つ国際機関です。研究者や組織の他に、国家も参加しています。日本も国家会員で、自治大学校がその事務を引き受けています。さらに、下部機関である地方行政センター(The EROPA Local Government Center )も自治大にあるのです。各国からの研修生の受け入れや、英語による研究の出版も行っています。

毎年、持ち回りで会議があり、今年はネパールが開催国でした。私も、執行理事会と総会で、英語で報告と挨拶をしました。短いスピーチで、事前に用意した原稿を読んだのですが。その他、執行理事会で、意見を少し発言しました。会議はすべて英語です。通訳を使った発表者が、1人だけいましたが。このような会議に慣れていない、場数を踏んでいないので、困りますね。
聞いていて、7割くらいわかる発表や5割くらいわかる発表があり、それ以下しか理解できない発言があります。一緒に行った先生方に、通訳してもらいました。皆さん結構な癖があって、「セントル」と聞こえるのが、「center」であったり、破裂音が多くて聞き取りにくかったり???。NHKラジオの実践ビジネス英会話に、インド人社員が出てくるのですが、「なるほど、これがインドの人の英語か」と、納得しました。
2013年には、日本で開催されることが決まっています。その準備も大変です。

今年のテーマは、「行政と危機管理」「リーダシップ」「連邦制」などでした。特に危機管理は、参加各国は地震、津波、地滑り、洪水、新型インフルエンザなど、様々な災害と危機にさらされています。その経験を基にした発表が多かったです。経験の共有になったことと思います。自然科学の学者も参加していましたが、この会議は行政学の会議です。災害を含む危機管理が、行政の重要な課題であると認識されているのですね。私も、興味を持って連載をしているところなので、参考になりました。

会議が終わった後も、主催者である総務大臣(Minister of General Administration。この写真の方)が声をかけてくださって、「公務員研修所に当たる施設をぜひ見て欲しい」とのことでした。隣町にある研修所は、施設も人員も充実していました。ネパールでは、上位の職に移るためには、ここで研修を受け、候補者名簿に載らないと、昇進しません。教授陣の学歴も、高いです。もっとも、それに当たる高級公務員は少なく、圧倒的多くが下級公務員で、その人たちの研修が課題のようです。
ネパールでは日本がたくさんの援助をしていて、この研修所についても、協力して欲しいとのことでした。そのために、私を案内してくださったのです。

もちろん、ネパールに行くのは、初めてです。ネパールと言えば、万年雪を頂いたヒマラヤやエベレストを思い浮かべます。「11月という寒い時期に行くのはかなわないなあ」と思いましたが、大間違い。東京より温かかったです。朝晩は冷え込みましたが。カトマンズは、高度が1,300メートル、緯度は奄美大島やカイロと同じだと聞きました。地図で見ても、インドのニューデリーより南にあります。昨年60数年ぶりに雪が降って、地元の人は大騒ぎだったとのことです。8,000メートルを超える山々があるので、3,000メートルくらいでは、丘だそうです(笑い)。
内戦が終わり、新しい憲法を制定する過程にあります。日本の自衛隊も、PKOで監視に参加しています。カトマンズは、大都会です。煉瓦と木でできた3階建てや5階建ての建物が、隣と接して建っています。街には自動車があふれ、大渋滞を起こしています。クラクションが、けたたましく。会議も定刻には始まらず、「南アジア的混沌」の一部を経験してきました。