わが国成功の負の遺産

3日の読売新聞は、読売国際会議「明日への責任」で、消費税の引き上げと社会保障のあり方を、大きく取り上げていました。4日の日経新聞は、国際シンポジウム「安保改定50周年、どうなる日米関係」を、大きく紹介していました。
私は、戦後日本が成功したことの「負の遺産」の代表は、国民に負担を問わなくて良かったこと=負担を考えないことと、戦争がなかったこと=外交と防衛を考えないことの2つだと考えています(拙稿「行政構造改革」では、負担を考えないこと、国際貢献を考えないこと、自分で考えないことの3つを上げました)。
経済成長がある時は、税負担を増やすことなく、行政サービスを拡大できました。成長が止まってからは、国債と地方債で行政サービスを続けています。そして、社会保障支出は確実に増えています。サービスを増やすには負担が必要。これができないのが、今の日本です。税負担だけでなく、貿易の自由化をすると農業に負担が来る、これをどう解決するか。これからの政治は、税制も社会保障も「負担の配分」です。国際貢献も、お金とともに人を出さないと、評価されません。「危険だから嫌です」は、通用しません。
近隣諸国は友好的で、善隣外交をしておれば平和が保てるという信仰も、幻想でした。いよいよ、日本の政治、国民の政治意識が問われる事態になりました。もっとも、バブルがはじけて20年が経ち、第一次湾岸戦争で巨額の資金を出しながら感謝されなかった時からも20年が経ちます。

2010.11.06

今日は、日本大学大学院講義、第7回目。第2部「自治体は地域を経営したか」に入り、第3章「市役所は「良い地域」を作っていたか」です。
良い地域という場合に、公共施設(施設資本)や公共サービス(制度資本)だけでなく、働く場や街の賑わい、さらには、他人との関係(関係資本)や気風・文化(文化資本)も重要です。住民にとって「まち」とは、ハードウエアの集積ではなく、働く場であり、便利さや困った時の支援といった見えない社会的共通資本の網の目です。この点は、拙著「新地方自治入門」で詳しく述べました。
私はよく、ごみ収集を例に出します。引っ越してきた新住民や外国人にとって、ゴミ出しルールがわからないと、本人が困り、周囲も迷惑を受けます。他方、市役所にとって、収集車と処理場をそろえただけでは、ごみ収集をうまく行うことはできません。住民が分別ルールと出す日を守ってくれないと、効率的な収集はできず、街角は汚くなります。
写真に写った街並みを見ても、その街の暮らしやすさはわかりません。余暇を充実して過ごしたい時に、パチンコ屋とカラオケだけでは困ります。いろんな文化・スポーツ活動、趣味の会・クラブ、ボランティア活動やNPO活動、地域活動、ご近所づきあいがあれば、楽しく過ごすことができます。
地域を経営するという場合に、市役所はこれまで、このような無形の社会的共通資本を、どこまで意識してきたでしょうか。残念ながら、市の予算書では、このような無形資本への働きかけは見えません。また、公共施設整備率では、各市町村の無形資本「充実度」は見えません。

自治大学校第3部課程卒業式

今日は、第3部課程の卒業式でした。県や市町村の課長級の研修です。職場を離れることが難しいので、3週間という短期間の研修です。今日、スーツ姿の皆さんを見ると、見違えるような姿でした。
聞くと、皆さん、あっという間だったと、おっしゃいます。密度が濃いのでしょうね。特に、演習や模擬記者会見(2010年11月2日の記事)の評価が高いようです。県の研修所や職場ではできない研修、ですからね。研修生による授業評価も出してもらっているので、あとでじっくり読ませてもらいます。
自治大学校での研鑽と切磋琢磨を糧に、活躍し出世されることを、期待しています。

国民の不満、政権批判

アメリカの中間選挙の結果を見て、考えました。各紙とも「民主党大敗」という見出しです。2年前に「チェンジ」を合い言葉に、オバマ大統領を選んだアメリカ国民が、今回はオバマ民主党にノーを突き付けました。オバマ大統領は、国民皆保険や大型景気対策など、実績を積み重ねています。しかし、景気が回復しないことを主な理由に、国民は批判しているようです(2010年10月5日の記事)。
振り返ると日本では、2009年に自民党から民主党に政権交代がありました。その1年後の参議院選挙では、国民は民主党政権にノーを突き付けました。新聞の見出しは、「民主党大敗」でした。
2009年の衆議院選挙では、国民は自民党政権にノーを突き付け、2010年の参議院選挙では、民主党政権にノーを言う。そこにあるのは、政策の選択ではなく、また野党が勝ったのではなく、政権党が負けるという構図です。もちろん、その他のいろんな理由もあるでしょうが。
日本にしろアメリカにしろ、2大政党間に、いまやそんなに大きな政策の違いは出せません。行政サービスを増やすには、あるいは維持するにも、国民負担を増やすしかありません。政府は景気対策を打ちますが、現在のグローバル経済、新興国の台頭の下では、政府が景気を制御することは困難です。そして、かつてのような経済成長はありません。
国民の不満といらだちが、現政権への批判となって現れるのでしょう。しかし、政権が変わったとしても、状況は変わりません。忍耐強く改革を続け、負担に耐え、政府を見守るしかないと思います。水戸黄門は現れないのです。
そうしてみると、日本はアメリカより、一歩先を行っているのかもしれません。また、長引くデフレ経済も日本が特殊なのではなく、日本がアメリカの先を行っているのかもしれません。課題先進国日本の一端と、見ることもできます。もちろん、その課題を克服してこそ、本当の課題先進国になるのです。日本人の力量が試されています。

休みは増えたが労働時間は減っていない

10月25日の日経新聞経済教室は、黒田祥子准教授の「日本人男性の労働時間。一日当たり、一貫して増加」でした。
1987年の労働基準法改正で、週間法定労働時間は、48時間から40時間になりました。90年代初めには、週休二日になりました。労働者の年間休日数 は、1985年の92.2日から、2009年の113.7日と、21日も増加しました。1日8時間とすると、170時間の労働時間削減です。
一方、20歳から49歳の壮年男性社員の平均労働時間は、1980年代末に週52時間近くあったものが、1990年代に48時間に減り、2000年代には 50時間に戻っています。そして、1日当たりの労働時間は、1970年代の8時間から年々増加し、2006年には9.1時間にまで増えています。その分、 睡眠時間が7.9時間から7.2時間へと減っています。1日当たり13時間以上働く人の割合も、2%から8%に増えています。
休日は増えたけれど、その分だけ平日の労働時間が増え、睡眠時間を削っているという姿が見えます。疲労が蓄積されるのです。