「復興事業の教訓、人口の減少」の続きです。次は、宮城県沿岸部です。
この図表でも、被災の10年前、直前、10年後を比べてあります。宮城県全体では、100、99、97で、微減です。沿岸部人口は表の下に示しました。減っていません。ただし仙台市を除くと、100、97、88と減っています。
そして各市町村を見ていただくと、仙台市とその近くの市町は増えていて、仙台市から遠い北と南の市や町が大きく減っています。
町が大きく壊れた町ほど復興工事が長引き、人口の流出が大きいという指摘がありますが、それも事実でしょう。他方、宮城県を見ると、それだけでは説明できません。地理的、経済的条件が大きいと思われます。働く場と都市的魅力がある地域、そこに近い地域が人を集め、そうでない地域は人口減少が続きます。
これは津波被災地だけの問題ではなく、日本全国で起きていることです。被災地は、それが劇的に起きたのです。
話は変わりますが、原発被災地では、県内のゴルフ場や那須高原に新しい町を作って、移住する案がありました。私は担当ではなかったのですが、意見を聞かれて反対しました。働く場所のない町は、持続しないからです。かつて、東京や千葉県にニュータウンがいくつも作られましたが、それは東京という働く場があったからです。それがないと「ベッドタウン」寝るだけの町になり、持続しません。この項続く。