カテゴリーアーカイブ:災害復興

若い人たちの大震災学習

2015年7月14日   岡本全勝

今日14日午後、復興庁に、神戸大学付属中等学校の生徒さん(高校1年生)8人が、研究に来られました。神戸は阪神・淡路大震災の被災地ですが、彼ら彼女たちは、あの大震災を経験していません。「私たちは、何ができるか」をテーマに、勉強しているとのことです。防災教育、震災遺構、資料保存、賑わいの復活など、いくつかの課題について、質問を受けました。よく勉強していて、質問も的確でした。復興庁側は、私では年齢が違いすぎるので、若手職員をそろえて、質問に答えました。
補足です。デジタルアーカイブは、国会図書館ひなぎく。情報(特に写真など)の保存は、便利になりました。ぜひ活用してください。でも、百聞は一見にしかずです。被災地に賑わいを取り戻すための復興庁の取り組みは、「新しい東北」です。
実は、勝山副校長が高校の1年先輩で、「対応せよ」との指令が届きました。勝山先輩は通学電車(近鉄橿原線)が一緒で、何も知らない私は、たくさんのことを教えてもらいました。15歳の時ですから、45年前のことです。今日訪ねてきた生徒たちが高校1年生ですから、当時の私と同じ年です。私は、今日の生徒さんほどしっかりしていませんでした。

企業やNPOによる産業復興支援

2015年7月11日   岡本全勝

被災地の産業復興のために、被災地外の企業やNPOによる支援が、積極的に行われています。今日は、そのいくつかを紹介します。
宮城県南三陸町の食を売り出す「南三陸ブランド戦略協議会」を、キリングループと日本財団が支援してくださっています。事業の概要は、地元の漁業者、農業者、食品加工業者などが協働し、海産物のみそ漬けや缶詰などの加工品を開発し売り出します。河北新報の記事が簡潔でわかりやすいです。キリンの支援概要。お金の支援だけでなく、商品開発、ブランド化、販売、人材育成がセットになっていること、それらの関係者と協働して行うことが、ミソです。発表資料の下についている「事業概念図」をご覧ください。
もう一つは、日本財団の女川町支援の成果「水揚げ高は震災前を上回る、官民一体で新しい町づくり」。
7月10日、11日は、「東の食の実行会議」が開かれています。目的は、「東北の食産業の復興に向け、成功事例を共有し、企業のリソースを集約して、大きな経済インパクトを持続可能な形で生み出す。さらに、長期的に東北が目指すべき共通のビジョンを形成する」です。藤沢烈さんの報告小泉進次郎・政務官の報告

原発被災地域の将来

2015年7月9日   岡本全勝

原発被災地の将来像をどう描くか。有識者の知見をいただきながら、検討しています。「12市町村将来像検討会」。その議論の前提として、この地域の放射線量がどうなるか、一定の前提で予測しました。「空間線量の見通し」。これを見て頂くと、事故後10年で赤い地域はなくなり、20年後にはオレンジ色の所もなくなります。同様の予測としては、平成24年4月に原災本部が公表した「空間線量率の予測」があります。その予測と、大きくは変わっていません。24年予測に比べ、この間に予想より減っているので(雨などの影響だと推測されます)、将来の放射線量も少なくなっています。また、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(JAEA)が、今年6月に試算しています。「環境動態研究で得られた知見-平成26年度の成果概要」p5。
もう一つの試算は、人口です。「将来人口見通し」。発災前(平成20年)に試算したものがあります。それによると、平成23年3月に約20万人が、平成47年には15.4万人に減るとの予測でした(それぞれの左側の青い棒)。27年3月には推計では19.6万人でしたが、実際には避難指示区域外に11.3万人住んでおられます。これを起点として、どのように増減するかです。今回まず、帰還見込み者(アンケート結果に基づき一定の仮定を置いたもの)が戻られると試算すると、平成47年(今から20年後)には、11.7万人となります(黄色い棒)。もう一つの試算では、もう少し帰還者数が増えて、また新住民も増加すると仮定します。すると、平成47年には16万人になり、事故がなかった場合の推計である15.4万人より増えます(緑の棒)。
この要因は、新住民です。一つは、新しい産業を呼ぼうと計画しています。これは、どの程度の雇用を生むかは不確定です。もう一つは、かなり確度の高い大勢の新住民です。すなわち、廃炉作業員です。現在毎日7千人の作業員が、主にいわき市から、第一原発に通っています。この廃炉作業は、30年は続くと予想されます。その人たちが、住所をこの12市町村に移すと、「大きなかたまりとしての、かつ30年間続く住民」が生まれます。7千人の新住民が生まれると、その人たちを対象としたサービス業が生まれます。飲食店やクリーニング、理髪店などです。
「原発事故地域は人が住めない」といった印象を持っている方もおられるようですが、そうではありません。確かに、帰還困難区域(赤い地域)は当分の間、人が住むことはできませんが、それ以外の地域では町が復興するのです。そのためには、多くの人が帰ろうと思い、新しい住民が住もうと思ってもらえる町をつくる必要があります。住民の方、市町村、県と一緒になって、進めます。

社会科学による大震災の分析、3

2015年7月8日   岡本全勝

日本学術振興会(村松岐夫先生ほか)による東日本大震災学術調査プロジェクト「大震災に学ぶ社会科学」の第3回配本、第8巻『震災から見える情報メディアとネットワーク』(東洋経済新報社)が刊行されました。内容は目次を見ていただくとして、今回の災害では、新聞やテレビ、ラジオといったマスメディアのほかに、インターネットやソーシャルネットワークが活躍しました。NHKニュースを、インターネットでいつでもどこでも(海外でも)見ることができるようにした人たちがいました。ブログやツイッター、動画の投稿は、被災者が情報の受け手であるとともに、発信者にもなりました。近年急速に発達した、インターネットやソーシャルメディアが力を発揮した災害でもあったのです。
もっとも、停電した地域では、情報伝達ができず、特に原発事故による避難指示も十分には届きませんでした。被災者生活支援本部では、避難所に貼ってもらう壁新聞を配ったり、暮らしに役立つパンフレットを配ったりしました。当時の千代幹也・内閣広報官のご努力でした。私が被災者支援で手が回らないときに、「任せとき」といって、引き受けてくださいました。内閣広報官室の実力を実感しました(千代さんには、その前に私が総理秘書官のときに、内閣総務官としても助けてもらいました)。
ところで停電については、ある新聞社は、天皇陛下のおことば(ビデオ)を、概要だけ紙面に載せ、「全文はインターネットでお読みください」としました。被災地の人は、ネットでは読めなかったのです。
編集者のコメントには、次のように書かれています。
・・・本書の目的は、2011年3月11日の東日本大震災を生き抜いた人々が、震災後の新しい世界に適応していくために、どのように情報メディアや周囲の人々から情報を得てきたかを、実証データに基づいて多角的な視点から描こうと試みるものである。新しい世界への適応とは、災害によって生じた状況を受けとめ、心理的に反応し、社会的に行動することで事態に対処していくことを指す。本書では適応がどこまで情報メディアの利用行動と利用可能性の産物であったかを明らかにする・・・
このような分野の分析は、官庁ではできないことです。しかし、災害の現場では重要なことです。
(目次)
第1章 震災時・震災後の情報メディア環境が受け手に与える心理的・社会的インパクト
第2章 災害研究における情報メディアの役割を考える
第3章 テキストデータを用いた震災後の情報環境の分析
第4章 震災期の新聞・TV、Yahoo!トピックス、ブログ記事と投稿の特徴
第5章 災害時における情報メディアの効果的活用のために:災害時に求められる情報支援のあり方とは
第6章 被災三県情報行動パネル調査2011‐2012
第7章 首都圏情報行動パネル調査2011‐2012
第8章 必要な情報が届くために:情報環境と受け手の対応関連性・整合

楢葉町の避難指示解除方針

2015年7月6日   岡本全勝

今日、原子力災害現地対策本部長の高木経済産業副大臣が、楢葉町の松本幸英町長に、避難指示を9月5日に解除することを伝えました。避難指示は、原子力災害対策本部が出しているので、その解除も原災本部決定が必要です。これは、追ってなされます(事務は、原子力被災者生活支援チームが担っています)。
これまで、原発事故による避難指示は、田村市と川内村の一部で解除しましたが、全体が避難している自治体では、楢葉町が初めてです。もちろん、これは帰還を強制するものではなく、帰りたい人が帰ることができるというものです。