「三位一体改革」カテゴリーアーカイブ

地方行財政-三位一体改革

三位一体改革20

【国と地方の協議会】
昨日(14日)、首相官邸で三位一体改革についての関係閣僚と地方団体代表との協議会初会合が開かれました。各新聞が、大きく伝えています。そこからいくつか。
(各省の反対、でも・・)
まず、「閣僚が反対論」「異論続出」「省庁は抵抗宣言」などなど。これは事前に予想されたことです。これに関しては、「補助金存続を図る関係省庁が、削減リストをまとめた地方に必要性を力説するという『逆陳情』の場となった」
「もともと補助金を受け取る地方側が『返上』を申し出てスタートした協議だけに、いくら必要性を強調しても、旗色はよくない」
「自民党族議員を通じての抵抗という古典的手法だけでなく、さまざまな手法で補助金温存を図る。・・ただ郵政民営化問題同様、補助金三兆円削減の公約を首相が覆す展開を想像しにくいも事実で、次第に外堀は埋まりつつある」(毎日新聞、野倉恵記者ほか)といった解説があります。
(代案、押し付け合い)
細田官房長官は、「地方案に意見がある場合、提案されている額に見合う代替案を出してほしい」と要請しました(朝日新聞など)。
これについて、「省庁同士で『痛み』をよそに押し付けようという駆け引きも始まっている。・・文部科学省は『代わりに総額の大きな社会保障分野を削減すべきだ」として、代案の検討に着手。これを察知した厚労省の幹部は『他省庁の分に口を出すなんてとんでもない話だ』と怒りをあらわにしている」(読売新聞)とも。
(政治的意味)
私が強調している「新しい政策決定過程」の観点からは、「『実質対等』狙う知事会」「『国の政策決定に地方が参加するための足がかりにしたい』(増田寛也岩手県知事)。政府との協議を、全国の知事たちは、永田町霞が関にくさびを打ち込む好機ととらえている」(朝日新聞)。
読売新聞は「首相としては、地方団体を巻き込んで三位一体改革を進めることで、『新たな政策調整のあり方を考えたい』との思いがあると見られる。地方の『圧力』も利用しながら、補助金削減に抵抗する各省と族議員を押さえ込む狙いもあるようだ」。
(何が評価されているか)
上田雅信全国都道府県議会議長会長は「ボールを政府に投げ返したのに、批判ばかり出ている。そんなに地方は信用がないのか」(朝日新聞)と発言しておられます。
梶原全国知事会長は「役人たちがこちょこちょ動き回ってけしからん」(毎日新聞)、「大臣は、各省の代弁ばかりをしていた。次回の会合からは国全体を考え、国務大臣として行動してほしい」(東京新聞)と言っておられます。そうです、大臣もまた、政治家としてその行動が評価されているのです。(9月15日)
(遂にクイズに)
15日の日本経済新聞夕刊の経済クイズ欄で、「三位一体改革」がテーマになっていました。「遂にそこまで来たか」という感じです。でも、ちょっと難しかったです。(9月15日)
昨日の続きです。15日の朝刊から。
(財務省の責任)
「財務省は『6団体の改革案は「ムダな事業はこの際やめる」といった納税者の視点を欠いている』(谷垣禎一財務相)と反論。総務省が税源移譲の対象とした補助金3.2兆円のうち、1兆円の公共事業関係費は『削減を基本とすべきだ・・』と主張する」(毎日新聞、川口雅浩記者)。
これについては、すでに何度も批判したとおりです。ムダな事業があるのなら、財務省が査定して削減すればいいのです。これでは「財務省は力がないので、地方団体で削ってほしい」と言っているようなものです。財務省は自らの発言の意味をわかっておられるのでしょうか。まさか、「財務省は査定できないので、地方団体に権限を譲る」というのではないでしょうねえ。
(ガス抜きの場?)
「細田官房長官は、政府案決定の段取りについて『地方団体に了承を得るというわけではない。最後は政府として決めさせてもらう」と説明しており、政府内には『協議会が決定の場所なのかあいまいだ』との声もある。
『地方向けのガス抜きの場となるだけで、何かがまとまるはずがない』(財務省幹部)と冷ややかな見方さえ漏れている」(読売新聞)。
前段はその通りです。政府の法律案や予算案を決めるのは、内閣の責任です。協議会には、そこまでの権限はありません。しかし、今回は「政府案のとりまとめを地方団体に依頼した」ことから始まっているのです。総理は地方案を「真摯に受け止める」と言っておられます。地方団体案に「決定的に」不都合な点があれば、微修正をする場でしょう。そうでなければ、原案尊重でしょう。
後段は変ですよね。地方は案を提出しました。代案を出すのは国の側です。まとまらないとすれば、国の方がまっとうな代案を出さないからでしょう。となると、地方案が成案となるのです。その場合は、「地方向けのガス抜きの場」ではなく「各省向けのガス抜きの場」となるのです。
国側の代案をまとめることができるのは、財務省でしょう。でも、これまでの言動と、このような「無責任な」発言をしておられるようでは、まっとうな代案はでてきそうにありませんね。
(後世の批判)
16日の朝日新聞は、協議会の議事録を紹介していました。「閣僚から異論が続出。初会合から、権限を守ろうとする霞が関の『徹底抗戦』ぶりが浮き彫りだ」。なかなか面白いので、ご一読ください。
「国庫負担の現ナマ(補助金)を、地方はなぜ捨てるのか」(河村文部科学相)。この言葉が、国と地方のずれを「集約」しています。お金で全てを考えてきた官僚には、今回の地方分権の意味がわからないのでしょうねえ。
その他の発言も、地方からの議論や常識から「ずれて」います。例えば文科相「義務教育は国家の土台だ」→誰もそれに反対してません。「教育が地方でバラバラでいいわけがない」→かなりの部分で賛成です。でも6・3制を変えようとおっしゃったのは大臣ですよ。そして、今議論しているのは、教員の給与(のしかも財源)です。教育論を教員の給与論にすり替えないでください。
国土交通相「はんらんしたのは県管理の河川。」→これも同様。今は、河川の管理権の話をしているんじゃありません。
梶原拓全国知事会長「地方に任せるとろくなことはないとの声があるが、地方をバカにすることは有権者をバカにすることだ」。その通りだと思います。官僚がこんな認識だと、将来しっぺ返しを受けることになるでしょう。また、政治家も。
議事録が公開されるとよくわかります。評価の基準は、「発言者が後世の批判に耐えられるか」です。
(政治ドラマ)
ある記者さん曰く、「三位一体改革は、本当に面白い政治ドラマを見せてくれますねえ。しかも日本の政治が構造的に変わる現場に、立ち会っているんですから。毎日のように大量の記事を書くのは大変ですが、ありがたいことです。こんな場を設定した小泉総理と麻生大臣に、感謝しなければ。それと、盛り上げてくれる抵抗勢力にも感謝しなければ。」(9月16日)

三位一体改革19

3日の朝日新聞は「義務教育費の国庫負担」と題して、浅野史郎宮城県知事、保利耕輔自民党文教制度調査会長、木村陽子地方財政審議会委員の意見を載せていました。
【官庁文学】
4日の朝日新聞夕刊には、坪井ゆづる論説委員が「官庁文学の極み」を書いておられました。3兆円目標と書くべきところ、「おおむね」や「規模」をつける意味。「検討する」の意味。官僚のサボタージュを批判しておられます。官庁文学については、拙稿「進む三位一体改革-評価と課題」の「注29」を参照してください。
「目標も責任の所在もあいまいにした表現の積み重ねの先に、どんな結果が待ち受けているのか。これから、しっかり見極めたい」とも、書いておられます。おっしゃるとおりです。
でも、このように官庁文学的表現を含みつつ、三位一体改革は進んでいます。それは「3兆円」が書かれたからです。(9月4日)
【今後の予想】
今後の予想を大胆にしてみましょう。
閣僚会議や地方団体との協議の場などがもたれ、11月には決定されるでしょう。いろんな反論が出るでしょうが、決定されるものは地方団体案と大きくは変わらないと思います(17年度分と18年度分への切り分けは必要です)。
1 政府として、地方団体に案の作成を依頼した。それを尊重しないわけにはいかないこと。総理は既に「真摯に受け止め、誠実に対応する」と言っておられます(8月24日、31日諮問会議)。大きく変わるようだったら、地方団体が黙っていないでしょう。
2 各省が反対するが、それはさほど「意味を持たない」こと。補助金廃止は各省が反対する、そして進まないので「官僚を飛ばして」、地方団体に案の作成を依頼した。この時点で官僚は「飛ばされている」のです。
3 各省の反論は、有効とは考えられないこと。各省がどんな反論をしても、補助金をもらっている地方団体が「もう要りません」「私たちに任せてください」と言っています。これを越える有効な反論は考えられません。(9月4日)
【補助金廃止で総額は増える?】
10日に、各省の予算要求が、財務省から閣議に報告されました。一般会計総額は、88兆円です。そのうち地方団体向け補助金は、今年に比べて5.8%増の18.6兆円とのことです(この他に特別会計分があります)。
なんと、三位一体改革が進んでも、補助金が増えるのです。もちろん、今年のように社会保障関係補助金が増えるということもあります。
でも、これから2年間で3兆円補助金を削減すると閣議決定していながら、要求総額が増えるのは・・。おかしいと思いませんか。
(官僚の限界)
各省官僚が、三位一体改革(補助金削減)をまじめに考えていない、ということでしょう。あるいは、考えていても行動に移せない、からです。官僚制とは、与えられた個別の目的を達成するための組織であり、全体を考えるようにはなっていません。そしてそこに属する人間は、自らの組織と資源を最大化するように行動します。官僚制と官僚は、そんなものなのです。補助金廃止の場合は、官僚と官僚制の限界がよく見えるのです。
「日本で一番頭がいい」といわれている官僚が集まった結果がこれです。内政問題は、まだ良いです。国民がその結果や負担を負えばいいのですから(でも、子孫に負担を残すことは良くないです)。しかし、国際問題では、そうは言っておられません。(9月11日)
9月11日の日本経済新聞は、「義務教育改革 課題を聞く」の連載で、梶原全国知事会長へのインタビューが載っていました。
【政治的意義】
12日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅東大学長の「三位一体改革の『政治化』」でした。
「・・・政治の新たなうねりを感じさせるのは、・・・地方6団体が大幅な補助金削減案を正式に決定したことである。」「この補助金削減案は権限と財源の委譲とセットの関係にあり、『国のかたち』にかかわる重大問題である。」
「この改革には二つの側面がある。一つは委譲すべき権限や財源の内容をめぐる問題であり、・・二つ目は、この難問を処理する政治的仕組みと場の問題である。私が政治の新たなうねりとしてここで関心があるのは後者の問題である。」
「今年の『骨太の方針』において首相は・・補助金の削減案のとりまとめを地方の側に宿題として投げかけた。・・この作戦は重い政治的帰結を持つものとなった。そもそも権限と財源を掌握している側が、その委譲を求める側に決定権を一部にせよ与えるかのような対応は極めて重大な決定である。・・この背後には、中央政治・政府の曖昧な先送り体質があったことは否定できない。」
「一連の動きはあくまでも政治的動きでしかないと見ることもできるが、政治的動きに重大な責任が伴うことも事実である。首相の側が中央政府の動きをコントロールし、しかるべき成果を示すことができなければ地方の側が政治的責任を問うであろうし・・・。かくしてこれまで政治的に一見中立に見えた中央・地方関係問題は今度の新たなステップによって『政治化』し始めたと見ることができる。」
今回の一連の動きについて、政治的評価は拙稿「進む三位一体改革-評価と課題」に書いておきました。佐々木先生と大きく違わないことで、自信を持ちました。今後の動きの予想は、日を改めて書きます。(9月13日)

三位一体改革18

【公共事業などの一般財源化】
今日は、公共事業などの一般財源化について解説しましょう。財務省の反対論は「国はその財源を建設国債で賄っており、税源移譲をする財源はない」です。これには、次のような反論があります。
①国債は財源ではない。
国債はその年度で見れば財源ですが、長期的には財源ではありません。翌年からは、返済が始まります。その財源は国税です。
毎年、6兆円の建設事業をし、その財源は国債だとします。国債は60年返済ですから、毎年1千億円ずつ返済します。その財源は国税です。これが60年続くと、毎年6兆円国債を発行して、6兆円返済し、その財源は国税です。国債は「真の財源」ではなく、国税の前借りです。
財務省の論理で言えば、「これまでに発行した国債の返済は国税で、これから地方が行う建設事業の財源は地方が負担する」になります。地方が行う建設事業をひとまず地方債とするとしても、長期的には地方税が必要なのです。一方、建設事業の補助金がなくなった分だけ、国は国債が減りそのための国税も不要になります。その不要になった分が地方に移譲されるのです。
国債が入っているのでわかりにくいですが(財務省の議論が成り立つかのように見えますが)、長期的に考えれば、また国債は財源でなく税金で返済しなければならないことを考えれば、経常的経費と変わりはありません(時間差があるということです)。
②建設国債が赤字国債に振り代わるだけ
財務省の主張は、「建設事業補助金の財源は建設国債である。補助金を削減し、それに見合う金額の国税を地方に移譲すると、国は国税は減り建設地方債も発行できないので、予算が組めない」ということです。
これも、そんなに説得力のある反論ではありません。
その場合は、不足分は赤字国債が発行されます。即ち、建設事業補助金が1兆円削減され、地方に1兆円国税が移譲されるとします。補助金歳出が1兆円なくなるので、その財源である建設国債も1兆円不要となります。
1兆円建設国債が発行されないとなると、他の条件が変わらなければ、赤字国債が1兆円増えます(今年だと、建設国債が6兆円から5兆円になり、赤字国債が30兆円から31兆円になります)。それは、過去の国債の償還財源分なのです。
国債としては、総額36兆円は変わりません。そして国債には、色は付いていないのです。
おわかりになるでしょう。この問題は、異常に国債に依存しているところに原因があるのです。昭和40年まで、戦後日本は国債を発行していませんでした。その状態で建設事業補助金を廃止し、地方に税源移譲することを考えれば、そんなには難しくありません。
その例が、道路建設補助金です。これは、道路特定財源(ガソリン税など)で賄われています。国債が入っていないので、補助金廃止=税源移譲なのです。(8月29日)
【国政変えるか47士】
29日の毎日新聞には、川勝平太国際日本文化研究センター教授が主張「時代の風」で「国政変えるか47士」を書いておられました。「国政の根幹に触れる案件において、これほど知事の存在感を示した例はなかっただろう。」「これは明治維新の廃藩置県以来、中央政府に従属してきた知事が、国の形を変える主体に上昇転化したという意味で画期的な1ページを開いたと考えられる。」
「小泉首相は知事会への丸投げで、結果的に、地域分権の真の主体がどこにあるかを国民の前に知らしめた。」(8月30日)
【無駄な補助金、廃止はさせない?】
経済財政諮問会議では、三位一体改革の議論が続けられています。その中で財務省が、「三兆円の補助金廃止・税源移譲について、事業を洗い直して無駄なものは税源移譲をしない」旨のことを発言しておられます。
何度も聞くセリフですが、私にはどうしても理解ができません。無駄な事業(補助金)なら、予算査定で削減すればいいのです。その査定権を持っているのは、財務省です。なんで、そんな無駄な補助金をつけているのでしょうか。
他の省の問題点を指摘するならわかりますが、自らやった仕事の問題をこのように指摘するとは。まずは、そんな補助金をつけた部下(主計官)の責任を問うべきでしょう。財務大臣は、誰に向かってこのセリフをおっしゃっているんでしょうかね?理解しがたいですね。
今日(2日)の記者会見でも、香山総務事務次官が同様の疑問を呈しておられます。
また、今日の「官庁速報」(時事通信社)によれば、財務省は「なぜ補助金を廃止するのかを、地方からも説明してもらう必要がある」と言っているそうです。前に一度取り上げたことがあります。このセリフを理解できる人は、少ないでしょう。
予算査定は、「なぜ必要か説明してもらう必要がある」はずです。県庁や市役所の財政課員はそうしていると思います。それに対し、財務省は補助金を削減する(予算を削る)つもりはないのということです。それは、自らの権限縮小につながるからでしょうか。
2日の毎日新聞は石弘光政府税制調査会長、梶原拓全国知事会長、諸井虔地方制度調査会長の鼎談「地方分権の行方を問う」「税源移譲進めて官僚政治打破を」を載せていました。(9月2日)

三位一体改革17

8月18、19日と全国知事会が廃止案をまとめ、その後3団体としての意見となりました。その経緯は、新聞で報道されているとおりです。すみません、海外出張中で記事や解説を紹介できなくて。(8月24日)
地方団体の取りまとめた案は、24日の経済財政諮問会議に提出されました。総理に提出した風景と文書が、全国市長会のHP全国知事会HPに載っています。
【知事会の変身】
新聞の解説では、全国知事会の「変身ぶり」が取り上げられています。24日朝日新聞の夕刊では、坪井ゆづる論説委員が「脱仲良しクラブ」を書いておられました。
「ふだんは答弁書を棒読みしがちな知事たちが、台本なしで持論をぶつけ合う。聞き応えがあった。」「かつてない議論百出ぶりは、知事のやる気を反映していた。多くの発言に共通したのは、地方から政府を動かそうという意識だった。」「もはや知事会は仲良しクラブではない。政府に意見を述べる政治的な機関なのだ。」「持論が少数意見に終わった石原都知事は閉会後、笑顔で語った。『とてもいい体験をした』。」
また、25日の日本経済新聞夕刊では、谷隆徳記者が「闘う知事会劇場第二幕へ」を解説していました。もっともその解説の中で、「今回の補助金削減案には、早くも補助金所管省庁から異論が噴出している」とあります。
しかし、各省が補助金削減に反対するのは、当然のことです。だから、小泉総理と麻生総務大臣が、削減案づくりを地方団体に依頼したんです。各省の反対は、初めから予想されていることです。ある人曰く、「各省の抵抗は、政府(小泉改革)にとって折り込み済み。ほとんど意味のない行為だ」ということです。(8月25日)
義務教育国庫負担金の一般財源化
今日は、義務教育国庫負担金の一般財源化について解説します。
一般財源化に反対する人たちの主な主張は、「負担金がなくなると、義務教育の機会均等が保障できない」ということです。しかし、これについては、次のような反論があります。
①地方団体が「負担金は要らない」と言っていること。
教育を実施している地方団体が、「(地方税と交付税で財源保障されれば)、負担金なしでやっていける」と言っているのです。負担金をもらっている地方団体が、「負担金はもう要らない」と言っているのに、文部科学省は「いやいや、まだまだ上げましょう」と言っているんです。なんと親切、なんと太っ腹!
おかしいと思いませんか。地方団体が「お金が足らないので、国から支援してくれ」と言って、国はなけなしの財源から負担金を配る、というのならわかります。これまではそうでしたが。
次のように例えましょう。
親から仕送りを受けていた子供が、「お母さん、もう僕は一人前になったから、仕送りして(国庫負担金を)くれなくていいよ。お父さんが耕している田んぼ(国が徴収している国税)を、僕が耕す(地方税で徴収する)から。」と言っているのに、母親は「いいや、だめ。これからもお父さんが田んぼを耕して、稼いだ金でお母さんが仕送りするから」と言っているのです。
「地方は信用できないから、国がお金を渡し、言ったとおりに仕事をさせる」。これが中央集権です。
「ちゃんと教育を実施します」と言っている知事たちを信用できないことが、まずおかしいです。もし信用できないのなら、法律でしばるなり、他に方法があります。「おまえたちは信用できないから、官僚が金でコントロールするんだ」と言われれば、知事が怒るのは当たり前です。しかも、知事は選挙で選ばれた人たちで、官僚は所詮は「国の従業員」でしかありません。
②教育の機会均等は、教員の給与の均等ではない。
反対論者は、教育の機会均等の議論を教員の給与論に「すり替えている」のです(これまでにも述べましたが)。
医療サービスと対比すれば、それがわかります。
国家は、健康保険と国庫負担で、国民に平等な医療サービスを提供しています。どこのお医者さんに行っても、同じ負担で同じような診療を受けることができます。でもその際に、医者の給料を国庫負担してはいません。
国民が期待するのは、「同じ負担で同様のサービスが受けられること」であって、「従業員の給与を同一にすること」ではありません。
いくつかの新聞で、「今回の一般財源化は、教育を数字あわせに使っている」と批判しています。それは大間違いです。これこそ、議論のすり替えです。議論しなければならないことは、教育サービスの質であって、教員の給与財源ではありません。そしてそれは、経済財政諮問会議ではなく、文科省が主体となって議論しなければならないことです。文科省には、補助金を配ることより、もっと重要な仕事があるはずです。(8月26日)

三位一体改革16

28日に、指定都市市長会が「三位一体改革の基本的な考え方」を取りまとめ、提言しました。そのうち国庫補助金については、義務教育費負担金を含む経常的な補助金は、税源移譲し廃止する。生活保護や災害復旧の負担金は存続する、という主張です。
廃止する補助金は次の3分野で、合計7.8兆円です。
①経常的なもの:3.4兆円(個人住民税で移譲)
②道路整備:1.5兆円(道路特定財源を移譲)
③その他の投資的なもの:2.9兆円(税源移譲の方法は別途検討)
また、19年度以降も改革を継続することを主張しています。着々と進んでいますね。(7月30日)
4日付け東京新聞には、西尾理弘出雲市長へのインタビューが載っていました。市長は元文部官僚です。「小中学校は、市町村立。市町村立学校というからには、財源も人事管理も市町村自らができるようにすべきではないか」
4日付の読売新聞は、来年度の予算特集の一つとして、三位一体改革を載せていました。もっとも、何を主張したいのか私にはわかりません。そこで、公平のために紹介はしますが、コメントは差し控えます。(8月4日)
7日の日本経済新聞には、藤田英典国際基督教大学教授の「義務教育費負担金の一般財源化論 学校の質、格差広がる恐れ」が載っていました。その主張は、「もし国庫負担金が一般財源化されたら、どうなるか。・・・そうなれば育の地域格差は今以上に拡大する」だそうです。
今の地域格差」とは、なんでしょうか。現在のように国庫補助金があっても、「地域間格差」があるのでしょうか。それは、教育のどのような質についてでしょうか。それとも、先生の給料について差がでているのでしょうか。
どの地域で、どこの地域に対して、どのような差がでているのでしょうか。まず、それを実証あるいは説明する必要があります。そして国庫負担金がなくなると、それがどのように広がるのかを説明すべきでしょう。それがないと、説得力がないですよね。学者が書いた論文とは言っても、「ええかげん」ですねえ。そう思いませんか(財政力の高い東京の方が、貧乏な明日香村や富山県より、いい教育をしているという証拠をみてみたいですね)。(8月9日、10日)
ここ数日の新聞は、20日に取りまとめられる予定の「地方団体の補助金削減案」の予測記事でにぎわっています。
10日に文部科学大臣は、義務教育制度改革私案を発表しました。6・3制弾力運用などです。唐突ではありますが、ようやく文部省が、補助金官庁から政策官庁へ転換しつつあるのでしょうか。それならば、好ましいことです。もし、国庫補助金温存のためのテクニックなら、残念です。
12日の朝日新聞社説は「補助金削減 義務教育も聖域ではない」でした。「これまで政府は権限と補助金を握ることで、全国の教育行政を牛耳ってきた。・・だが、いじめや不登校などの問題を克服するためには、地域ごとの創意や工夫が欠かせない。・・・中央集権から地方分権へという理念は教育にも当てはまる」(8月12日)
11日に関西社会経済研究所が、「三位一体改革の促進」について提言を発表しました。今回進めている三位一体改革の次に、さらに三位一体改革を進めるべきであること、そして8兆円の補助金削減と6兆円の税源移譲を求めています。とりまとめの中心は、齊藤愼大阪大学教授林宏昭関西大学教授です。(8月12日)
15日の朝日新聞は、「補助金改革、地方案づくり大詰め」の表題で、増田寛也岩手県知事と神野直彦東大教授へのインタビューを載せていました。
増田知事は、政府の政策決定に自治体が参画する意味、平成19年度以降の「三位一体改革第2期」への布石、消費税増税時の地方の取り分などを述べておられます。これらの点は、拙稿「進む三位一体改革-評価と課題」(下)で述べておきました。
神野教授は、世界的潮流として、福祉国家から地方分権への流れが出てくることを述べておられます。そして、安全ネットを張り替える役割を中央政府から地方団体に変えたこと、現物給付は地方団体が引き受けていること、自治体が家族の代わりとなっていること、などを説明しておられます。(8月15日)
8月15日の読売新聞には、西尾勝先生が「自治体の選択拡大を」の表題で、分権改革について述べておられます。日本は1990年代から大きな曲がり角に入り、成熟社会になったこと、そこで分権が必要になったこと、そして市町村合併と三位一体改革について解説しておられます。
「首相のリーダーシップを発揮していただきたい」とも。私は、ここまでは総理は良くリーダーシップを発揮されたと思います(拙稿「進む三位一体改革-評価と課題」(下)参照)。
8月16日の東京新聞は、「義務教育費制度見直し、学校はどう変わるの?」を解説していました。見出しは「市町村の責任より重く」です。また、16日の産経新聞「正論」は、米長邦雄東京都教育委員会委員の「義務教育費は国で全額負担が筋」を載せていました。(8月16日)