「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

政治ができること

(開発の終了)
23日の朝日新聞で、「全国総合開発計画廃止へ。開発行政の終幕」が解説されていました。
「新地方自治入門」でも述べましたが、戦後日本の国是は「豊かになること」でした。その方法が「成長と開発」だったのです。「豊かさ」とは、経済的なものに偏重していました。人的な「貧しさ」には成長を、面的な「遅れ」には開発を、だったのです。後者のスローガンが、「地域格差の是正」「均衡ある国土の発展」でした。
(国による号令)
全総に代わる、新しい国土計画は見えていません。国の号令の下、全国で何かを作るという手法そのものが、時代遅れなのでしょう。
(政治にできること)
日本の問題は、開発に失敗したことではありません。これに大成功したことで、他の「豊かさ」を切り捨てたことと、その転換に遅れていることです。
開発を重視したことで、道路や文化会館は立派になりましたが、街並みは見にくくなりました。道路やハコモノは、お金があれば作ることができます。しかし、街並みは、政治の力では作ることは難しいです。私が関係資本や文化資本として指摘した、人間関係や共同体意識も、行政では作りにくいものです。政治や行政の「無力さ」を感じます。
もっとも、「霞が関・永田町」では、みなさんそんなことには無関心で、「カネとモノの政治」に浸かっておられるようです。

霞が関

日本経済新聞が、10日から「再編5年目・診断霞が関」の連載を始めました。初回は「経済産業省・惑う司令塔」です。省庁改革から、もう4年経つのですね、早いものです。当時は、「5年経ったら見直して、もう一度再編するべきじゃないか」と考えていました。5年で再々編は短すぎるとしても、次なる再編のために、評価することは大事なことです。連載に期待します。

経済財政諮問会議

経済財政諮問会議の議事録が、公表され始めました。議事概要は4日後に公表されますが、議事録は4年後に公開されます。財政再建について国税・地方税・社会保険を合わせて議論することや、諮問会議に役人を参加させないことなどの経緯が載っています。2月2日の日経新聞が解説しています。
私は、諮問会議を高く評価しています。諮問会議が日本の政治をどう変えたか、一度整理したいと思っているのですが、時間がなくて。誰か政治部記者さん、書いてくれませんか。政局を追っているより、意義があると思います。

日本の戦後政治

「三位一体改革が政治改革である」という主張に合わせて、参考になる本を紹介しておきます。去年6月に出た、山口二郎著「戦後政治の崩壊」(岩波新書)です。ここでは、戦後日本政治の仕組みと特徴を、4つの構成要素から説明しています。4つとは次のようなものです。
1 外交安全保障=9条と安保・自衛隊の共存
2 政党=自民党長期支配
3 政策=経済成長と開発主義
4 政策決定システム=官僚主導の政治
そして、それらが成功したこと、しかし新しい時代への適応と転換に失敗していることを論じています。
私は、「新地方自治入門」で、地方行政を通して、戦後日本の政治と行政が成功し、またそれが転換を妨げていることを論じました。山口先生の本は、私の主張を政治の構成要素から分析したもので、共感するところが多いです(もっとも、すべてに同意するわけではありませんが)。
私は、日本の政治について、第10章で論じました。そこでは、国民への負担を問わなかったことと、国際貢献をしなかったことを指摘し、争点設定と決断をしなくてよかったと述べました。「政治をしなくてよかった戦後日本」という表現でです。これが、先生の指摘する4要素が成り立ち得た条件であり、結果です。

伝道師活動

私がいそしんでいる「副業」=地方財政の伝道師活動をどう説明したら、みんなに理解してもらえるか。講演会に行ったり本を書いたりすると、「変わり者」といわれるので、考えていました。自分では正しいことをやっていると思っているのですが、どうも今の霞が関では違うようです。
先日、東大出版会のPR誌「UP」2004年12月号に、鎌田浩毅京大教授の文章を見つけました。「基礎科学のフロンティアとしてのアウトリーチ」です。
「理系ではアウトリーチが問題になっている。アウトリーチ(outreach)とは、知らない人に手を差しのべて、情報を伝えることをいう」「アウトリーチの目的は、研究資金の獲得・後継者の育成・一般社会に認知してもらうことの3つである」と書かれています。
そうなんです。私のやっている伝道師活動は、目的が少し違いますが、これなんです。専門分野の研究者が社会で理解を得るためには、これが必要なんです。しかも、社会を変えようとする官僚の方が、科学者よりアウトリーチ活動は重要なはずです。
「寄らしむべし、知らしむべからず」とか「俺がやっていることは正しい。理解できない奴がバカだ」では、通じませんよね。社会での理解を得るためには、理解者を増やさなければなりません。さらに、時代の流れ、流行語になるまではやらせないと、改革は進みませんよね。