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行政

長期推計の検証

5日の日経新聞「けいざい新景、キーデータ=政策3」は、医療費の長期推計を振り返っていました。2025年度の国民医療費が、どれくらいになるかの推計値です。1994年に見積もったときは、141兆円でした。それが、97年に見積もると104兆円になり、2000年では81兆円、05年には65兆円と下方修正されました。10年ほどの間に、半分以下になっています。
この間に、97年にはサラリーマンの負担を1割から2割に引き上げ、03年には3割に引き上げました。2000年には、介護保険も導入しました。予測値の減少は、このような改革によるものと考えられます。
一方、記事では、「そもそもの推計が過大であったのではないか」という見方も載せています。すなわち、将来の医療費を大きく見積もることで、国民に負担増の理解を得やすくしたのではないかという批判です。
いずれにしろ、その時々のニュースを報道するだけでなく、このような過去を振り返っての検証は、良い記事ですね。(5月7日)
6月30日の読売新聞論点は、村松岐夫教授の「政策自己評価」でした。これについての私の考えは、また別の日に述べましょう。(7月3日)
読売新聞の連載「教員採用の現場」の27日も、興味深かったです。単に事実を図表にしただけですが、大阪府の公立小学校教諭の年齢構成(ピラミッド)を男女に分けて示しています。
見ると、びっくりします。ピラミッドでもなく、提灯型でもなく、ハンマー型と言ったらいいのでしょうか。男子のピークは54歳、女子のピークは52歳です。そして、一番少ない=くびれているのが41歳です。そこから上は、提灯型です。ここまでで、年齢では約半分です。しかし、そこから下は細いままです。私は、これを極めていびつな年齢構成だと思います。皆さんは、どう思われますか。ぜひ、この図を見てください。
子供たちの人数は、6年先まではほぼ予測できます。外国人が増えない限り、また転入者が多くならない限り、1歳の赤ちゃんが6年後に小学生になるのです。その子供は、6年後には中学生になり、3年後に高校生になります。私学と他府県への移動を除けば、学校の「お客さんの数」は、ほぼ予測できます。
それでも、こんな採用をしていたのです。でも、誰も責任を取らないのでしょうね。公務員=責任を取らない。教育委員会=住民に責任を負っていない、です。少し過激とは思いますが、問題を提起しておきます。反論をお待ちしています。
31日の朝日新聞社説は、市場化テストについて書いていました。市場化テスト、法律名は「公共サービス改革法」は、内閣府経済財政政策担当の所管なのです。もっとも、私の担当ではありませんが。簡単な解説は「公共サービス改革法の概要」をご覧ください。
地方団体では、指定管理者制度が進んでいます。官が行っている事務について、官と民とを競わせる・民と民とを競わせる点で、共通しているところがあります。もっとも、いろんな点で違っています。
このほか、規制改革も所管しています。官から民へは、「新地方自治入門」でも主要なテーマとして取り上げましたし、行政論でも取り上げています。勉強したいと思っていたので、よいチャンスをいただきました。二つの制度の比較など、追って勉強の成果を載せたいと思っています。(7月31日)
31日の日経新聞教育欄は、福井秀夫教授の「教育委員会制度見直し。学校改革主導、首長に権限」を載せていました。私が常々取り上げている、教育委員会制度の無責任状態(例えば「新地方自治入門」p71以下)を、わかりやすく解説しておられます
31日の毎日新聞は、BBC(英国放送協会)の改革論議を、取り上げていました。先月訪問してきたばかりです。写真を見て「あっ、この建物だった」。私は記念撮影が嫌いなので、写真はありませんが。
この記事では、文化・メディア・スポーツ担当大臣が、BBCをNHS(国民健康保険制度)と並ぶ、英国の公共的財産とたたえています。私も納得します。このような評価は、重要ですね。日本の評価は、お金ばかりですもの。
BBCは、10年ごとに特許状が更新されます。かつての東インド会社も、そのような仕組みでした。この仕組みは、定期的に評価にさらされます。よほどのことがない限り、つぶされることはないのでしょうが、更新してもらうためには、自らを評価し、新たな目標を掲げなければならないでしょう。政府も、評価をします。このあたりは、国によって行政の手法が違い、興味深いですね。
BBC改革に際しては、公共的価値とは何かが議論され、NHK改革の規制緩和という観点とは、違っているようです。イギリス政府が出した白書では、BBCの目的を「市民権・市民社会の維持」「教育・学習活動」「文化の創造活動」「英国や各地方の代表としての活動」「英国を世界に伝える」「デジタル・ブリテンの建設」を挙げているとのことです。
拙著「新地方自治入門」では、地域の財産という観点から、地域の価値や行政手法を広く論じました。そのような観点からは、今回もいろんなことを学びました。いずれ、まとめて、お知らせしたいと思っています。
私たちが勉強した、ウエッブサイトの充実や正確な報道についても、書かれていました。

国家公務員の配置転換

政府は27日、国家公務員の人件費抑制の全体計画と、政府系金融機関改革の制度設計を決めました。このうち国家公務員削減は、5年で約1万9千人、5.7%を純減します。これまでは削減といっても片道(一方で増員あり)だったので、純減としてはその規模も大きく、また一律でなく部門別重点削減ということも、これまでにないことです。
しかし、もっとも大きな方向転換は、配置転換です。これまでは退職不補充の範囲で削減をしていたので、職員の配置転換がありませんでした。簡単に言うと、省庁を越えた大幅な職員移動はありませんでした。それが今回初めて実現するのです。
民間の方や地方公務員にとっては、配置転換など当たり前のことです。「今まで何をしていたの」と不思議に思うでしょう。しかし、いつも私が主張するように、日本国には各省公務員はいても、国家公務員はいないのです。国家公務員は、各省に採用され、政府には採用されていないのです。霞ヶ関には人事課長が13人います。実質的には100人くらいいると私は見ています。それごとに、人事は管理されています。
こんなことが今まで続いてこれたのは、右肩上がりだったからでしょう。これまでに大規模な配置転換は、国鉄分割民営化の時に行いました。国鉄職員を各省で受け入れたのです。もっとも、これは省庁間は移転ではありません。
さらに問題は、この多くの職員が地方出先機関の職員であるということです。生活の場が地方にあり、県を越えた転勤を想定していない職員が大半だと思います。もちろん、これまでと違った業務を覚えなければならないという課題もあります。これからも、解決しなければならない問題はたくさんあります。
さらに今回、政府に対策本部を作りました。それは、政府に人事政策・制度・運用の統一機関がないからです。私はこれも大きな問題だと思っています。

2006.06.25

23日の朝日新聞経済面が、「農水省に誕生3年。消費・安全局、農政変えた?」を解説していました。
私は、これまでの行政の任務は生産振興であり、結果として業界と一体となった生産者の保護が主であった。これからの行政に期待されるのは、競争のルール作りと、消費者の保護であることを、主張しています。そこで、手法も事前調整から、事前のルール作りと事後チェックになります。補助金行政から、アンパイアになるのです。
授業では、生産者重視で失敗した行政の例として、水俣病、薬害エイズ、金融行政、BSE牛、輸入肉偽装、B型・C型肝炎などを取り上げています。また、転換した行政の例として、大蔵省銀行局・証券局から金融庁へ、内閣府の食品安全委員会とこの農水省消費・安全局、航空・鉄道事故調査委員会を挙げています。

政府論

14日の読売新聞「再点検小さな政府論。官民のありかを問う1」は、佐々木毅先生と山崎正和さんのインタビューでした。佐々木先生の主張は次のようなものです。
「『官から民へ』が民万能論や『民イコール善』という民性善説と混同されると、本来必要なルールの問題が見失われてしまう」「民が競争する市場にルールがなければ、悪貨が良貨を駆逐するということになりかねない。民に大きな自由を認める社会は、その分、法律や規則を細かく整備することをセットで考えるべきだ。ルールを作ったり監視をしたりするには結構人手もいるし、お金もかかる」
「官が公的な役割を独占した時代は終わり、日本は民も公の一部を担う社会にすでに移っている。官はこれまで『おれたちの言うことが公だ』と考えてきた。しかし、公は官民の区別を超えた、より上位の概念であるという考え方で物事をとらえなおした方がいい」(3月14日)
15日は佐和隆光京大教授とロバート・トムソン英ザ・タイムズ主筆による、市場主義の行き過ぎやサッチャリズムについてでした。17日は松原隆一郎東大教授と増田寛也岩手県知事による、公共分野を民間に委ねることの是非についてでした。(3月18日)
読売新聞「再点検小さな政府論。官民の在り方を問う」は、18日は桜井敬子教授と中村靖彦さんによる建築確認、食の安全問題という「安全に関する検査」についてでした。20日は、清成忠男教授、垣添忠生さん、戸塚洋二さんによる大学教育、先端医療、基礎研究といった「将来への投資」についてでした。(3月21日)
読売新聞の連載「時代の証言者」「国と地方、石原信雄」が、23回で完結しました。最終回の5日は、「地方に責任持たせる時代」でした。
「改めてこの国のかたちを考え込みます。特に気になるのは官僚のあり方です。振り返ると、たしかに、敗戦の中から国を再建して先進国になるまでの過程では、役人が輝きました・・・役人が輝いたのは、分担管理の原則を機能させ、各省が自分の責任を果たせば良かった時代だったからです」
「しかし、もうそれは通用しません。私が官邸にいた90年代前半、『主権国家としての日本』『国際社会の中での日本』が問われたのを境に、各省は連携して国全体で考えなければならなくなった。自分の省だけ走れば済んだ時代が終わったのです」
「これからの役人をどう考えればいいのでしょうか。大いに勉強させ、国際社会に生きる日本全体を考え、そのための政策立案能力をつけさせることです」
「地方との関係を考えれば、さらに変化します。国のあり方として、内政はもはや地方に責任を持たせるべきです・・・道州制に向けて分権を進めるなら、内政を担当する役人の大部分は地方公務員として活躍すべしと頭を切り換えなければなりません」
「政治家と幹部公務員には、これらを国の統治構造の問題として考えてほしいのです」
青山彰久記者、良い連載をありがとうございました。

官僚は優秀か

14日の東京新聞「即興政治論」に、外務省参事官を辞め家業を継いだ、宮家邦彦さんのインタビューが載っていました。「霞ヶ関を離れたからこそ見えてきたものは」という問に対して、「一番おもしろかったのは、役人は頭がいいと役人自身が錯覚していること。ところが、おっとどっこい。企業の取締役以上くらいの人は、役人よりも上。競争がなく、止まり木のある鳥よりも、全速力で飛び続けないといけない鳥の方が体力も知力もあります。お恥ずかしいけど、難しい試験に通った官僚は賢いんだと思っていたけど、22、3歳の時にたった一回の試験で受かったからといって『それがどうした』なんですよ」
後輩へのメッセージは、「優秀な人もいっぱいる。自信を持ってやってください。その代わり、逃げないでください。役人は期待された役割を果たさないで逃げることが多い。そして責任を取らない。普通の会社で経営者が逃げたら、会社がつぶれるけど、役人は逃げた人が偉くなる。そりゃそうですよ。役人の世界は減点ゲーム。いくら儲けましたということはない。チョンボしませんでした。はいすばらしい人ですねと・・」