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行政

採用・昇進の仕組み

もう一度、公務員の評価の問題に戻りましょう。職務内容書がなく、職員の業績評価がなくても、なぜ回っているか。人物評価だけで、選別はなぜできるか。それは、採用・昇進の仕組みにあります。
日本の官庁や多くの企業は、職(ポスト)に空きができると、組織内部から登用する仕組みです。人事異動の時期に、「××さんが退職するので、次は誰が上がって、その次は・・」と予想がされ、異動が発令されます。業界用語では「人事の列車」と呼びます。各人を客車にたとえ、先頭の人が動くと、その後が順繰りに動くからです。各人の間は、線で結んだり矢印でつなぎます。わかりやすいでしょ。この形を、閉鎖型(クローズド・システム)と呼びましょう。これと対照的なのが、開放型(オープン・システム)です。職(ポスト)に空きができた場合、組織の内部外部を問わず募集し、採用する仕組みです。
閉鎖型の場合、中途採用はありません。新卒一括採用し、年功序列で昇進し、退職金があります。開放型の場合は、これら3点セットはありません。閉鎖型は、職員が、組織に丸抱えされる仕組みです。組織に忠誠を誓えば、「悪いようにはしない」のです。採用時も、個人の持つ技術には着目しません。技術は、職場で、昇進の過程で身につけさせます。業績評価をしなくても、人物評価で選別し、昇進させればいいのです。これは、採用年次が幅を利かす社会になりがちです。しかし、開放型だと、そのようなことはあり得ません。閉鎖型は、外部の人との競争のない社会で、中にいる人には居心地の良い仕組みです。もっとも、内部では競争があります。
閉鎖型は、会社が職員を拘束する代わりに、生活を保障する仕組みです。よって、早期退職の際の、天下り斡旋もしてくれます。
大部屋主義は、個人の職務内容書がないので、閉鎖型になりがちです。開放型の場合、職務内容書がないと、外部からの登用は難しいです。やれなくはありませんが、細かいところは決めてないので、「委細面談」になります。仕事を商品と考え、労働を対価として、応募者は仕事を買いに行くと考えてみましょう。労働の売買契約書と考えるのです。その際に何をするか分からない職場は、内容を表示していない商品で、買う方にとっては危なくてたまりません。しかし、閉鎖型の場合は、仕事の内容は不明でも、会社は面倒を見てくれるので、安心できるのです。職員の自由がない代わり、自己責任がない仕組みです。文句を言ってはいけません。
少し議論が発散しますが、閉鎖型はみんなで仲良くのムラ社会であり、開放型はそれぞれの能力で生きていく狩猟民族といったらよいでしょうか。

成果の少ない長時間労働

次に、課や職員の仕事の目標が設定されていないことが、長時間残業につながります。課としての達成すべき目標があいまいなので、いつまでに何をしたらいいのか不明なのです。課としての目標が明確なら、みんなでそれを達成すれば、帰宅できます。また、その場合は、仕事の遅い人がいても、誰が達成して誰が遅いかは、ある程度見えます。仕事の速い人は、さっさと片付けて帰宅してよいのです。しかし、それができないとなると、だらだら仕事を続けることになります。
また、課としての目標があいまいだと、部下の達成すべき仕事は、課長の考え・仕事の仕方に左右されます。部下は、「うちの課長は、次は何をするのだろうか」と心配するのです。
自分の課の仕事に自信のない課長が座ったら、部下は悲惨です。目標が不明確ですから、いろんなことに手を出し、ありとあらゆる想定問答をつくらせます。課長自らが書けばいいですが、そんな課長は、たいがい自分では書きません。また、目標と期限を示さず、部下に作らせるのです。
このような状況下での良い課長は、逆をすればいいのです。課の目標と期限を決め、部下に明確に指示する人です。その際、設定した目標と期限は、その上司(局長など)の了解を得ていること、外部の人にも分かってもらうものであると、なお良いです。そうでないと、後で仕事が増えます。
(霞ヶ関の場合、国会待機、翌日の国会質問が判明するまで待機することが、これに輪をかけます。これは、政治家と公務員の仕事の分担が、うまくなされていないからだと思います。)

組織単位でも目標はない

それなら、「大部屋ごとに業績を評価すれば良いではないか」という指摘が出るでしょう。「課や係で仕事が決められている」なら、それごとに評価をすればいいのです。しかし、課や係ごとに仕事は決められていますが、課や係で達成すべき目標は、たいてい決められていません。年度の初めに、あるいは人事異動で着任した際に、課長が上司から「今年度はこれだけを達成するように」と指示を受けることはまずないと思います。局長が就任に当たって、大臣から「これこれを達成するように」との指示書を受け取ることもないと思います。
「××の企画に関すること」「○○の運用及び改善に関すること」といった定め方では、仕事を決めていても、目標は決まっていません。何となれば、これでは達成したかどうか判定できないからです。
すなわち、課や局としてのさらには省としての、目標は設定されず評価はされていないのです。「あの課は良くやったから今年はボーナスをはずもう」ということはありません。
実は、職員に職務内容書が示されないのは、この組織にも目標がないこととも連動しています。課や係に業務の目標がなければ、個々の職員に目標を設定できないのです。もちろん、企画業務や内部管理業務の場合、目標設定は難しいです(民間企業の場合、どうしているんでしょうか)。数値にならない目標もあります。でも、「××プランを、9月までにつくり、市民に公開する」といったように、数値でない目標はあります。この場合、当然、プランをつくるだけでは達成でなく、内容が実のあるものでなければなりません。
それより問題なのは、「あの組織はもう目標を達成したから廃止しよう」ということが、ほとんどないことです。官庁では、これまで予算や定数・法律の数といった「入力」で評価されたので、「成果」では評価してこなかったからです。
近年、政策評価や行政評価が議論になり、取り組まれています。そして、これまでの入力評価でなく、効率や顧客満足度による評価に変わりつつあります。これは良いことです。しかし、これらも目標達成度という観点からは、まだ十分には機能しません。組織定数の査定も、せいぜい「忙しいから増やそう、暇そうだから減らそう」です。次回に続く。

公務員の評価・続き

職員に対し職務内容書を示さない、達成すべき目標を示さないので、その職員の業績評価はできません。学校でたとえるなら、習得すべき学習内容が示されないのです。よって、試験による成績はつけられません。例えば、3年生で覚えなければならない漢字とかかけ算とか、100点の内容が決まっていないのです。達成度試験はできません。すると相対評価になります。クラスの中で、よくできるかできないかです。テストでなくコンクールです。
(仕事の単位は人でなく課・係)
官庁の場合、大部屋で仕事をしています。個人ごとに達成すべき職務内容を示さず、たいがいは課や係単位で仕事が決められています。例えば、ある人がひとまず割り当てられた仕事を片付けたとします。その人は、帰って良いのでしょうか。これが、先に提起した問題です。その場合、まだ終わっていない人の仕事を手伝ってあげるのが、いい人なのです。組織として達成すべき仕事があるなら、みんなで協力して早く終わることが望ましいでしょう。大部屋主義は、融通が利くのです。これが日本型経営の、優れた点であったのです。
しかしそれは、各人の職務内容が明確でないことの裏返しです。各人の職務に融通が利くということは、各人の達成すべき仕事が伸び縮みするということです。物差しが伸び縮みすると、評価は難しくなります。このように、大部屋主義であることと職務内容書がないこととは、裏表なのです。

公務員の評価

今日は、評価について、考えていることを書いてみます。公務員制度に対する批判の一つが、「公務員の評価がなされていない」ということです。しかしこれも、実はあいまいな話です。議論を整理してみましょう。今回も、正確さを捨てて、わかりやすく大胆に切ってみます。
(昇進選抜のための評価)
実は、評価はされているのです。昇進について言えば、次官まで出世する人、局長までなる人、課長になる人、なれない人と、評価はされているのです。これは上級職だけなく、Ⅱ種Ⅲ種の人たちや地方公務員もそうです。そして、本人の不満や周囲の批判もありつつ、たいがいの場合は「やはりあの人が出世した」「あの人は無理だよな」と、落ち着くところに落ち着きます。このように、昇進の選別のための評価は、有効に機能していると思います。もっとも、これも物差しがないので「有効ではない」との批判があれば、水掛け論になりますが。しかし、評価がされていることは、間違いありません。
その際、問題なのが、官僚(国家公務員上級職と思ってください)の、同一年次一律昇進です。同期は、係長・課長補佐・課長と、ほぼ同時期に昇進します。職員採用勧誘パンフレットなどに、「入省後何年で係長」とか書いてありますね。そして、後輩年次との逆転は、まずは起こらないのです。もちろん、課長補佐でも、重要なポストかそうでないかの差はつきます。また、課長以降すなわち審議官・局長には、なれない人が出てきて、差がつきます。なれない人は、いわゆる天下り=第二の職場へ転職するのです。ポストがたくさんないと、このような一律昇進は難しいです。また、年次を超えた実力評価は、されていないということです(地方団体では、一律昇進は、まずは行われていません)。
全員を途中まで同じように処遇することで、みんなががんばるというメリットがあります。逆に早い段階で選別すると、ふてくされる人が出てきます。
(給料への反映)
これは、先日(1月25日の項)書きました。これまでは、給料・昇級・ボーナスに、そんな差はつきませんでした。その点、部下の成績で給料に差をつけることのできない管理職は、民間で言う管理職ではない、ということです。今年から、少し制度は改革されました。しかし、上に書いた「一律昇進」を続ける限りは、限界があります。
(仕事をさせるため)
官僚についていえば、「よく働いている」「残業もいとわない」という評価が一般的です。給料に差がつかなくても、昇進のために、あるいは信念でよく働くのでしょう。すなわち、評価が昇進選抜のためなら、今も機能しています。給料に差をつけるためなら、これまでは意味がありませんでした(仕事をしない職員にはどうするか。これは一律昇進で競わせる官僚とは、別の問題になります。昇進と給料でもっと差をつける=ムチをあてるのでしょうか)。
(何で評価するのか=100点は何か)
ここから、現場にいる官僚には、より大きな疑問が出てきます。これから評価を厳しくするとして、何で評価されるのだろうか。上司としては、部下を何で評価して良いのだろう、ということです。もっと直截に言いましょう。「与えられた仕事を片付けて、早く帰宅したらだめなのか」です。部下を評価する書類(様式)には、評価すべき項目が並んでいます。それはそれで意味があるのですが、職員の業績評価の一番の基準は、「与えられた仕事を達成したかどうか」でしょう。
しかし、各人には職務内容書(ジョブ・ディスクリプション)が示されていません。「あなたは、今年1年で、これこれの仕事をしなさい」(達成したら給料を満額払う。それ以上やったらボーナスをはずむ。しかし、達成しなかったら減額し、来年は降格する)とは、指示されないのです。何メートル走ったらゴールがあるのか、分からないマラソンをしているようなものです(定型業務、去年と同じようにやっておれば良い業務なら、わかりやすいですが)。
ゴールの分からない競争をするとどうなるか。上司としては、相対評価で評価するしかありません。「周りの人よりよくできる」です。それと組織への忠誠度です。和を乱す人は困ります。これらは、人物評価であっても、業績評価ではありません。人物評価と業績評価の二つは、別物なのです。もっともこれは官庁だけでなく、日本の多くの民間企業(内部管理・企画部門)に共通した問題だと思います。さて、これらの問題は、「大部屋主義」と連動しています。これについては、次回に。