「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

暮らしの複線化・日本社会の偏りと行政の限界

今日発表された「暮らしの複線化研究会報告」を、再チャレンジのHPに載せました。IJUターンや二地域居住、都市と農村の交流です。私も研究会に出席しましたが、勉強になりました。
団塊の世代など、物見遊山でない長期滞在型の旅行を望んでいる人が大勢います。ところが、日本のホテルと旅館は、非日常を体験する施設となっていて、日常の延長の暮らしはできないのです。旅館の食事は豪華で、とても毎日食べ続けることはできません。費用も高いです。そのような旅館も必要ですが、安くて長く滞在できる施設も欲しいのです。ふだんと同じ食事、仲居さんが至れり尽くせりのサービスをしてくれなくてもいい、できれば放っておいて欲しい。でも、そんなのは湯治の温泉宿くらいしかありません。ヨーロッパや東南アジアには、安くて長く滞在できる施設があります。日本人も、そのような海外の施設を利用しているようです。
また、民間の方の「行政が補助金を出してやっている限りは、だめです」という発言も、衝撃的でした。「ビジネスにならないと、続きませんよ。補助金が終わったら、事業は終わりですから。これが、行政のモデル事業の限界です」とも。おっしゃるとおりです。

金融行政・官僚の失敗、対行政暴力

抵当証券会社「大和都市管財」の被害者が国に損害賠償を求めた裁判で、国が負けました。6月7日の各紙が、大きく取り上げていました。消費者の被害について国の賠償責任を認めた、初めての判決だそうです(6月10日付け朝日新聞社説)。
問題は、1995年に大蔵省近畿財務局が、同社の経営状態に問題があるとして業務改善命令を出そうとしました。しかし、呼び出された社長が、あたかも同和団体であるかのような名刺を示し、「組織を挙げて闘う」と抗議すると、財務局は改善命令を撤回してしまったことです。そして3年ごとの登録を更新したことが、合理性を欠いて違法と認定されたのです。判決には、「及び腰」「先送り」「検査を放棄」といった文言が、並んでいるとのことです。
新聞は、次のことも指摘しています。
・・当時は、大蔵省による護送船団方式にほころびが見え始め、金融システム不安が広がりつつあった。金融機関の経営危機に対応する制度も未整備だった。金融庁幹部は「100%の証拠がないと、危ない印象だけで破綻なんかさせられなかった」と振り返る・・(7日付け朝日新聞「官僚の失政浮き彫り」)。

地域の若者自立支援の仕組み2

今日は、第3回の「暮らしの複線化」研究会を開催しました。毎週、いずれかの会議を開いて、これからの課題を研究しています。(5月28日)
5月31日に、再チャレンジ推進会議で、プラン(18年12月策定)の進捗状況の確認と今後取り組む方向を示した「再チャレンジ支援の今後の方向性」を決定しました。今後の取り組みの中心は、地域において支援を必要とする若者を対象に支援を拡充することと、大都市と地方との二地域居住やUJIターン等の促進です。これら以外の施策も進めますが、それらは各府省が取り組んでくれます。ここに上げた二つは、各府省にまたがるので、再チャレンジ室がとりまとめに乗り出しました。(6月5日)
第16回会議(6月4日)「少子化対策について」議事要旨p10から。
丹羽議員の発言
「1つだけお願いしておきたいが、少子化対策をこれから進める上において、平成19年度予算では、一体少子化対策としてどんな施策を打ったか、その有効性はどうであったか、予算はどのように使われたかという検証をしながら来年度に向かって施策、具体的な対策を打っていく必要があるだろうと思う。
内閣官房でやっている再チャレンジ支援策は、以前にも言ったが230以上の施策を打っており、これがどのような進捗状況であるかが、今検証されている。それを見ながら、何が足りなかったか、これをこうしようと議論するべき。同じような施策をいつもゼロから同じように議論するということではないと思う・・」
ありがとうございます。お褒めにあずかって。再チャレンジ支援策のように、予算額で評価できない施策は、成果目標や産出量目標を立てて、それが達成できているかを評価しないと、どれだけ進んだかわからないのです。「積極的に取り組む」では、国民にはわからないのです。(6月11日)

政府から独立した政策機関

9日の日経新聞「世界を語る」は、「重みを増す金融政策」で、前イングランド銀行総裁へのインタビューでした。イギリスでは、不安定な経済とポンド危機から、中央銀行の政府からの独立とインフレ目標政策を採用し、成功しました。日本でも、日銀が大蔵省から独立し、インフレ目標は立てていないものの、政策決定をより透明にしました。
私は、金融政策という国家の重要な政策が、政府とは独立して行われることに、関心を持っています。素朴な民主主義では、内閣か大統領が責任を持つべきです。しかし、これまでの経験から得られた結論は、政治が関与すると良い結果にならないということでした。もちろん、政府は総裁の任命権を持つなど、関与はします。その代わり、中央銀行には説明責任が生じたのです。
これは、NHKにも共通しています。報道は政治から独立すべきだということは、常識になっています。公共放送ということで、受信料や経営には政府と国会が関与します。しかし、放送内容には関与しないようにしているのです。

政府とは誰か

大連載第3章一政治と行政(第9回・5月号)で、「政府の責任といった時に政府とは何を指すか」を述べました。国権の最高機関は国会であり、伝統的憲法学では国会が法律を決め、内閣がそれを実行します。しかし、そのような理解では、統治は果たせないことを指摘しました。そして、内閣が政策の立案をし、国会が内閣をコントロールする図式であることを述べました。
今日、それを考えさせる実例がありました。衆参両院で行われた、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」です。内容は決議を読んでいただくとして、ここで注目するのはその構図です。決議には、次のような文章があります。
「政府は、これを機に次の施策を早急に講ずるべきである。
一 政府は・・アイヌの人々を・・先住民族として認めること。
二 政府は・・これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと」
そして、官房長官が「政府として改めてこれを厳粛に受け止めたい」と発言したと伝えられています。
これは、国会が内閣に対して施策を要求し、内閣がそれに応えるという構図になっています。国会が法律を決めるものであるという考えなら、決議ではなく、具体的な法律を決めることができたはずです。もちろん、方針は国会が決め、具体施策は内閣が決めると理解すれば、今回の決議も理解できます。しかし、その具体策が法律の形を取るとするならば、その法案は内閣提案になります。
そしてこの決議では、政府とは、内閣を指していると考えられます。
ところで、第一項の「先住民族として認めること」について、内閣を名宛人にしていることは、少し疑問があります。これは政策を立案することでなく、政府として「認める」ことです。それは、国権の最高機関である国会が「認定」し、宣言しても良いことではないでしょうか。
不十分な理解で、間違ったことを主張してはいけないので、国会ではどのような議論がされたか、もう少し勉強してみます。