カテゴリーアーカイブ:行政

ソフトパワー

2008年5月12日   岡本全勝
このHPでも何度か、ソフトパワーの重要性について述べてきました。麻生外務大臣の演説「文化外交の新発想」が、それを主張していることを教えてもらいました。
「本日ここには、コンテンツ業界の皆さんが大勢おいでのことでしょう。皆さんこそは、現代日本の文化を世界に広めていく、新時代の担い手だと思っております。例えば中国の街で、若い人が行くオタッキーな店を覗いてみるとよくわかります。日本のアニメグッズ、ありとあらゆるフィギュアが、所狭しと並んでおります。Jポップ、Jアニメ、Jファッション。これらの競争力は、ミッキーとドナルドには悪いですが、実際聞きしに勝るものがあります。
皆さんが好きでやってきたこと、外務省はおろか、誰に頼まれたのでもなく打ち込んでこられたこと。それが着実に、日本のファンを増やしております。若い人たちのハートを、中国始め、いろんな国でつかんでいます」
「漫画の話をし始めますと、私の場合きりがなくなるのでここらでやめておきますが、外交というものは外交官同士、秘密の交渉をし、おしゃれな会話をして進めることだという古い固定観念は、この際きれいさっぱり捨ててください。
『日本』とか、『ジャパン』と聞いて、ぱっと浮かぶイメージ。それが明るい、暖かい、あるいはカッコいいとかクールなものですと、長い目で見たとき、日本の意見はそれだけ通りやすくなります。つまり、日本の外交がじわりじわり、うまく行くようになるわけです」
「日本のブランド力は決して弱くありません。それどころか、最近米国のある大学とイギリスのBBCが、世界のいったいどの国が『良い影響力を持っているか』についてアンケートを取ったところ、調査対象33カ国中、31カ国までが、日本を挙げたという事実があります。これだけ圧倒的多数の国に支持された国というのは、この調査による限り他にありません。日本はダントツの1位です。
国を、一種の企業のようなものと見て、そのものずばり、ブランド力を計る調査というものもありまして、英国の専門家がやっております。それでも日本はドイツの次、フランスの上で、第7位です。アジアからは唯一、10位以内に入る国です。こういう土台のうえに、古いものから新しいものまで、日本文化をいろいろとアピールしていかねばならないと、思っております」
「日本文化を外国に広めていく王道は、なんといっても日本語の学習者を増やすことです。皆さん世界中で日本語を勉強しようとする人の数は、増えていると思われますか、減っていると思われるでしょうか。
日本経済は長いこと低迷したので、それに連れて日本語に興味を持つ人も減っただろうと思いきや、実は増えております。外務省関連の独立行政法人、国際交流基金の調べによると、1990年に98万人だった世界の日本語学習人口は、2003年に235万人と、倍以上になっております。
なぜかと思ったら、テレビから流れてくるアニメの主題歌が、日本語なのです。それで自然に、日本語に関心をもつ子供たちが増えてきた…。日本のポップカルチャーが、今までとはまったく違う関心を日本語に対して生んでいるからなのです」
これは、デジタル・ハリウッド(略称デジハリ)という、デジタルコンテンツの学校で行われた演説です。デジハリは、私も一度見学に行ったことがあります。皆さんなじみがないでしょうが、間違いなくお世話になっています。CGグラフィックで作られたテレビコマーシャルの多くが、この学校関係者の作品だそうです。
大臣演説の画面に添えられている「プレゼン用データPPT」は、楽しめますよ。PDFの方は動きませんが、PPTはクリックするかページダウンを押すと画面が動きます。これも、デジハリの学生さんの作品のようです(スライドをとばし先に行くとき、終わるときは右クリックしてください)。

その2 政府のパフォーマンスへの疑問

2008年4月29日   岡本全勝
このように、マネージメントは組織(会社、政府)の内部に着目したものです。一方、ガバナンスは、その組織を作った者との関係まで視野を広げます。すなわち、組織を株主や国民から委託された代理人と見なして、どれだけ委託者(株主、国民)の意向を反映しているかを見るのです。
このような議論が始まったのは、次のような背景があります。企業にあっては、会社は株主のもの(アメリカ的考え)か、経営者と従業員などのもの(日本的考え)か、という議論がありました。所有と経営が分離された段階で、所有者(株主)と経営者(会社)との関係が、問題になったのです。オーナー社長の場合は、これが問題になりません。
政府にあっては、国王が国家・国民・政府の所有者である場合は、オーナー社長です。しかし、民主主義になって、国家と政府の所有者が国民になると、委託者である国民と受託者である政府の関係が問題になります。
政府にあってガバナンス論が大きくなったのは、政府の機能不全があります。1970年代まで、日本を筆頭に西欧先進諸国では、政府・経済・社会が蜜月時代にありました。好調な経済成長に支えられ、政府は行政サービスを拡大し、また国民から信頼されていました。しかし、その後、経済成長の低下とともに、財政赤字の拡大、政府の非効率が目立ち、政府のパフォーマンスに疑問が持たれるようになったのです。
行政改革、新自由主義的改革、NPMなど、いくつものアイデアが持ち込まれました。そして、行政機構内部の改革(スリム化・効率化)から出発して、政府の生産物(政策や行政サービス)を問うところまで議論が広がりました。スリム化は、現在のサービスを前提として、効率化を目指します。生産物を問う場合は、そもそも政策が国民の期待に応えているかが、問われます。顧客重視です。続く。

政治の役割10

2008年4月28日   岡本全勝
日経新聞連載「日本を磨く」6日は、川勝平太教授の「世界に誇る美の国に」でした。
「日本の世界史的位置はこの20年ほどで劇的に変わった。明治ー昭和期には欧米のキャッチアップを目指す国であったが、昭和末ー平成期にかけアジア地域間競争のリーダー格に転身した・・・日本はアジア域内競争の渦中にあり、アジアの人々から憧れられ、追われ、模倣される立場になっている。ただ、日本はまだ従来のキャッチアップ・システムを引きずっており、国のかたちが、今日の世界史的地位にそぐわなくなっている」
「ここで、問われるべきは・・・富国強兵という近代国家の国のかたちである。富国強兵は明治政府の国是であった。だがそれは当時の西洋諸国のアイデンティティーだったのではない。相手の本質を見抜いた日本人独自の国是である。西洋人は自らをどう認識していたか。『文明』である」
「軍事力も経済力も国の独立には不可欠であっても、十分条件ではない・・・新しい力を加味し米国型の富国強兵路線を超えなければならない。その力を『文化力』と呼びたい」
「端的には生き方である。日本人の生き方こそが、日本の文化なのである・・・それが磁場のように他国の人々を引き付け、魅了し、求心力をもつようになること、それが『文化力』である」
「それは、『美の国』日本を創ることでもある。そのときこそ、日本の『かたち』は中央集権から地域分権へと革命的に変わる。しかもこの大変革を、国内の混乱なく平和裏になしうるところに、日本人の実力と日本の世界的モデル性の神髄があると思われる」
7日は、西垣通教授の「目指せ超多極分散国家、IT文明に適応を」でした。
「国家を成り立たせる要素は多いが、その一つはメディアである・・・国家とは自然発生的共同体ではなく、想像の共同体なのである。そしてその想像の部分をになうのがメディアなのだ。近代国家を支えてきたのはマスコミだった」
「とすれば、インターネットなど新たなITによるメディアの台頭とともに、国家もまた変容を迫られよう。21世紀の望ましい国家像とはいったいいかなるものなのだろうか。結論から言おう。それは中央集権的な国家ではなく、分権的な自治州の連合体のようなものだと考えられる」
「アナログメディアでは、情報は物質と基本的に一体で、容易には操作できない。それ故中央拠点に情報と物質とを集積し、そこで枢要な情報処理と知的生産活動をおこない、その結果を全国一律に提供することが安定した有効性を持つ。こうして、首都に中央官庁や大企業の本社が集まり、そこからマスコミなどをつうじ同一の情報や商品を津々浦々に浸透させるという一極集中社会ができあがる。そして、日本がこういう中央集権的国家として20世紀に大きな成功を収めてきたことは言うまでもない」
「しかし、IT文明の時代、デジタルメディアでは・・・こういう方法が最善とはかぎらない。一極集中によって国内があまりに標準化・均一化されすぎると、国民のユニークなアイデアや創意工夫はとかくつぶされてしまう。それだけではない。情報量の急速な増大は、物質面で国土に過度のアンバランスをもたらす。いわゆる東京一極集中問題はその典型である」
「問題の解決の鍵はITの高度利用にあるのだが、なぜかこの点はあまり議論されない。せっかくの技術革新も、一極集中のままでは大きな影響力を持ち得ないだろう。大都市ばかりが恩恵をうけ、地方は文化的に取り残され、いっそう経済格差が広がりかねない」
「多極分散化はいかに実現されるのだろうか・・・現在検討されている道州制がこの方向と合致していることは指摘するまでもない。首都に集中している行政サービスの多くは州都に移るのだ。しかし、これだけでは単なる地方分散化にすぎない。大切なのは・・」(4月9日)
毎日新聞は26日から、「小泉時代と改革された私」という連載を始めています。27日は「ゼネコン破綻は構造改革が順調に進んでいる表れ」という小泉総理の言葉とともに、不良債権処理を取り上げていました。28日は「たばこ屋の数の2倍もある建設工事、これほど必要か」という言葉で、公共事業の削減と新分野を探す建設業者を取り上げていました。
構造改革の結果を具体現場の例から説明する、良い手法だと思います。抽象的な理論や、集計した数字だけでは分かりませんからね。(4月28日)

ガバナンス、マネージメント、アドミニストレーション

2008年4月28日   岡本全勝
以前から、ガバナンスとマネージメントについて考えています。大連載では第4章で書く予定です。関係する書物を読んで、少しずつ考えが整理できつつあるので、書き留めておきます。
(ガバナンス論の民と官)
ガバナンスが取り上げられるようになったのは、1990年代、コーポレート・ガバナンス(企業統治)からのようです。それに触発されて、パブリック・ガバナンスの議論が盛んになっています。
まず、ガバナンスとマネージメントと、どこが違うか。ガバナンスは統治・支配であり、マネージメントは管理・経営です。前者は、株主が経営者を選び、経営を委任し、その執行を監視することです。会社の目的を決定することも含まれます。株主は会社の所有者です。
後者は、経営者が会社を経営することです。さらに、マネージメントには、狭義のマネージメントとアドミニストレーションがあります。狭義のマネージメントは経営であり、経営者が目的に沿って事業戦略を立て、組織・人員・予算、さらには経営システムを決定します。アドミニストレーションは、より下位の監督で、事務の執行管理です。経営者でなく、各部門の責任者(課長など)が行います。
これを政府に当てはめてみましょう。政府が会社であり、株主は国民です。国民が政府の所有者です。国会を通して内閣に行政を委任します。国民が政府を支配することが、ガバナンスです。かつて、統治といえば、政府が国民を統治しました。主体は政府であり、統治客体は国民でした。被治者とも呼ばれます。しかし、新しいガバナンス概念では、統治(支配)の主体は国民であり、統治されるのは政府です。続く。