カテゴリー別アーカイブ: 行政

行政

再チャレンジ室廃止

このたび、内閣官房再チャレンジ室が、廃止されました。仕事は事実上終わっていたのですが。わたしの、再チャレンジ室長併任も、解除になりました。関係資料は、内閣官房の「活動を停止・終了した会議」の中に保存されています。このページは、これまでの内閣の関心事項(各府省でないもの)が、わかります。「大連載」でも、内閣官房による政策の統合を取り上げました。どのような分野が対象になったか、整理してみようと考えているのですが。

外交と国家戦略の歴史

本田優「日本に国家戦略はあるのか」(2007年、朝日新書)を、読みました。そこに、外交・国家戦略から見た戦後の3区分が載っています。
第1期は、敗戦の1945年から沖縄返還の1972年までです。第2期は、1972年から冷戦終結の1989年までです。第3期は、1989年から現在までです。
第1期は独立と復興が国家目標で、沖縄返還と経済成長を達成しました。目標は明らかでした。そして、平和を保ち、経済大国になりました。第2期は、経済大国になって目標を失いました。国際的には、ニクソンの対中政策などで冷戦が緩和し、またソ連のアフガニスタン侵攻で緊張しました。しかし、日本は新たな目標や戦略を持たないまま、時間が過ぎました。
第3期は冷戦が終結し、国際的枠組みが大変化し、地殻変動が起きています。日本は、湾岸戦争への協力、PKOへの参加など対症療法的に対応しています。また冷戦終結は、経済にも大きな影響を与えました。
私は、戦後日本の行政を考える際に、経済成長から3つの時期に区分して説明しています。「新地方自治入門」p125など。私の区切りは、石油危機の1973年とバブル崩壊の1991年です。私のは経済財政であり、本田さんのは外交国家戦略です。しかし、少しずれてはいますが、私の区分と本田さんの区分は、見事なくらいに一致しています。
そして、第1期は目標が明確でありそれを達成したこと。第2期は目標を失ったこと。第3期はもっと混乱していることも、同様です。国家戦略からいうと、第2期は現状を謳歌し、次の手を打たなかった考えなかったという点において、「失われた期間」だったのです。
連載「行政構造改革」第1章第2節(10月号)では、経済成長の3区分を基に、これが負担を考えないという日本の欠点になったことを論じています。また、冷戦時にアメリカの傘に入ることによって、「一国繁栄主義」「一国平和主義」になり、国際貢献を考えなくなったことも、議論しています。

年金一元化

朝日新聞15日の変転経済は「年金一元化」でした。それまで、国民年金・厚生年金・国家公務員共済・地方公務員共済など、職域でバラバラだった年金制度(保険料と給付額)が、1986年の改正で一元化に踏み出しました。それが基礎年金部分です。上乗せ部分は、依然として別立てです。そして、その後の一元化は、予定通りには進みませんでした。
また、その際には、年金財政全体と、個別の年金財政がもたない(破綻する)という、問題もありました。全体では、保険料を引き上げ、将来の給付を引き下げることとしました。もっとも、それだけでは不十分だったのですが、当時としては給付引き下げは画期的でした。その後、年金財政見直し(引き下げ)は、定期的に行われています。
一方、個別に破綻しそうだったのは、国鉄・農林共済などです。これらはその他の年金に吸収することで、救いました。

豊かな社会の国家の任務

井上達夫著「法という企て」(東大出版会、2003年)、第10章「法は人間を幸福にできるか?」から。
・・現代社会において幸福追求権を実質化するには社会経済的基盤の保障だけですむかという、難しい問題がある。日本もかつてそうだったが、発展途上段階では国家の主たる関心は、国民生活の物的経済的向上に置かれる。しかし、いわゆる「豊かな社会」になると、経済的な豊かさ自体が精神の空虚化、人生の意味や目的の喪失を生むという問題が浮上する・・
そうすると、幸福追求権を実質的に保障するには、これからは単に社会経済的基盤だけではなくて、人々の精神的基盤をも国家は配慮しなければならないのだろうか。しかし、精神的基盤の保障となると非常に微妙な問題があり、一歩間違うと先述の卓越主義のように、邪教から青少年を保護するために国家が信教の自由に干渉するという怖い帰結を生む。
ここで、もう一度幸福の自律的探求という発想に立ち返る必要がある。人々が自分で挑戦し、失敗して、失敗から自分で学ぶとともに、他者からの批判や助言を受けとめつつ成長していく。そういうプロセスを実質的に保障することを、国家は自己の任務とすべきである。では、そのために、何が必要か。複雑な問題であるが、以下、二点だけ指摘して結びに代えたい。
・・もう一つ、最後に提案したいのは、日本を「やり直しのできる社会」にすることである・・
このあとに、再チャレンジに通じる議論が展開されています。私の研究テーマである、新しい時代の行政の役割を考える過程で、この記述を見つけました。あわせて、再チャレンジの法哲学的基盤も、見つけました。本は買ってはあったのですが・・。

衆参のねじれ

参議院で野党が多数を取り、衆議院とのねじれが、新聞などで議論されています。衆議院と参議院とで、違う結論が出る。もっと端的に言えば、内閣と与党の意見である法律が通らない、ということです。
しかし、これは、憲法が想定していたことです。また、政治体制が異なりますが、アメリカでは、近年、大統領が属する政党と、上下両院の多数党が違ったときの方が多いのです。
そもそも、議院内閣制は、衆議院の多数党が内閣を組織するので、衆議院と内閣との間では、緊張関係は期待できません。最初から「談合」なのです。三権分立と言われますが、議院内閣制は不完全な分立です。
これに関して、大統領が強く、首相は弱いという説がありますが、制度的には逆です。首相は内閣とともに、衆議院を抑えているはずですから、大統領よりはるかに強いのです。あとは、運用と政党内での権力構造によります。
そうすると、内閣と衆議院(与党)を牽制するのは、参議院の役割になるのです。ここに、国会の議論が活性化します。これに対し、参議院でも与党が多数なら、政府与党案が必ず成立します。すると、国会審議より、与党内での意思決定が重要になるのです。
5日の産経新聞「正論」で、川本裕子早稲田大学大学院教授が、これに関して、次のように述べておられます。
・・こうした分裂国会の展開は、バブル崩壊以降の日本の企業経営がたどってきた道と類似する点がある。かつて日本企業の株主総会は、あらかじめ書かれたシナリオ通りに進むことが常態だったが、最近では株主が積極的に意見を表明したり、M&Aの是非や株主への利益還元を巡って投資家と経営陣が相互に論陣を張るなど、議論が活発化している。そこでは企業の真の利益とは何か、自らの考え方を理路整然と客観的な証拠で説明する能力が経営者に求められている。
また、取締役会も、以前は会社内部出身者だけで固め、上がってくる提案にラバースタンプを押している傾向が強かった。しかし、それでは組織の内向きの論理が優先されがちで、社会動向を見据えた抜本的な方針転換や、着実なコンプライアンス(法令遵守)が実際には期待できないという反省が強まった。幅広い視野から経営方針を提言する社外取締役の登用を増やし、役員のチェックアンドバランスや業績評価を強化するなど、企業ガバナンス(統治)改革により経営の説明責任を強化する動きは今後とも強まる・・
行政にあっても、いわゆる行政委員会の責任が、問われることになるでしょう。公安委員会、教育委員会、さらにはNHK経営委員会など。これまでは、教育委員長より教育長が、公安委員長より県警本部長が、前面に出ました。NHKでも、委員会から業務を委ねられている「会長」が前面に出ていました。委員会の責任は、問われなかったようです。国会審議でも、経営委員長が呼ばれることは少なく、会長が呼ばれます。このようなことも、変化が起きると思います。