「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

自己責任か社会の責任か

田端博邦著『幸せになる資本主義』(2010年、朝日新聞出版)を読みました。この表題だけではわからないのですが、内容は、市場と社会(公共や政府)の関係を論じたものです。それを、自己責任と社会の責任という観点から、分析しています。市場原理を重視すると、自己責任の領域が増えます。しかし、それでは人は生きていけない、幸せになれないことから、公共や政府の役割が重要になります。
市場原理では、失業は個人の責任です。よりよい収入や職業を目指して、各人が努力する。それが、市場を活性化し発展させます。努力しない人は、職につけません。しかし、一定の失業率が発生するなら、全員が努力しても、必ずや失業者が出ます。それは個人の責任とは言えません。マクロ的には、完全雇用を目指して経済政策がとられます。ケインズ政策です。他方、個人に着目すると、失業手当や再就職支援を行います。
それは、所得を十分に得ることができない人たちに対する生活保障(高齢者、障害者)、医療、教育、住宅などの公的保障に広がっています。個人責任だとして放置せず、社会の責任として引き受けるのです。
近代市民社会憲法は、個人の自由・個人の責任という原理から出発しましたが、自由だけでは、実質的な生存の自由を保障できないことがわかったのです。この観点から見ると、近代の歴史は、市場に対し政府が介入を進める過程であり、自立できない個人を国家が救う歴史であり、自己責任から社会の責任へ転換していく歴史です。
近年のネオ・リベラリズムとそれに対する批判、経済の自由主義的改革やグローバル化と金融危機・金融規制は、そのせめぎ合いが現れている局面です。

刑務所出所者の社会復帰

29日の読売新聞に、福島自立更生促進センターが、8月から入所者を受け入れるという記事が載っていました。自立更生促進センターは、刑務所を出所する人たちの社会復帰を支援するための施設です。法務省のホームページには、次のように書かれています。
・・犯罪をして刑務所に入った人も,刑期が終われば必ず社会に帰ってきます。こうした人たちが,二度と犯罪をすることなく,確実に更生することは,社会の安全にとても重要なことです。
ところで,刑務所を出ても,頼るべき親族や知人がなく,仕事もない中で,すぐに自分一人の力で生活しながら更生することは,決して容易なことではありません。こうした人たちを確実に更生できるようにするためには,刑務所からの釈放と同時に国が手を離し,いきなり一人で社会に戻すのではなく,出所後も一定期間,国の専門機関の監督下に置き,犯罪とは縁のない健全な社会生活を送れるよう,指導や援助をしていくことが必要です・・
そして、身元の引き受け手がない仮出所者を受け入れ、就労支援をするのが、この自立促進センターです。再チャレンジ型の社会にするためには、重要な施設です。しかし、施設周辺住民の反対などもあり、なかなか難しいのです。

児童虐待

厚生労働省が、児童虐待の件数などを発表しました。昨年度、全国の児童相談所が対応をした児童虐待の件数は、4万4千件と過去最多になりました。この件数は、10年ほど前から急増し、児童虐待防止法が施行された平成12年度のおよそ2.5倍に増加しました。虐待を受けて死亡した子どもは64件で67人です。何とも、痛ましいことです。

引きこもりの人数

7月24日に、内閣府が、「引きこもり調査」結果を公表しました。新聞各紙も伝えていますが、それによると、狭義の引きこもり(自室からほとんど出ない、家から出ない、ふだん家にいるがコンビニなどには出かける)は、全国で24万人。準引きこもり(ふだんは家にいるが、自分の趣味に関する用事の時だけ外出する)が46万人。あわせて、70万人いると推計されます。うち、男性が66%、女性が34%です。別途、厚生労働省による推計は26万人で、引きこもりの人数は、ほぼ一致しています。
なお、対象となる15~39歳人口は3,880万人ですから、2%になります。また、「引きこもりの人たちの気持ちがわかる」という「親和群」は、このほかに155万人、4%います。
あわせて、内閣府は報告書をまとめ、ひきこもりや若年無業者など社会生活が困難な子ども・若者への支援について、地域における具体的な連携の在り方を関係者に提案しています。
このように、内閣府の共生社会政策統括官(局に相当)が、対策を進めています。

強い社会保障

古くなりましたが、7月9日の朝日新聞オピニオン欄「強い社会保障って?」、宮本太郎北海道大学教授の「現役世代支援するサービスを」から。
・・大陸ヨーロッパ諸国では「大きな社会保障支出」が「弱い経済」と「弱い財政・財政赤字」を引き起こしている。一方、北欧諸国では「大きな社会保障支出」が「強い経済」と「強い財政支出・黒字財政」と連動している。
なぜ同じ「大きな社会保障支出」が、異なる経済状況や財政状況を生むのか。重要な違いは、対国内総生産(GDP)比で比べた場合、オランダを除く大陸諸国は現金給付に重点を置いているのに対し、北欧諸国は公共サービスに重点を置いていることだ。
例えば北欧諸国では、現役世代を対象とした公的職業訓練や保育サービス、介護サービスなどの比重が大きく、現金給付も児童手当や教育期間中の所得保障など現役支援型だが、大陸諸国では年金の割合が高い傾向にある。
北欧型の社会保障は、人びとが失業や病気、出産や介護などで仕事ができなくなり、元気を失う前に支援しよう、若い世代に教育や技能習得の機会を与えよう、というものだ。この「翼の社会保障」が、結果として「強い経済」と「強い財政」と実現している。
逆に、人びとが元気をなくしてしまった後に、現金給付や休業補償をする「殻の社会保障」は、支出が多いほど経済の足を引っ張り、課税ベースを縮小させ、財政を不安定なものにしてしまう。これは「大きな社会保障」であっても、「弱い社会保障」だ・・
「強い社会保障」が「強経済」や「強い財政」につながる条件として、具体的には3点が重要だ。一つは人びとの「能力」を高めるものであること・・二つ目は「参加」だ・・3つめは「安心」だ・・
スウェーデンに行くと、大小さまざまな「社会保障ハンドブック」を売っている。出産した時、失業した時、病気になった時、どういうサービスを受けられるのかが容易にわかる。スウェーデンの中学の教科書は、社会保障の話に多くのページを割いている。日本でもぜひ取り入れて欲しい・・