柳澤協二著『検証官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と自省』(2013年、岩波書店)から。著者は、防衛官僚で、2004年から2009年まで、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を務め、自衛隊イラク派遣の実務責任者を務めました。この本では、イラク戦争に際し自衛隊を派遣した政策について、政府も国会も検証をしていないことを指摘し、個人でその総括を試みています。
・・防衛官僚としての半生を振り返るとき、与えられた状況の中で最善を尽くしたという意味で、職業人としての良心に恥じるところはない。・・だが、そのことと、私が関わってきた政策に誤りがなかったかどうかを問うこととは、別の問題だ。
イラク戦争は、世界の価値観を揺るがす大きな出来事だった。それをめぐって何度も議論し、考えた。疑問も残っていた。だが、官僚としての仕事はそれを所与の前提として受け入れたうえで、日米同盟を強化し、自衛隊を国際的に活用するための政策を立案、実行することだった。加えて、日々多くの課題を抱えた官僚の立場では、自分の仕事の根本的な意義や価値観を問い直す余裕はなかった。
それゆえ、退職した私がなすべきことは、自分自身が関わった政策(多くの場合それらは、疑いもなく正しいと信じていたわけだが)について、問い直すことだと考えた。それが、官僚としての職業的良心を貫く所以でもある・・
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行政学教科書、曽我謙悟先生
曽我謙悟・神戸大学教授が『行政学』(2013年1月、有斐閣)を出版されました。これからの、代表的な行政学教科書になるでしょう。
これまでの標準(スタンダード)は、西尾勝先生の『行政学』(新版、2001年、有斐閣)でした。私たちは、これで育ちました。もっとも、私が学生の時は、まだ出版されていませんでしたが。もう一つの代表的教科書は、村松岐夫先生の『行政学教科書』(2001年、有斐閣)です。
曽我先生の本は、これまでにない新たな切り口で書かれています。まず、第1部は「政治と行政の関係」です。これまでの行政学は、官僚制を分析することが重点でした。政治と独立して、行政機構があるかのような扱いでした。政治との関係という、重要な視点が抜けていたのです。
第2部は「行政機構」です。これは従来の教科書の範囲です。第3部が「マルチレベルの行政」、すなわち地方行政と国際行政です。これまでの教科書は、地方行政は取り上げていました。第4部は「ガバナンスと行政」です。そこでは評価だけでなく、市場やNPOとの関係も書かれています。
こうしてみると、これまでの行政学教科書が、行政組織と官僚制に焦点を当て、狭かったことがわかります。
欲を言えば、政策についての記述が欲しいです。行政は、国民や住民が求める課題について、それぞれ政策を講じることで、求めに応じます。教科書ということで、抽象化は仕方がないことですが。行政が何のためにあるかを考えると、透明な空気の中で無色透明な蒸留水をはき出しているわけではありません。安全、福祉、産業政策、教育など、何を「産出」しているのか。それが問われるべきです。
この点に関しては、飯尾潤先生の『現代日本の政策体系―政策の模倣から想像へ』(2013年3月、ちくま新書)を挙げておきます。現在あるいは現代日本の行政(中央政府、地方政府)が行っている「政策」を網羅した本は、見当たらないようです。
まだ2冊とも読み終えていないのですが、忘れないうちに書いておきます。これらの本を読むことで、行政官として、改めて自分のしている仕事を、広い座標軸の中に位置づけることができます。早く読み終えなければ、いけませんね。
制度をつくった場合の成果、「やりました」は成果ではない
役所が陥りがちな失敗に、仕事の量や成果を、インプットで計ることがあります。例えば、予算が増えたことをもって良くやったと評価されたり、残業時間が多いことで満足するとかです。かつての行政の評価が、予算に偏っていたことは、『新地方自治入門』p247で述べました。
しかし、公務員は、まだインプットで計る場面が多いようです。最近になって気がつきました。部下職員と話していると、彼は自分のやっていること、やったことを「アウトプット」と考えています。しかし、私や住民からすると、それは「インプット」なのです。
例えば、復興のための施策(予算や制度)をつくります。かつては、これが「成果」でした。最近は、職員も、さすがにこれをもって、「成果」「アウトプット」だとは言いません。その予算で何か所事業が進んだか、その制度で何か所認可をしたかを、成果と言います。彼にとっては、そうでしょう。
しかし、被災地では、その予算が付けられた復旧事業で、どれだけ生活が再建したか、街の賑わいが戻ったかが、「成果」です。予算が使われた事業の数や認可されたか所数は、現地では「インプット」です。
霞ヶ関で自分の仕事の範囲で「成果」と考えるか、現地での実績まで含めて「成果」を考えるかの違いです。
課長補佐が法律を1本作ったら、それは彼にとって、大きな成果です。しかし、課長や局長からすると、課長補佐のその仕事を高く評価しつつも、その法律によって現場でどれだけの効果が出たかを評価しなければなりません。
国会議員と話しているときに、各省の役人が「これだけやりました」と誇るのですが、議員は納得しません。「君たちは、やっている、やっていると言うが、現地では進んでいないではないか」と。そのすれ違いは、ここにあります。
福島県飯舘村、ふるさと1億円の活用
読売新聞「時代の証言者」今月は、福島県飯舘村の菅野典雄村長です。寒村の条件の下、酪農を志し、他方で厚い志を持っておられたことが、回顧録として記されています。
飯舘村は、全村避難を余儀なくされています。3.11までは、充実した幸せな生活を送っておられました。最初に村長にお会いした時、「しっかりされた村長だな」と印象を持ちました。その後も、何度もご一緒していますが、私の尊敬する村長の一人です。
村長は、「村が一丸となって帰るのだ」という信念を、当初から持ち続けておられます。この連載には、その背景が、書かれています。例えば、「村おこし」のために、仮装大会の他、さまざまな取り組みをされたようです。3月25日の「世界から村を見なおす」に、次のような話が紹介されています。
村では、若妻たちをヨーロッパに派遣する企画を行いました。「若妻の翼事業」です。引き続き、「嫁・姑、キムチの旅」「心の翼、家族物語」と、若嫁から始まって、年配婦人、親子、おじいちゃんと孫が、海外旅行に行きます。それも、農繁期に行くことで、ありがたさがわかるようにという配慮もしてです。その人たちが、その後の村づくりの人材となります。すばらしいですね。
さらに、この企画が実現できたのは、竹下内閣が「ふるさと創生事業」として配った、「ふるさと1億円」があったからだそうです。
・・・あの資金は、金塊を買うなどの自治体もあって「地方の無駄遣いの温床」と批判されましたが、我々の村では、その後の地域づくりに大変役に立ったのです・・
「ふるさと1億円」と聞いても、若い人は知らないでしょうね。昭和63年度(1988年度)の話ですから。四半世紀前の話です。このように役に立って、評価された自治体もあったのです。1億円があったとき、それを生かすも無駄にするのも、首長の識見です。
当時これを、自治省交付税課で担当した補佐が、椎川忍先輩でした。私はその後を引き継いで、平成2年から、地方債と交付税を組み合わせた「地域づくり推進事業」を担当しました。その頃の考え方は、『地方交付税-仕組と機能』に詳しく書きました。
世界のルール作りの舞台
朝日新聞3月17日経済面「波聞風問」原真人編集委員の「TPP交渉参加、G7ラウンドの幕が開く」から。
・・安倍政権が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加を決めた。日本のコメや自動車といった個別の利害得失はともかく、世界貿易にとって意味ある出来事だ。なにしろ、20年ぶりとなる新しい世界の通商ルールを作る舞台の幕開けとなるのだから・・
一昨年末、新しい世界の通商ルールをめざしていた世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンドが10年間のマラソン交渉の末に失敗した。150に及ぶ国々の利害調整もたいへんだったが、失敗の最大の理由は、米国がまとめようとした合意案を中国やインドがのまなかったことだった。
おかげで、WTOの立法機能は完全に機能不全におちいり、もはやWTOの新ラウンドは永久に立ち直れない、とさえ語られている・・
そこで米国は、中国ぬきのG7ラウンドで世界ルールを決める道を選んだ。それが世界標準となれば中国も無視できず、いずれその輪に加わらざるをえない。米国はおそらく、そんな大きな戦略を描いているのではないか・・
2008年のリーマンショックのあと、世界が協調して、大恐慌になることを防ぎました。1929年の轍を踏まないようにです。そして、自由貿易体制を堅持しさらに拡大すること、他方、リーマンショックの原因となった金融について国際規制をかけることが、当時の合意事項でした。その際には、G8だけでなくG20が舞台でした。麻生総理のお供をして、国際会議に行き、世界の経済とそのルール作り、さらには国際政治が動く現場を見ました(例えば2008年11月のG20、10月30日の経済対策(国内・国際)、合わせて当時の施策体系)。
熱いうちに打たないと、状況はどんどん変化し、提唱は実現しないうちに尻すぼみになります。次に、どのようにアイデアを提唱し、実現していくか。先進国が作ったルールに従うだけでなく、日本もルール作りに関与しなければなりません。それは、日本が繁栄するという観点からであり、世界が繁栄するという観点からです。