カテゴリーアーカイブ:行政

戦争孤児

2017年8月12日   岡本全勝

8月10日の朝日新聞オピニオン欄は、金田茉莉さんの「孤児たちの遺言」です。

・・・72年前の終戦の後、東京・上野の地下道は浮浪児であふれ、数え切れない子どもたちが餓死し、凍死しました。生きた証しすら残せず、「お母さん」とつぶやき、一人で死んでいった・・・浮浪児と呼ばれた子どもの大半は戦争孤児です。学童疎開中に空襲で家族を失った子もたくさん路上にいました。だれも食べさせてくれないから、盗みを働くほかなかった。不潔だ、不良だと白い目でみられた。「浮浪児に食べ物をやらないで」という貼り紙まで街頭にありました・・・
・・・当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなかったそうです。パニック状態になり、焼け跡で家族を捜しても見つからず、日が暮れて駅に戻りました。「生きていないと親に会えない」と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、「お母さん、どこにいるの」と言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて家出をして、浮浪児になった子も数多くいました・・

戦争孤児については、このページでも、何度か取り上げたことがあります。政府として十分な支援をしなかった、というより責任を果たさなかったことについてです。
何度読んでも、涙が出てきます。ひどいことをしたものです。両親を失い、だれも助けてくれない。子供が一人では、生きていくことはできません。ひもじい思いをして、両親を思い出しながら、ある子どもは生き抜き、ある子供は餓死していったのです。
戦争中も大変な暮らしを強いられましたが、身寄りをなくした子供たちにとっては、戦後の混乱期のほうが過酷でした。大人たちも、生きていくのに精一杯だったのですが。
政治と行政の責任を痛感させられます。

東日本大震災でも、大勢の遺児や孤児が生まれました。子供たちが困らないように、行政やNPOによる支援がなされています。もっとも、心の傷を埋めることはできません。

官邸と官僚の関係

2017年8月1日   岡本全勝

7月31日の朝日新聞、松下秀雄・編集委員の「Monday解説」「「記憶ない」「記録ない」政権に寄り添いすぎ? 官僚はだれの奉仕者なのか」から。
・・・93年の非自民の細川政権誕生まで38年間続いた自民党政権下の省庁人事は、官僚自身が決めていた。
当時も人事権は閣僚にあったが、短期で代わる「お客さん」。省庁は割拠し、官邸の力は弱かった。官僚は法案を通すため、自民党の族議員やそれを束ねる派閥実力者に気を配り、議員たちは影響力をふるったが、そこに人事権はない。分散する権力のはざまで、官僚は自律を保った。
その中で育ったのが、族議員や業界とのもたれあいや癒着。90年代によくいわれた「政官業の鉄のトライアングル」だ。それは官僚の威勢の源泉でもあった。
細川政権が生まれ、政権交代の時代に入ると、三角形は崩れだす。94年の政治改革をきっかけに、官僚の後ろ盾だった派閥や族議員は次第に力を失い、官邸に権力が集中。官僚の視線も官邸に向かう。だがかつての派閥や族議員とは違い、政権は頻繁に代わる。政権に近いとみなされた官僚が次の政権で代えられる例を含め、政治主導の人事が目立つようになる。
そして首相や官房長官が部長級以上の官僚人事を差配しやすくする内閣人事局が発足。強い力をもち、長期化する安倍政権に寄り添いすぎる官僚が問題化し、同時に官邸の手法への反発も生まれている・・・

・・・牧原出・東京大教授(行政学・政治学)は「90年代は朝日新聞も含め、『横暴な官僚』をたたいたが、これからは官僚を『全体の奉仕者』に育てる方法を考えなければならない」と唱える。官僚の力を生かす道を考え、政治主導をバージョンアップする提案である・・・

時の政権と官僚との関係

2017年7月25日   岡本全勝

7月25日の朝日新聞オピニオン欄、牧原出・東大教授の「「全体の奉仕者」どこへ」から。
・・・大切なのは公務員が何に奉仕するかということを明確化することです。かつての官僚支配時代、彼らの考え方は、戦前の官吏の延長線上にあって、「自分たちが国を率いているぞ」という感覚が色濃く残った「国益の奉仕者」でした。これが政治主導となって、「時の政府の奉仕者」になりました。このとき、「時の政府は国民全体か」という深刻な問いが官僚に突きつけられたのです。しかし、いまだ、この問いは解かれてはいないのでしょう。如実に示すのが文書の取り扱いです。今の政権も役所も、問題となった文書が「ない」と言っています。でも、別の内閣になって、前政権の問題を洗いざらい調査し始めれば、なかったものも出さざるを得なくなる。いま「ない」と言っていた人たちが責任を追及されることになるんです。
官僚には時の政府と共倒れになっていいのか、という自覚が必要です。前川喜平前文科事務次官が言った「面従腹背」の意味が生きてくる。様々な要求を出してくる政権と相対しながら、国民の奉仕者、全体の奉仕者のあり方を探っていく段階に来ていると思います。英国では官僚の倫理標準を提言したノーラン委員会が官僚が持つべき魂を示しました。無私、高潔、客観性、責任、公開性、誠実、リーダーシップの七つです。ごくごく当たり前の価値観のように見えますが、全体の奉仕者の目指す目標とは何かを実際の言葉にして議論していくことが重要です・・・

政と官の関係のあり方が、議論になっています。このホームページでも、かつてはそれを一つの項目にしていました(政と官)。省庁改革に参画して、いろいろと考えたのです。少し読み返しても、いろんなことを書いていますね。私の研究テーマの一つです。
その後、民主党政権、第2次安倍政権になって、実態が変化しました。今回の議論は、官邸と官僚との関係に焦点が当たっているようです。

アメリカ抜きの国際制度

2017年7月24日   岡本全勝

朝日新聞7月19日、藤原帰一・東大教授の「「アメリカ第一」の皮肉 弱まる世界への影響力」から。
・・・トランプ政権が発足してから半年が経った。その間に明らかになったのは、トランプ大統領の下におけるアメリカが国外への影響力を失いつつあることである。
その一面は、アメリカ政府の自発的な行動の結果である。「アメリカ第一」を掲げるトランプ政権は、政権発足直後に環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱し、二ログイン前の続きつの首脳会議、G8とG20においてアメリカ以外の諸国が反対を明示したにもかかわらず、環境保護に関するパリ協定からも離脱した。各国がアメリカを追い出そうとしたわけではないから、アメリカが意図的に退いたわけだ。
だが、アメリカが抜けた後にも国際的制度や機構は揺らいでいない。日本は欧州連合(EU)と経済連携協定について大枠合意に達し、TPPについてはハノイでアメリカ抜きのTPP11実現を目指す閣僚会合が開かれた。パリ協定についても、アメリカを除くG8・G20諸国は支える方針で一致している。貿易でも環境保護でもアメリカの撤退はアメリカなき国際合意への道を開いたのである。もしアメリカ政府が、アメリカが国際協定から離脱すれば各国が動揺し、国際協定の再交渉に合意するのではないかと期待していたとすれば、その期待は裏切られた・・・
・・・問題は、トランプ氏が政策遂行を専門家に任せようとしないことだ。この情勢が変わらない限り、つまりトランプ氏がトランプ氏であり続ける限り、アメリカの後退は続き、日本もEUも、アメリカ抜きの国際体制を作ることを強いられる。トランプ氏はアメリカを弱くした指導者として歴史の中で記憶されることになるだろう・・・
原文をお読みください。

政官関係、代理人としての官僚

2017年7月24日   岡本全勝

日経新聞7月24日の経済教室「政官関係の課題」は、曽我謙悟・京都大学教授の「官僚、専門性・透明性高めよ」でした。
・・・代理人としての官僚制の実態は4つに大別できる。第1は政策執行者としての官僚制だ。官僚制が政治家のコントロールの下で政策の実現に専念する。第2は逆に超然的な国士型官僚制だ。代理人が自律的な政策決定をしており、エージェンシー・スラックが発生しうる。第3は委任により本人が時間や労力を節約する場合だ。第4は委任により本人が知識や情報を補う場合だ。第3と第4は、第1と第2の両極の中間に位置する。
日本の官僚制は明治国家の成立以来、第2次大戦後もしばらく第2の類型に位置してきた。だが自民党長期政権の下で第3の類型に移行した。社会や野党との調整を含む多くの政策形成時の作業が官僚制に委ねられてきた。2000年代以降の政治主導の流れは第1の類型への転換を迫る面もあったが、実態は第3の類型から変わっていない。

学部認可問題を巡り、文部科学省の前事務次官は「公平、公正であるべき行政のあり方がゆがめられた」と記者会見で述べた。根底にあるのは第2類型の国士型という理想像だろう。しかしその時代は遠く過ぎ去り、政治家の労力と時間を節約するための第3類型の代理人が現実なのだ。
第3類型の本人・代理人関係で軽視されるのは、国民に対してアカウンタビリティー(説明責任)を果たすことだ。学部認可問題では文書の存否やその位置づけを巡る水掛け論が続いた。それは政府としての決定プロセスを記録・保存し開示することが制度化されていないからだ。政治家と官僚制の双方とも、いかなる政策決定をいかなる理由で行ったのかを、正確に国民に伝えることができていない。
また第4類型の本人・代理人関係は現実に遠い。現在の獣医学部の設置状況がどのような社会的、経済的な帰結を生み出しており、規制緩和でどう変化すると予測されるのか、データや客観的事実に基づく議論がなされていない。官僚制が知識や情報に優れるからこそ、委任を受ける存在となっていないのである・・・
原文をお読みください。