カテゴリー別アーカイブ: 政と官

行政-政と官

変化した政と官の関係

8月13日の日経新聞、大石格・編集委員のコラム「変わったのは政官関係か」から。
・・・政官関係に詳しい立命館大の真渕勝教授の『官僚制の変容――萎縮する官僚』などの論考によれば、官僚の思考・行動様式は図に示した流れで変化してきた。
政治主導か官僚主導かだけが注目されがちだが、官僚が社会との距離をどう捉えているのか、すなわち政策判断を役所だけでするのか、利益団体などの意向をくみ上げようとするのかも変化してきたそうだ。
戦後しばらくの国士型官僚の代表例は、農林省の小倉武一、通産省の佐橋滋らである。佐橋に想を得た城山三郎著『官僚たちの夏』を読んだ方もおられよう。
自民党政権が長期化すると、役所と族議員が一体となって利益の配分を差配する調整型が登場する。さらに政治主導が強まると、調整は議員に委ね、言われたことしかしない吏員型に変化したという分析だ・・・
・・・政と官の綱引きは決着済みだったとすると、ヒラメ官僚が近年、急増したようにみえるのはなぜか。仮説を提示したい。それは「変わったのは官僚ではなく、政治だ」というものだ・・・

加藤創太・東京財団上席研究員の「権力の集中が「忖度」を呼ぶ〜官邸主導時代の政治ガバナンスのあり方」(8月9日)から。
・・・行政機関については、一連の「政治主導」のスローガンの下、官邸は内閣人事局を通じて幹部人事権を握った。報酬などで差異を設けづらい行政機関において、公務員の最大のインセンティブ(誘因)となるのは人事である。上司の心の内を「忖度」して動ける人間が「できる」と評価されるのは、官僚組織も企業も同じである。かつて各省庁の幹部への「忖度」を競い合っていた官僚たちが、今は官邸への「忖度」を競い合うようになったのは当然の帰結だ・・・
・・・権力集中の弊害を防ぐには、権力へのガバナンス体制の構築が何より重要となる。数年に一度の選挙による政権交代に政治行政のガバナンス(統治)のすべてを託すのではなく、各種の政治行政制度を総合的に見た上で、あるべき日常的なガバナンス体制を判断していかなければならない・・・

それぞれごく一部を引用したので、原文をお読みください。

政党政治と官僚政治

今月の日経新聞、私の履歴書は、高村正彦・自民党副総裁です。8月10日の記事から。
・・・90年代前半の政界では、政治改革の是非が最大の争点になった。中選挙区制から小選挙区制に移行すれば全てがよくなる。無責任な議論が横行した。
同じ党の中で切磋琢磨し、世代交代を図る。私は中選挙区制が大好きだった。派閥が衰退し、若手を育てる場がなくなった。最近、よくいわれる小選挙区制の弊害を私は当時から指摘していた。
ただ、柳沢伯夫さんの「政党政治を確立しないと、ばらばらの政治家は一枚岩の官僚組織に分断される。官僚政治を打破するにはこれしかないんだ」との言葉を聞いて、一理あると思った・・・

官邸と官僚の関係

7月31日の朝日新聞、松下秀雄・編集委員の「Monday解説」「「記憶ない」「記録ない」政権に寄り添いすぎ? 官僚はだれの奉仕者なのか」から。
・・・93年の非自民の細川政権誕生まで38年間続いた自民党政権下の省庁人事は、官僚自身が決めていた。
当時も人事権は閣僚にあったが、短期で代わる「お客さん」。省庁は割拠し、官邸の力は弱かった。官僚は法案を通すため、自民党の族議員やそれを束ねる派閥実力者に気を配り、議員たちは影響力をふるったが、そこに人事権はない。分散する権力のはざまで、官僚は自律を保った。
その中で育ったのが、族議員や業界とのもたれあいや癒着。90年代によくいわれた「政官業の鉄のトライアングル」だ。それは官僚の威勢の源泉でもあった。
細川政権が生まれ、政権交代の時代に入ると、三角形は崩れだす。94年の政治改革をきっかけに、官僚の後ろ盾だった派閥や族議員は次第に力を失い、官邸に権力が集中。官僚の視線も官邸に向かう。だがかつての派閥や族議員とは違い、政権は頻繁に代わる。政権に近いとみなされた官僚が次の政権で代えられる例を含め、政治主導の人事が目立つようになる。
そして首相や官房長官が部長級以上の官僚人事を差配しやすくする内閣人事局が発足。強い力をもち、長期化する安倍政権に寄り添いすぎる官僚が問題化し、同時に官邸の手法への反発も生まれている・・・

・・・牧原出・東京大教授(行政学・政治学)は「90年代は朝日新聞も含め、『横暴な官僚』をたたいたが、これからは官僚を『全体の奉仕者』に育てる方法を考えなければならない」と唱える。官僚の力を生かす道を考え、政治主導をバージョンアップする提案である・・・

時の政権と官僚との関係

7月25日の朝日新聞オピニオン欄、牧原出・東大教授の「「全体の奉仕者」どこへ」から。
・・・大切なのは公務員が何に奉仕するかということを明確化することです。かつての官僚支配時代、彼らの考え方は、戦前の官吏の延長線上にあって、「自分たちが国を率いているぞ」という感覚が色濃く残った「国益の奉仕者」でした。これが政治主導となって、「時の政府の奉仕者」になりました。このとき、「時の政府は国民全体か」という深刻な問いが官僚に突きつけられたのです。しかし、いまだ、この問いは解かれてはいないのでしょう。如実に示すのが文書の取り扱いです。今の政権も役所も、問題となった文書が「ない」と言っています。でも、別の内閣になって、前政権の問題を洗いざらい調査し始めれば、なかったものも出さざるを得なくなる。いま「ない」と言っていた人たちが責任を追及されることになるんです。
官僚には時の政府と共倒れになっていいのか、という自覚が必要です。前川喜平前文科事務次官が言った「面従腹背」の意味が生きてくる。様々な要求を出してくる政権と相対しながら、国民の奉仕者、全体の奉仕者のあり方を探っていく段階に来ていると思います。英国では官僚の倫理標準を提言したノーラン委員会が官僚が持つべき魂を示しました。無私、高潔、客観性、責任、公開性、誠実、リーダーシップの七つです。ごくごく当たり前の価値観のように見えますが、全体の奉仕者の目指す目標とは何かを実際の言葉にして議論していくことが重要です・・・

政と官の関係のあり方が、議論になっています。このホームページでも、かつてはそれを一つの項目にしていました(政と官)。省庁改革に参画して、いろいろと考えたのです。少し読み返しても、いろんなことを書いていますね。私の研究テーマの一つです。
その後、民主党政権、第2次安倍政権になって、実態が変化しました。今回の議論は、官邸と官僚との関係に焦点が当たっているようです。

政官関係、代理人としての官僚

日経新聞7月24日の経済教室「政官関係の課題」は、曽我謙悟・京都大学教授の「官僚、専門性・透明性高めよ」でした。
・・・代理人としての官僚制の実態は4つに大別できる。第1は政策執行者としての官僚制だ。官僚制が政治家のコントロールの下で政策の実現に専念する。第2は逆に超然的な国士型官僚制だ。代理人が自律的な政策決定をしており、エージェンシー・スラックが発生しうる。第3は委任により本人が時間や労力を節約する場合だ。第4は委任により本人が知識や情報を補う場合だ。第3と第4は、第1と第2の両極の中間に位置する。
日本の官僚制は明治国家の成立以来、第2次大戦後もしばらく第2の類型に位置してきた。だが自民党長期政権の下で第3の類型に移行した。社会や野党との調整を含む多くの政策形成時の作業が官僚制に委ねられてきた。2000年代以降の政治主導の流れは第1の類型への転換を迫る面もあったが、実態は第3の類型から変わっていない。

学部認可問題を巡り、文部科学省の前事務次官は「公平、公正であるべき行政のあり方がゆがめられた」と記者会見で述べた。根底にあるのは第2類型の国士型という理想像だろう。しかしその時代は遠く過ぎ去り、政治家の労力と時間を節約するための第3類型の代理人が現実なのだ。
第3類型の本人・代理人関係で軽視されるのは、国民に対してアカウンタビリティー(説明責任)を果たすことだ。学部認可問題では文書の存否やその位置づけを巡る水掛け論が続いた。それは政府としての決定プロセスを記録・保存し開示することが制度化されていないからだ。政治家と官僚制の双方とも、いかなる政策決定をいかなる理由で行ったのかを、正確に国民に伝えることができていない。
また第4類型の本人・代理人関係は現実に遠い。現在の獣医学部の設置状況がどのような社会的、経済的な帰結を生み出しており、規制緩和でどう変化すると予測されるのか、データや客観的事実に基づく議論がなされていない。官僚制が知識や情報に優れるからこそ、委任を受ける存在となっていないのである・・・
原文をお読みください。