カテゴリーアーカイブ:行政

地政学

2017年6月25日   岡本全勝

近年は、地政学が、はやりです。6月16日の日経新聞夕刊が、「不安映す地政学リスク」という記事で、簡単に紹介と解説をしています。
確かに、ある地域での政治的・軍事的・社会的問題が、関係国の政治・経済を揺さぶります。しかし、この言葉は定義をはっきりして使わないと、国際関係のリスクをすべて「地政学」で説明してしまう危険があります。

この言葉が使われるのは、国際関係が先行き不透明になったときです。他方で、国際戦略を立てる際には、そのような視点は必要です。記事には、次のような記述もあります。
・・・第1次安倍政権の際には、麻生太郎外相が「自由と繁栄の弧」を掲げた。石津氏は「『大東亜共栄圏』以来初めて、日本が理念で国家戦略を語った」とする。ユーラシア大陸に沿ってアジア各国と連携する「弧」の戦略は、マッキンダーやスパイクマンに通じる。同様の構想を中国は「真珠の飾り」、インドは「ダイヤのネックレス」と掲げ、地政学に基づく戦略を各国が競っている・・・

週刊誌『アエラ』インタビュー

2017年6月20日   岡本全勝

6月19日発売の、朝日新聞の週刊誌『アエラ』(6月26日号)に、私の発言が少しだけ載りました。特集「自由民主党の研究」の中の、「立ち枯れてゆく霞が関」です。
この記事の一つの主題は、「官邸主導で官僚のモチベーションが下がっている」とのことのようです。私は、それに対し「官邸主導はあるべき姿」と異論を言っています。
もう一つの主題は、「内閣人事局ができて、官僚が萎縮している」とのことのようです。これに対しても、「昔から幹部人事は内閣承認だったので、人事局ができたからといって変わっていない」(運用の仕方である)と申し上げました。
そして、政策を提言し、実行するのが官僚であると、説明しました。

国会の役割

2017年6月19日   岡本全勝

6月16日の朝日新聞オピニオン欄「熟議は幻想か」、大山礼子・駒沢大学教授の発言から。
・・・議院内閣制における国会とは、立法府として内閣や議員が出す法案を審議し、修正するための場です。実際、フランスやドイツなどでは、政府が出した法案を一条ごとにチェックするなど実質的な審議がされる。与野党の指摘で頻繁に修正が行われています。
ところが日本では、政治論戦や日程闘争ばかりで、実質的な審議が深まりません。なぜか。最大の原因は、与党が法案を「事前審査」し、そもそも国会で修正するつもりがないところにあります・・・
・・・国民の目に見える形で、国会で与野党による法案の審議と修正が行われるようにするには、どうしたらよいのか。私は、欧州諸国のように内閣がいったん国会に出した法案を修正しやすくすることが変化の契機になると思います。
日本の国会法では、内閣が出した法案を修正するには、国会の承諾が必要です。もし内閣が修正を申し出ても、国会が承諾しなければ、内閣は修正案を出せません。そのため、内閣は事前審査と原案通りの成立にこだわり、与党もそれを受け入れる関係が定着してきました。
諸外国でも、政府と与党が事前相談はします。ただ、国会提出後も内閣が自由に修正できるため、日本ほどガチガチには固めません。与党議員も事前に法案を固めない分、国会で法案修正を求めることが多く、野党の指摘も反映される余地も生じます・・・

原文をお読みください。

ドイツ、コール元首相逝去

2017年6月18日   岡本全勝

コール元首相が亡くなりました。報道にあるように、ドイツ統一を成し遂げた名声は、永遠に残るでしょう。
かつて、このページ(2010年9月29日)でも書きましたが、東西冷戦は半永久的に続くと考えていた私にとっては、本当に驚きでした。
専門家であった高橋進先生が、『歴史としてのドイツ統一』(1999年、岩波書店)の中で、同じようなことを書いておられます。
・・戦後のドイツ外交を研究してきた者として、ドイツの統一は、私が生きている間はありえないというのが、染みついた公理であり、1989年11月9日のベルリンの壁の開放をみても、統一はまだ遠いという思いを拭い去ることはできなかった・・

大国ドイツが再び生まれることを恐れた、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長、ミッテラン・フランス大統領を説得し、東西ドイツ統一を成し遂げました。その際の一つの説得材料が、EUと統一通貨ユーロです。これらには、ドイツが単独行動しない「保障措置」としての役割もあるのです。
政治家が歴史を変える例だと思います。もちろん、きっかけは民衆によるベルリンの壁破壊です。しかし、そのチャンスにどのように統一を進めるか。無策では進まなかったでしょう。そこに、政治家の構想と実行力が試されます。世論と世界をどのように説得するか。バラ色のことばかりではありません。内政にあっても、遅れていた旧東ドイツ地域にてこ入れすることに多額の経費をかけました。また、旧国民間の「差別意識」の克服も大きな課題でした。

東西の壁崩壊から28年、ドイツ統一から27年。若い人は、あの頃の熱気と驚きを知らないのですね。
私が「見たもの」の中で、あり得ないこと(と思っていた)の第一はこの冷戦の終結とドイツ統一で、国内では東日本大震災でしょう。前者は人の世界、後者は自然ですが。

認知症が国の対策になった

2017年6月13日   岡本全勝

朝日新聞6月8日オピニオン欄「認知症、家族と社会と」から。
「もしこの人がいなかったら、認知症に対する社会の関心はもっと低かったのではないか。公益社団法人「認知症の人と家族の会」代表理事・高見国生さん(73)。認知症対策が皆無だった1980年に、会は京都で生まれた」

高見さんのインタビューから。
・・・会を結成したころ私は母を介護していて、介護で苦しんでいる家族で励まし合おうとしたんですが、もっと政治の光が当てられないかと最初から言うてました。2年後に最初の要望書をまとめて厚生省に持っていった時は、担当課も決まってなかった。けども認知症問題が出てきそうやという気配はあった。時代に合うたんですよ。厚生省が大蔵省へ予算要望する時の資料に、その要望書を入れたと言うてましたからね。
そのころは役場に相談に行っても、認知症は対象外やと言われた。要望書では患者への定期的な訪問、援助のほか、通所サービスや短期入所をさせてくれと言うたんです。今のホームヘルパー、デイサービス、ショートステイですわ。「在宅福祉の3本柱」として厚生省が政策にしたんは89年のゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10カ年戦略)でしたな・・・

「介護保険で家族の状況は変わりました」という問いに。
・・・そりゃ雲泥の差です。会員にアンケートを取ると、デイサービスやショートステイに行ってくれることで「自分の時間ができた」とか「外出できるようになった」という回答が増えた。ただ変わらないのは、気持ちのしんどさ。認知症の人の介護は毎日が新しい出来事の連続で、気が休まらない・・・

元厚生労働省老健局長・中村秀一さんの発言。
・・・旧厚生省が本格的に認知症に取り組んだのは、1986年の「痴呆性老人対策推進本部」からです。それまで老人福祉では、寝たきり対策と施設整備が主な課題で、認知症は遅れていました。私は本部の事務局にいましたが、患者さんの数も不明という状況・・・概して患者さんの声は予算を獲得するバックアップになります。財務省も当事者の要望は預かる。もっとも、本格的な高齢社会を迎えるにあたり、老人福祉は予算が付きやすかった。89年からゴールドプランの作成にかかわり、90年に老人福祉課長になったのですが、他分野を担当する役人仲間からひがまれたこともあります・・・

・・・介護保険の給付は初年度の3・6兆円から、現在は約10兆円となりました。医療は約40兆円。介護も医療も、限りのある公的財源をどう配分するかというシステムです。人為的に公定価格を付けるからこそ、公開の場で関係者が納得するまで議論する必要がある・・・
原文をお読みください。