カテゴリーアーカイブ:行政

教員と校長の違い

2018年9月10日   岡本全勝

幹部と職員の違い」の続きです。
この点で、8月29日の読売新聞解説面、アンドレアス・シュライヒャーOECD教育スキル局長のインタビューが参考になります。日本の教育改革=「教師主導の学び」から「主体的・対話的で深い学び」への転換についてです。

・・・各学校で良い方法を取り入れる際、教師たちは協力し、教師一人一人が強い自覚を持ち、学校の実情に合わせて試行錯誤する。それにはリーダーシップが必要だ。時代の変化に対応しながら学校が進化し続けるためにも強力な統率力が不可欠だ。だが、OECD調査によると、日本の校長は各国に比べて、自らを学校教育を引っ張る存在だと意識していないようなのだ。
教師生活の最後を飾るため校長になるのは、必ずしも良いモデルではない。シンガポールでは教師になると、将来は教科の専門教師になるか、校長として学校を運営するか、人材に養成かなどの方向を決める。だから、40代の校長もたくさんいる。日本ももっと若い校長がいていい・・・

記事には、OECD調査「中学校長は教育でリーダーシップを取っているか」の各国比較が出ています。日本はダントツ最下位です。
ここには、二つの要素があると考えられます。一つは、今回指摘している、日本の職場に共通する、管理職と一般職員との区分の不明瞭さです。
もう一つは、文部省→県教委→学校現場という「上意下達方式」の教育内容・方法です。

連載「明るい公務員講座中級編」では、良い係長が良い課長になるとは限らないことをお教えしました。青虫が蝶々になるためには、脱皮しなければならないのです。
スポーツの世界でも、良い選手が必ずしも良いコーチや監督にならないことが知られています。しっかりした競技団体では、指導者研修を受けないとコーチや監督になれないようになっています。
この項続く

幹部と職員の違い

2018年9月9日   岡本全勝

次官・局長の報酬と社長・専務の報酬」の続きです。

公務員の給料は、民間準拠が原則です。全体としてはそうなっているのでしょうが、指定職層(次官・局長・審議官。民間の社長・副社長・取締役に相当すると言われています)での比較は、どうなっているのでしょうか。
公務員の給料体系は、「平等主義」が行き過ぎているように思えます。諸外国や企業のように、「普通の職員=普通の仕事=普通の給料」に対し「責任あるポスト=仕事も過酷=高給」と差別化すべきです。また、労働時間も、後者にあっては定時出社・定時退社は当てはまらない場合があります。
記事でも指摘されているように、高級幹部は責任と評価を厳しくし、報酬も上げるべきでしょう。すると、1年で異動するようなことも、やめなければなりません。

(職員の延長に管理職があるのではない)
この問題を考えると、職員と管理職、特に高級幹部との仕事と責任の違いに行き着きます。
職員の延長に管理職がある、のではありません。軍隊に、士官と兵卒という区分があります。仕事の内容も育て方も違います。企業や役所でも、管理職と職員とは求められる職責が違うのです。もっとわかりやすいのは、学校の校長と教員です。校長と教員とでは、求められるものが違います。

簡単に言うと、「するべきことを考え・指示を出し・責任を取る人」と、「指示を受け実行する人」との違いです。職員の延長に局長があるのではなく、社員の延長に社長があるのではありません。そして、育て方も変えなければなりません。
もちろん、幹部になる人たちも、「一般職員」を経験することで、現場と仕事を覚えるとともに、幹部になる勉強をします。しかし、幹部になる人と職員で終わる人とは、身につけなければならない能力が違うのです。

日本では、職場でこのような差をなくすことが進みました。カイゼン運動も、職員・社員に意欲を持ってもらい、職場の効率を上げるためには良いのですが、職責の違いを希薄化させる副作用があったようです。
官庁では、かつて上級職と中級職・初級職の違いがありました。しかし、この区分がなくなるとともに総合職が多くなり、高級幹部養成課程があいまいになりました。
この項続く

次官・局長の報酬と社長・専務の報酬

2018年9月7日   岡本全勝

9月8日の日経新聞オピニオン欄。上杉素直さんの「公務員を生かすために」から。

・・・大臣を支える官僚はどうか。人々をあきれさせる不祥事が立て続けに起きる惨状を目にすると、だれしもが役所の規律の緩みにクビをかしげざるを得なくなる。ただ、ひとつのテーマに長年にわたって携わる役人の知識と経験は本来、政策をつくって円滑に進めるうえで欠かせないパーツだ・・・
・・・にもかかわらずと言うべきか、待遇面にスポットを当てれば、社会の期待に応えられる才能を役所が継続的に集めていけるかどうか心もとない。報酬の官民差が鮮明になっているからだ。
典型的なのがトップクラスの人材。役所の事務方の頂点に立つ事務次官のモデル年収は17年度で2327万4千円、本府省の局長は1772万8千円(内閣官房内閣人事局「国家公務員の給与(平成30年版)」)。デロイトトーマツコンサルティングの17年の調査によると、東証1部上場334社の社長報酬の中央値は5435万2千円で役所の次官の2.3倍だ。次官の給与は1部上場企業の取締役・執行役員よりは多いが、専務や常務クラスよりも少ないくらいの位置付けにある・・・
・・・責任と権限が大きなポストに関する限り、ほかの先進国の公務員は日本より明確な競争と評価にさらされている。日本が行政システムの手本にした英国は事務次官の年収が成績評価に応じて最高20万ポンド(約2800万円)から14万2千ポンドまで上下する。ドイツの事務次官や局長は「政治的官吏」と呼ばれ、いつでも職務を外されるリスクと背中合わせだ。横並び主義の根強い日本だが、たとえば次官や局長だけでも処遇の発想を転換したら、役人のイメージごと変わるのではないか・・・

ありがとうございます。ご指摘の通りです。もちろん、企業と行政を単純には比較できません。「公務(のやりがい)は、お金(の多寡)じゃない」と言う人もいますが、そのような志だけに頼っていては、良い人材は集まらないでしょう。
私は、40年前に公務員になりました。その際に、民間企業に比べ収入は少ないと聞いていましたが、これだけも差があるとは知りませんでした。かつて、母校の高校で後輩たちに、私の仕事をお話ししたことがあります。その際に、年収を話したら、後ろで聞いていたお母さんたち(私の同級生)が、余りの少なさに絶句して、同情してくれました。

記事では、上場企業334社の社長・専務・常務と比べています。この人たちと比べても、次官や局長の報酬は、はるかに少ないのですが、もう一つの比較があります。友人たちと話すと、しばしば大学時代の同級生との比較がでてきます。いわゆる大企業の社長、副社長との比較です。この場合は、次官や局長は、恥ずかしいくらい少ないです。

実務でも、問題が出ています。独立行政法人など役所の外郭団体です。民間人を登用するとの趣旨で、企業の幹部を採用する場合があります。ところが、年収2千万円くらいでは、大企業幹部は年収1億円~5千万円程度ですから来てくれません。よほどの「ボランティア精神」か「公共心」でもないと。
この項続く

政治への信頼

2018年9月4日   岡本全勝

9月3日の日経新聞オピニオン欄、ファイナンシャル・タイムズのジャナン・ガネッシュさんによる「米の政治不信、発端は」から。

・・・米調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、1960年代までは米国民と指導者の間にはべったりと言っていいほどの信頼関係があった。ジョンソン大統領がベトナムに地上軍を送り込む前年の64年には、政府を信用していると答えた国民が約77%いた。ところが10年後にはその半分以下となる。80年代に入る頃にはさらに減り、昨年は18%にとどまった。
米国の戦後史で断絶あるいは変曲点があったとすれば、ベトナム戦争だろう。国外での殺りくと国民同士の憎しみはトラウマを残した。それに比べて金融危機は、少なくとも政府への信頼度にはさほど大きな影響を与えなかった・・・
・・・政府はあの戦争で戦術的な無能さから戦況に関する嘘まで、負の側面ばかりが目立った。人命の損失も深刻で、国内の空気は険悪になった。街の至る所でカウンターカルチャーと反カウンターカルチャーの衝突が発生。ベトナム戦争をテーマにした映画「ディア・ハンター」などが大ヒットした。こうした流行は移り変わったが、かつて信頼していた政府への幻滅は消えず、むしろ強まった・・・

失敗した場合を教える教育、スウェーデンの中学教科書

2018年8月12日   岡本全勝

8月4日の朝日新聞読書欄に、尾木直樹さんが、『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』を紹介しておられました。「教育に感じる若者への信頼

・・・「あなた自身の社会」。教科書のタイトルにも、日本の公を優先する「公民」とは違って個の人権を尊重し、主権者を育成する思想が浮き彫りになっている。
特筆すべきは、社会の負の面の取り上げ方だ。暴力と犯罪、アルコールと麻薬、いじめ、離婚・・・。まず、それらの問題の背景に客観的・多面的・科学的に光を当てる。日本の道徳教育が陥りがちな「説教」的にではなく、徒(いたずら)に恐怖心に訴えもしない。「失敗」を犯してしまった場合に立ち直る方策や社会的保障も、複数の視点から丁寧に紹介する。ここには、今後直面するであろう様々な問題に真摯に向き合い、乗り越えてほしいという若者への「信頼」が感じ取れる・・・

このスウェーデンの社会の教科書は、拙著『新地方自治入門』でも引用しました。授業でも紹介しています。
特徴的なのは、失敗を犯した子供が立ち直る過程を教えること、社会保障などを教えていることです。
勉強して立派な大人になることを教えることも重要です。しかし、失敗をすることもあり、社会保障のお世話になること(これは権利です)もあります。これまでの日本の教育は前者を教え、後者については触れてこなかったのです。
私の表現では、社会も個人も「坂の上の雲」を目指すことを教え、「坂の下の影」は教えなかったのです。

ところで、この翻訳が出たのが1997年です。その後、スウェーデンでは、どのような改訂が行われているのでしょうか。知りたいですね。基本は変わらないのでしょうが。