カテゴリー別アーカイブ: 行政機構

行政-行政機構

2007.03.07

教育委員会制度の問題点は、「新地方自治入門」p72で指摘しました。これは、市民に選ばれた市町村長が、教育に責任を持てない制度です。中立性確保のためと説明されますが、国では委員会制度でなく、文部科学大臣です。そして大臣は、多くの場合、政党員です。
一方で、地方の学校教育が、国(文部科学省)の強い規制の下にあります。教科書、学習指導要領、学級編成と、現場の責任に任せられたことはほとんどありません。そのような中で、昨今の学校教育の問題の責任を、学校と教育委員会に押しつけるのは、いかがなものでしょうか。
これまでの日本の学校教育の成功は、教育制度が優れていたからだといわれてきました。だとすると、その問題も同様に、まずは国が作った制度に帰すべきではないでしょうか。問われるべきは、教育委員会の前に、日本の教育制度とそれを作ってきた国でしょう(もっとも、私は教育委員会が「無罪」だとはいいません)。
また、教育委員会が不十分というのならば、国はいままでどのような指導をしてきたのでしょうか。文科省はこれまで、地方の教育委員会に対しどのような是正を指導したのでしょうか、国民に「××県の教育委員会はこのように問題がある」と公表したのでしょうか。これまでの運用を反省することなく、また十分な助言をすることなく、法律で国の監督権限を強化しようとするのは、理解に苦しみます。
例えば、市の福祉部長が十分責任を果たしていないとき、厚生労働省がその部長を指導するとか、任命するのは変だと思うでしょう。市長部局ですらそうです。教育が市長部局でなく委員会であり、その制度が民主的コントロールのためというのなら、その任命を国が行うという発想が、どうして出てくるのでしょうか。ここに、国が地方の教育委員会を、どのように位置づけているかが見えています。
教育委員会制度は、中立性とか専門性という名の下に、責任の所在が不明確な制度です。そして、文科省の下請け機関でしかありませんでした。市民の方を向いていません。あなたは、自分の町の教育委員を知っていますか。委員の名前を言えますか。民主的統制にするなら、公選制にすべきでしょう。
私は、学校教育の事務と責任は、市町村長に移すべきだと考えています。地域の教育に責任を持つべきは、国ではなく、市民です。教育委員会は、お目付機関とすればいいと思います。

2007.03.02

2月16日の諮問会議での、市場化テストについての議論を紹介します。
八代議員が民間委員ペーパーに基づき、次のように主張しておられます(議事要旨p15)。
「落合委員長から説明があったように、市場化テストは、本来英語のマーケット・テスティングの直訳であり、決して市場原理だけに基づくものではない。市場という道具を使って、独占的な官の事業を競争にさらすということがポイントである。その結果、質の高い公共サービスをより安いコストで提供するものを選定する制度であり、民営化とは実は違うものである。
市場化テストは、他国の例を見ても官民の勝敗は五分五分。官が競争入札で選ばれた場合には、官の効率性が証明される。民が選ばれた場合には、官の下で民に包括的に委託され、事業運営に民間の創意工夫が活かされるわけであるから、いずれにしても官の責任で事業を行うことは変わらない。その意味でこれは民営化をすべきかどうかをテストするものではなく、あくまでもそれは別のところで判断していただくもの。官の責任でやるビジネスについて、実際の運用まで官とするか、それとも民に委ねるかをテストするものである。
したがって、各府省にこのようなテストを拒否する正当な理由はない。官業として続ける必要性を示すためにも、原則としてテストを受けるべきだ」
落合官民競争入札等監理委員会委員長は、公権力の行使とテストの対象範囲について、次のように主張しておられます(議事要旨p14)
「公権力の行使を伴う業務についても、これは対象になるんだと法律上も明らかであり、これを公権力だから云々という形で抵抗するというようなことはやめて、これも積極的に対象に含めていくべきであると考えている。「例えば」というところにあるが、不動産登記簿等の登記事項の証明という業務は公権力の行使であるが、これを全部市場化テストの対象にして行うということを法務省で決め、監理委員会としても大いに評価(アプリシエイト)した。そういうことも行われているので、公権力だからという仕分けは、是非やらないようにしていただきたい。
 また、民間の創意と工夫が活かせるような形で対象事業が定められないと、コストの節約も非常に難しい。つまり対象業務が非常に狭いと創意と工夫を働かせる範囲も狭くなり、市場化テストを導入した意味が余り出てこないということがありますので、対象事業の範囲は極力創意と工夫が活かせるような広い範囲にするということを考慮していかなければいけない。契約も単年度ではなく、複数年という形で創意と工夫が実際に活かせるような形のものにすべき」
これについて、八代議員も次のように話しておられます。
「駐車違反の取り締まりのように警官自らがやっていた警察署の業務についても、これは事実行為として民間に委託された場合もあるわけだから、必ずしも現業部門に別に特化することはない」

行政改革だけでなく、日本の構造改革へ

先日、近年の行政構造改革の分類を載せました。何人かの人と話をしていて、次のような意見をもらいました。
「NPO法などは、社会の変化という観点から位置づけたらいいのではないですか」
「すると、男女雇用機会均等法や共同参画なども、大きな変化です」
「週休2日も、平成になってからです。事の起こりは、前川レポートだったのではないですか」
「PKO参加や有事法制なども、国際化への取り組みです」
そうですね。行政改革にとどまらず、日本の構造改革まで視野を広げると、これらの改革も含めて整理する必要があります。大学院の授業では、読売新聞政治部著「法律はこうして生まれた-ドキュメント立法国家」(中公新書ラクレ、2003年)を使ったことがあります。これらも、整理したいと思っています。もう少し時間をください。

行政の分類

Ⅱ 行政の分類(政府機能の目的別分類)
これまでの行革議論は、行政の手法についての議論、行政の役割についての議論などが、混在しているようです。すると、行革の分類のためには、行政の役割の分類までさかのぼる必要がありました。また、役割の分類、手法の分類、過程の分類も必要になりました。いろんな方が、行政の分類を試みておられます。私は、それらの分類が、今一つしっくり来ませんでした。今回、行革を分類する過程で、一つの結果にたどり着きました。それも合わせて、載せておきます。(2007年2月19日)

連載「行政構造改革」を書く過程で、政府の役割の分類を、整理し直しました。それが下の表です。
ここでは行政サービスに限らず、国会や裁判所が果たしている機能も含めて考えます。私の分類では、個人の自由を出発点とします。そして、国民が豊かな生活を送ることができるようにすることを、国家の第一の役割と考えます。国家は、国民が必要のためにつくった装置です。そのための機能を、安全の維持、活動ルールの設定、生活の保障、生活の向上と、4つに分類します。
もう一つの視点は、国家の存続です。国際社会で国家が存続していくために、諸外国から自国を守るとともに、国内の統一を維持しなければなりません。
この役割の順に、機能とそこに含まれる行政活動を見ていきます。表中、行政分野の項目に粗密があるのは、ご容赦ください。(2008年6月29日)ホームページの移行の際にうまく移植できませんでした。再度貼り付けました(20019年6月26日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考
1 政治の役割については「新地方自治入門」p295
2 橋本内閣の行政改革会議「最終報告」(1997年12月)では、国家機能論について、橋本総理による国家機能の四分類(国家の存続、国富の確保・拡大 、国民生活の保障・向上、教育や国民文化の継承・醸成)を示しています。

Ⅲ 行政による実現過程の分類
次に、行政が政策を実現する過程での、手法や過程を分類しておきます。
1 手法の分類
(1)ルールの設定
(2)誘導
(3)助成
(4)提供
(5)規制
参考 「新地方自治入門」p237。その記述に、ルールの設定を加えました。

2 過程の分類
(1)企画
(2)実施
(3)評価
参考 行政改革会議「最終報告」では、新たな中央省庁の在り方の基本的な考え方として、「政策の企画立案機能と実施機能の分離」を挙げています。

3 サービス提供の3つの主体
行政改革の際に、民営化や民間委託などが議論になります。その前に、公共サービスは誰が提供するのかについて、昔から疑問を持ちつつ考えていました。
基本的サービスである教育でも、私学が重要な役割を担っています。保育園もです。命にかかわる医療については、健康保険は官がやっていますが(民間保険の上乗せもあります)、病院は国立・公立だけでなく、民間病院も多いです。羽田空港は国、成田空港は特殊会社、関西空港は第3セクターです。国鉄がJRになり、電電公社がNTTになると、サービスの性格が変わるのか。そんなことはありません。自動車損害賠償責任保険は、自動車を持つと入らなければなりませんが、民間損保会社の商品です。
慶応大学の授業で、地方自治体の直営、公営企業、公社、地方独立行政法人、地方自治体出資の第3セクターなどの説明をするのに際し、サービスと提供主体を表にしました。これを見ると、同じサービスやよく似たサービスを、官、民、共が提供していることがわかります。「公共サービス」という概念が、提供主体では区別できないことがわかります。
なおこの表では、民間委託は書き込んでありません。(2010年12月12日)
加筆して載せました。(2019年6月26日)

行政の手法の転換

生活者保護に、話を戻しましょう。ある分野で行政を進める際、限られた業者・業界団体を相手にするのと比べ、消費者・生活者一般を相手にするのは、なかなかやっかいなことです。特定少数から、不特定多数になるのですから。
手法も変わります。業界=供給側への補助・指導でなく、生活者=需要側への補助・支援と業界への規制です。業界を集めて指導したり、補助金を出す方が、簡単で早いです。それに比べ、生活者を相手にすると、指導とか補助金という手法は使いにくいです。
多分、業界が活動する際のルールを定め、それに違反したら罰則をかける、業務を停止・是正させる、という方法に変わるのでしょう。また、公費補助が必要だとしても、業界に補助金を出すのでなく、消費者に補助金を出すのでしょう。機関への補助から、利用者への支援(お金や情報)になります。こうすることで、消費者が良い業者を選ぶという、市場原理が働きます。
介護保険を考えて下さい。かつては老人福祉措置として、老人ホームなど入所施設に措置費(公費)を出していました。今は利用者が施設を選び、その利用に対して公費を出します。医療も基本はそうなっています。患者が病院を選び、費用の3割を窓口で払います。残る7割は、あとから保険者が払います。バウチャーといわれるのが、これの典型です。教育の場合は、父兄に切符を渡して、学校を選んでもらえばいいのです。