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行政-行政機構

予防接種、副作用のある政策のジレンマ

6月16日の朝日新聞オピニオン欄、「ワクチン後進国」、中山哲夫・北里生命科学研究所特任教授の発言から。

・・・日本のワクチン開発は1980年代まで、それほど遅れてはいませんでした。しかし70年代以降、天然痘ワクチン後の脳炎など、予防接種後の死亡や障害が社会問題になりました。国がその責任や補償をめぐり争ったため、各地で集団訴訟が相次ぎ裁判は長期化。国に損害賠償を命じた92年の東京高裁判決などで決着したのですが、国は予防接種に消極的になり、ワクチン政策は約20年間止まりました。
多くのメディアが被害者の悲惨な状況を報道したこともあって、子どもにワクチンを受けさせないという考えも広がりました。
ワクチンは国に導入の意思がなければ開発が進みません。政府は開発のみならず、海外から導入することもしませんでした。防げる感染症を防ごうとしなかった厚生行政の責任は重いのです。

欧米では感染症の発生動向を監視し対策を講じるという政府の戦略が明確ですが、日本はその姿勢が貧弱です。例えばおたふく風邪は90年ごろ、ワクチンによる無菌性髄膜炎の副反応が問題となり、自己負担で受ける任意接種になりました。その結果、接種率が下がり、15、16年の2年間で少なくとも348人がおたふく風邪による難聴になりました。国の調査ではなく、日本耳鼻咽喉(いんこう)科学会による調査で明らかになったのです。
おたふく風邪ワクチンが定期接種となっていないのは、先進国では日本ぐらいです。ワクチンによる無菌性髄膜炎の発生率は、おたふく風邪による発生率の25分の1という研究報告もあります。ワクチンの効果と副反応についてメディアの理解を深め、市民に正しい知識を普及させるためにも、根拠となるデータが重要です・・・

6月15日の読売新聞は、解説欄で「子宮頸がんワクチン勧奨中止5年」で、同様の問題を取り上げていました。

副作用を伴うワクチン接種を進めるのか、やめるのか。難しい判断を迫られます。しかし、伝染病のワクチンは、多くの人が接種することで、流行を防ぐことができます。個人の自由にするだけでは、目的を達しないのです。
この点については、手塚洋輔著『戦後行政の構造とディレンマ-予防接種行政の変遷』(2010年、藤原書店)が詳しい分析をしています。「行政の決断と責任

予算偏重の時代錯誤

日本社会が大きく変わったのに、行政や国民の意識が変化していないことの一つが、予算偏重です。
かつては、モノとサービスを増やすことが、社会でも行政でも大きな目標でした。豊かになる、便利になるという「国家目標」を達成するために、先輩たちはがんばりました。電化製品、自動車、そして道路や学校、病院。そのおかげで、世界でも最高水準の豊かさと便利さを手に入れました。

一通りのモノが行き渡り、サービスの仕組みもできました。すると、モノとサービスを増やすことは、行政の第一の目標ではなくなったのです。
予算があれば、モノとサービスを増やすことができました。よって、予算を増やすことが官僚の身近な目標でした。その要求を査定する、財務省や財政課が権限を持ちました(私も官僚人生の3分の1は、予算や地方交付税を査定し配分することをしていました)。
社会の問題は、お金では解決できないことが多くなりました。

いまだにマスコミが、財務省を「最強の官庁」と呼ぶのも、時代錯誤でしょう。マスコミが、意識改革に遅れているように思えます。
国会でも、予算委員会が花形です。しかし、審議している国政の重要事項は、外交や安全保障、政治のあり方です。「予算委員会」という名称はそろそろやめてはどうでしょうか。いわゆる「党首討論」は、「国家基本政策委員会」という名称です。このような名前の方が、ふさわしいと思います。

雑誌『行政法研究』

宇賀克也責任編集『行政法研究』第20号(2017年10月、信山社)を紹介します。
第20号は、「行政法の課題」です。現在の行政法学の課題を、それぞれ第一人者が解説しています。目次を見るだけで、そして冒頭の宇賀先生による概要紹介(はしがき)を読むだけで、現状が分かります。
行政法の世界も、社会の変化にしたがって、どんどん変わっていきます。教科書では追いつけません。何が問題になっていて、どのような考え方になっているのか。それを知るために、このような概括は便利で、ありがたいです。

この雑誌は、宇賀先生が編集者になって、2012年から発行されている論文誌です。この号で、20号になります。
フランスなどでは、有力な研究者が編集者になって、雑誌を編集することが多いようです。宇賀先生のこの雑誌も、そのような試みでしょうか。
社会科学系の研究者が論文を発表するには、ジュリストのような商業雑誌、学会の機関誌もありますが、それぞれ制約があります。このような雑誌は、良いことですよね。もっとも、商業的には成り立ちにくいでしょうし、編集担当の先生にも大きな負担がかかるでしょう。
信山社からは、その他の分野、環境法、社会保障法、消費者法などの論文誌も出ているようです。

北村亘先生「文部科学省幹部職員の理念と政策活動」

季刊『行政管理研究』2017年12月号に、北村亘・大阪大学教授の「文部科学省幹部職員の理念と政策活動~2016年サーヴェイ調査における4つの官僚イメージ~」が載りました。興味深い調査結果が出ています。

これまでの官僚制の研究では、官僚を次の3つの型に分けて考えていました。
「古典的官僚または国士型」=政治の上に立とうとする態度の官僚
「政治的官僚または調整型」=政治の中で任務を遂行する態度の官僚
「合理的官僚または吏員型」=政治家によって定められた政策を合理的に実施する官僚。
そして、支配的な型は、国士型から調整型へ、さらに吏員型へ変化すると想定しています。

ところが、今回の調査結果では、国士型官僚像が、さらに2分できるのです。彼らは、政治的合理性を重視しません。その中で、行政的合理性を重視する官僚を「古典型」とすると、行政的合理性も重視しない官僚「超然型」とも呼ぶべき官僚が多くいるのです。
ちなみに、政治的合理性を重視する官僚のうち、行政的合理性を重視しないのが「調整型」、行政的合理性を重視するのが「吏員型」です。
この分析では、文科省本省幹部(課長以上、114人中回答は75人)のうち、調整型が19人、吏員型が15人、超然型が20人、古典型が21人です。

質問票と回答を、これらの型に分類する際の分け方が正しいのか、その点は疑問が残ります。また、他省庁との比較をしないと、一概に評価はできません。が、この結果を見ると、いまだに古典型や超然型が多いことは驚きです。文部行政の理念をどう考えるかとも関係するのでしょう。現在の文部行政の目標は何かです。

このような調査は、有意義ですね。内閣人事局と人事院は、公務員 の人事制度と勤務実態を所管していても、官僚の理念と実態は所管の外のようです。このような学者の分析、マスコミの評価によるのでしょうか。かつては、先輩官僚による指導と薫陶がありました。官僚の役割の転換期(と私は考えています)に、このような議論は必要です。
ところで、国家行政や官僚を対象とした研究誌がないのです。地方行政などはいくつかあるのに。『季刊行政研究』は、貴重な雑誌です。

ここでは、論文の一部しか紹介していません。関心ある方は、原文をお読みください。また、予算の関係で、文科省だけの調査になっています。ぜひ、他省庁を含めた調査、そして継続的な調査をお願いします。

行政手続き、電子化

11月27日の日経新聞オピニオン欄で、滝田 洋一・編集委員が「行政こそ生産性革命を 手続き簡素に 経済後押し」を書いておられます。
詳しくは本文を読んでいただくとして、載っている表がわかりやすいです。
会社設立手続きについて、外国と日本を比べておられます。シンガポールでは原則オンラインで15分、韓国もオンラインで最長5日です。日本はほぼ紙の書類で1~2週間かかるそうです。また、日本の電子申請は、関係省庁がまたがります。