カテゴリーアーカイブ:経済

長期停滞20年の教訓

2010年8月14日   岡本全勝

日経新聞経済教室は、10日から13日まで4回にわたって、「ニッポンこの20年、長期停滞から何を学ぶか」を連載していました。4人の経済学者の分析は、それぞれにわかりやすく興味深いものです。私が特に関心を持ったことは、次のような内容です。
池尾和人教授(10日)は、日本の経済構造は未だキャッチアップ型であり、先進国型への転換が正念場であると述べておられます。
すなわち、日本の最も大きな内的変化は、日本経済が開発途上段階を最終的に脱却し、先進国化したということがある。その段階で、追いつき(キャッチアップ)段階に適合的なものから、先進国にふさわしいものに経済システムのあり方を見直す必要が生じていた。しかるに、日本的経営などの日本の経済システムが肯定的にとらえられ、慢心や増長を招くことになった。
また、90年代以降の外的な変化は、何よりも冷戦が終結し、市場経済規模が一挙に拡大したことである。近隣に産業化した国がほとんど存在しなかったのが、近隣に産業化した国が存在するようになった。しかし、産業構造の転換は遅れたままになった。
岡崎哲二教授(11日)は、アメリカと日本の差はIT普及による、そしてその汎用性と大きな革新性は、時間をかけてさまざまな関連システムの変更をともなって普及すると述べておられます。
すなわち、ITは、多くの産業部門における生産プロセスや技術革新(イノベーション)に影響を与える点で、歴史上の蒸気機関や電力と同様に、典型的な汎用技術である。汎用技術は、発明されてから、広く経済に普及し、実際に生産性向上に結びつくまでに長い時間差がある。それは、旧来の設備の廃棄というコストが必要なこと、工場の再設計などの関連するイノベーションが必要だからである。日本に、製糸業という近代的工業を移植するためには、機械を輸入するだけでなく、労働者の賃金体系を作る必要があった。日本の自動車産業がフォード・システムを移植するためには、移動式組み立てラインだけでなく、部品の互換性、工場の設計、賃金体系など文字通りの(幅広い・裾野の広い)「システム」が必要だった。
ITは、近代的工場組織や大量生産技術に匹敵するスケールの汎用技術であり、日本経済の持続的成長のために必須であるが、これまでの経験に照らせば、普及・利用の条件が形成される過程にある。
伊藤邦雄教授(12日)は、日本企業の競争力劣化は、1990年代に原因があると述べておられます。
すなわち、バブル崩壊で業績が悪化した際に、経営者は丼勘定を排し、利益責任を徹底させるために社内カンパニー制を導入した。この対策は適切だったが、深刻な副産物が残った。各部門が部分最適を目指すようになり社員の視野狭窄を生んだ。それが、部門間の連携を阻み、異質な知の融合や新たな知の組み替えを阻止し、事業や技術のイノベーションの芽をつんだ。日本企業の良さを否定した。
部分最適はそのままでは全体最適にならない。日本企業の経営スタイルは「事業部運営」が主流だった。それに対して「会社経営」は、事業部の利害を超えた全社最適を実現することだ。そのために、全体最適型経営をできる総合型人材を育成する必要がある。
それぞれ詳しくは原文をお読みください。これらは、経済や経営からの分析ですが、私の関心である行政・政治の世界にも通じるものが多いです。

高齢者向け産業

2010年8月8日   岡本全勝

8月6日の日経新聞「経済教室」は、長沢光太郎さんの「豊かな加齢支える産業、世界に先駆け育成を」でした。
日本の75歳以上人口は、現在1,400万人。20年後には2,300万人になります。ちなみに現在、東京都の人口が1,300万人、小中学生の数が約1,100万人です。経済から見ると、すごい規模のマーケットです。
そして、一般に思われていることと異なり、大半の人は自立しています。75~85歳で介護保険の要介護・要支援に認定されている人は約2割でしかありません。もちろん、身体の痛みなどを抱えておられますが、60歳以上の6割は、ほとんど毎日外出するなど行動的です。そしてよく知られているように、お金を持っています。65歳以上世帯の金融資産は平均で2,400万円、全世帯平均1,800万円よりかなり多いのです。
個人の側から見ると、この人たちが満足できるサービスが提供されること、経済社会の側から見ると、この人たちにお金を使ってもらえるサービスを提供することが重要になります。高齢化社会の問題を放置して暗い社会にするのか、対策を講じて明るいものとするのか。この分野は、企業・経済・行政にとって、大きなフロンティアなのです。
その際に、個人と社会に安心な制度を提供することは、行政の役割ですが、活力ある安心社会は、行政だけではつくることはできません。社会と経済がそれを提供し、欠けた部分を行政が補完するのでしょう。経済・企業の役割は大きいです。
日本が、世界で高齢化の先端を走っています。中国は、高齢化率は日本より低いですが、すでに65歳以上人口が1億人を超えています。そして、この問題についても、日本を追いかけてきます。先日、中国の州政府職員と話した時にも、この話題になりました。彼も、深刻な問題だと考えていました。
日本が、高齢者対策、高齢者も安心して暮らせる社会と経済づくりに成功するかどうか。世界が、注目しています。

日本企業よりアメリカ企業の方が、長期経営

2010年8月7日   岡本全勝

8月5日の日経新聞経済教室は、野間幹晴一橋大学准教授の「通説と異なる日本企業、アメリカ企業の方が、長期経営」でした。
それによると、「アメリカ企業は株主への配当が多いのに対し、日本企業の配当性向は低い」という通説は、調査結果で否定されています。日本の配当を支払っている企業の割合が8割を超えているのに対し、アメリカではこの20年で3割にまで下がっています。ただし、アメリカでは配当を払う一部の企業の配当額が大きいので、平均配当性向ではアメリカの方が高くなります。
これは、アメリカでは、株主に還元するよりも、事業への投資に利益を回しているからです。事業投資によって収益が上がれば、株価が上昇しキャピタルゲインが得られます。株主に対し、配当で還元するか、キャピタルゲインで応えるか。2つの方法があります。
また、「アメリカ企業は短期的な投資を行うのに対して、日本企業は長期的な視野に基づいて設備投資や研究開発投資を行っている」という通説も、調査結果から否定されています。どちらの投資も、日本企業の方が多く減らしているのです。
短絡的かもしれませんが、新しい投資先を見つけられない日本企業、新しい投資に消極的で利益を株への配当に回している日本企業という姿が見えてきます。もちろん、それを株主が支持しているということです。

企業の国際展開

2010年8月1日   岡本全勝

7月31日の日経新聞が、日本企業の国際展開に従って、海外での資産・従業員・利益が増えていることを伝えていました。それによると、有力660社の資産のうち、海外が占める割合が34%と、3分の1を超えました。海外での現地生産を増やしたり、企業を買収しているからです。
化粧品の資生堂は、海外資産比率が50%を超えました。日産自動車は、海外従業員が国内従業員の数を上回りました。メガネレンズなどで有名なHOYAと電子材料のTDKは、従業員の海外比率が9割近くになっています。海外での営業利益が国内を上回った企業は、245社だそうです。
製品を輸出するだけの時代は終わりました。国内市場を相手にしていては、発展しません。
かつてバブルの時に、強い円を背景に、巨額な海外資産(ホテル、ビル、企業など)を買いましたが、多くは投資に失敗しました。それについては、7月31日付けの朝日新聞オピニオン欄で、スティーブ・ギブンズ教授が過去の失敗例と、今回の懸念を書いておられます。日本が海外展開成功したのは、商品そのものが価値を持つ工業製品であって、サービスやマーケティングが付加価値の大部分を占める「ソフトな商品」(金融や飲料)はまだ成功していないこと。非製造業を対象としたM&A(企業買収)は、ソニーによるコロンビア映画の買収、三菱地所によるロックフェラーセンターの獲得の失敗例があることなどです。
先駆的な試みには、失敗がつきものです。その教訓を生かして、今回の海外展開が、着実に成功して欲しいです。

2008年10月の株価変動

2010年7月26日   岡本全勝

26日の日経新聞が、日経平均株価指数が1950年に開始されて以来60年になるので、その特集をしていました。戦後日本経済の、簡単な歴史になっています。
グラフがつけてあり、わかりやすいです。1989年までの40年間は、高度成長とバブルで、右肩上がりです。その後の20年は、急速な右肩下がりです。1989年につけた最高値は、3万8,915円。それに対し、先週末は、9,431円。約4分の1です。40年間の光と、20年間の闇。暗い時期が、長くなりました。
その他に、興味深い表が載っています。日経平均株価の歴代騰落率ランキング、上位5つです。
下落率
2位は、2008年10月16日の11%で、リーマン・ブラザーズ破綻が欧米金融危機や世界同時不況への警戒感を呼んだからです。4位は、2008年10月10日の10%、大和生命保険が経営破綻し、米国発の金融危機が日本に波及しました。5位は、2008年10月24日の10%で、世界的な景気減速を懸念してです。一月に3つが集中しています。
一方、上昇の
第1位は、2008年10月14日の14%で、G7が金融機関への公的資金注入で一致しました。4位は、2008年10月30日の10%で、日本で過去最大規模の追加経済対策を決定しました。
2008年秋、正確には10月が、大変な時期であったことを示す、簡単な数字だと思います。