「経済」カテゴリーアーカイブ

経済

原真人記者、リーマンショックを考える

7月21日の朝日新聞読書欄に、原真人・編集委員が「リーマンショックから10年 人類史レベルで変化を考える」を書いておられます。

・・・世界経済を震撼させたリーマン・ショックから今年で10年。「百年に1度」と言われたあの危機は多くの教訓を残した。だが、のどもと過ぎれば熱さ忘れるの例えどおり、住宅バブルの崩壊で痛い目にあった反省はどこへやら。いま私たちが目の当たりにしている世界経済はリーマン直前をもしのぐ資産バブルのふくらみようである。
率直に言って、近い将来、世界規模でのバブル崩壊が再び起きる可能性は小さくない。10年前の教訓をいま改めてかみしめておく価値は十分ある・・・

として、リーマンショックを考える図書を紹介しておられます。それも、単に羅列するのではなく、それら図書の持つ意味も解説してあります。例えば、関係者の回顧録は貴重ですが、自分の行動を正当化しがちです。
近過去の歴史を勉強することは、難しいです。教科書にはまだ載っておらず、定番の解説書がどれなのか。一般人には、わかりません。このような読書欄での紹介は、役に立ちます。

そして、最後に次のように締めくくっておられます。
・・・リーマン後の経済状況を短期でなく、もっと長い時間軸でとらえ直そうという本の出版が増えているのも最近の傾向だ。
『世界経済 大いなる収斂』は、ICT(情報通信技術)革命でアイデアの移動コストが極端に下がり、世界の富と知識の分布が急激に変わる姿を描く。
経済成長やグローバル化を当たり前のものでなく相対化してとらえ、人類史レベルで世界経済の変化を考える。そんな機運が生まれたのも、一種のリーマン効果と言えるかもしれない・・・

私たちの持ち物のほとんどは、月に1回も使わない

5月25日の日経新聞オピニオン欄、村山恵一さんの「シェア経済、小国が抱く大志」から。

・・・20世紀に社会にたまった非効率や固定観念を取り払う突破口にシェアはなり得る。久しぶりに訪ねた国でそう感じた。オランダだ。運河が目を引く首都アムステルダムを中心にシェアの試みが進む。
マイホイールズは25年の歴史を持つカーシェア会社だ。創業者はヘンリー・メンティンク氏、65歳。1980年代末、生産に膨大なエネルギーを使うという米国車の記事を読んだのが転機となった
放置せず、自分にできることから始めようと、車1台を隣人と3人でシェアした。輪は拡大し、いま5万人が3千台を使う。大半がシェアを申し出た個人の愛車だ。
大量生産・消費の象徴である自動車に挑んだシェア界のレジェンドに続けと若い起業家も動く。
ピアバイは工具やパーティー用品などを近所で貸し借りするサービスを担う。最高経営責任者のダーン・ベッドポール氏は火事で家を失い、友人らの助けでしのいだ経験を持つ。「私たちの所有物は月1回以下しか使わないものが80%」と所有という常識を疑う・・・

・・・オランダと「分かち合い」の風土は切り離せない。経済が沈み失業率が高まっていた82年、政労使の「ワッセナー合意」でワークシェアに踏み切り危機を乗り越えた。水害に直面しながら協議・協力して干拓地(ポルダー)をつくってきた国民の伝統が背景にある・・・

小峰隆夫教授「なぜ経済出動は繰り返されるのか」

4月28日の日経新聞「経済論壇から」で、小峰 隆夫・大正大学教授の「なぜ財政出動は繰 り返されるのか」(週刊東洋経済4月28日号)が紹介されていました。詳しくは原文をお読みください。

・・・私が長い間抱き続けている疑問の一つは、日本ではなぜこれほど経済対策 (景気対策)と称する財政出動が繰り返されるのかということだ。
ざっと計算したところ、1990年以降、昨年までの経済対策の事業規模合計は優に 400兆円を超える。これには金融措置など水増し的な部分も含まれており、すべ て政府の歳出増加になったわけではないが、「それだけのおカネを使えばもっといろいろなことができたのではないか」「これがなければ現在の財政赤字はそうとう減っていたはずだ」と考えてしまう。政府はかなり巨額の機会費用を払って経済対策を繰り返してきたといえる。
先進諸国の中で、これほど頻繁に、かつ巨額の経済対策を実行してきた国はない・・・

その理由の一つとして、「お上依存型」の「社会主義的経済観」が残っているのではないかと指摘しておられます。
経済がうまくいかないと、「政府が対策を講じるべきだ」と期待 し、「政府は政策によって経済をコントロールできる度合いが大きい」と考えすぎているのではないか。
また、経済学者の意見が反映されていないのではないか、とも。
正統的な経済学では、財政で景気変動を平準化するのは非常時に限り、平時には金融政策でこれを行うべきだと考える。財政政策で成長率を引き上げることはできるが、その効果は一時的なものにとどまるから、持続的な成長は実現できない。

大山健太郎・アイリスグループ会長、需要を生みだす。

今日は、福島県郡山市へ。一つお祝い会に顔を出した後、福島相双復興推進機構が主催した「復興シンポジウム」で大山健太郎・アイリスグループ会長のお話を聞いてきました。
勉強になりました。「モノをつくって売る」(プロダクトアウト)から「市場のニーズに合わせる」(マーケットイン)へ、そして「消費者の要求を創り出す」(ユーザーイン)へと変身して、アイリスグループを育ててこられたことがよくわかりました。園芸用品もペット用品も、これまでになかった商品、愛好家が欲しがる商品を開発してこられました。
このページでも紹介している「低温精米」のお話しもありました。生産者や販売者の立場、これまでの考えにとらわれていると、出てこない商品です。今は、3大コンビニチェーンの全国のお店で、売られているとのことです。「アイリスの生鮮米

「帰還しないと決めた人がいるので、元の状態には戻らない。どのようにして新しい町をつくるかだ」という指摘も、適確です。

金融政策、専門知の分裂

2月4日の朝日新聞別刷りGlobeの特集は「FRBと日本銀行」でした。なかなか読み応えのある特集です。そのうち、山脇岳志・編集委員の「専門知の分裂と私たち」を紹介します。

・・・金融政策の話は難しい。経済学の博士号を持っている人たちが、全く異なる見通しや懸念を持ち、論争をしている。
日本銀行による積極緩和策を唱える「リフレ派」と、超金融緩和や財政との一体化のリスクを指摘する「反リフレ派」の20年以上の論争。知人からは、「どちらを信じれば?」との迷いをよく聞く。迷って当然だと思う。
どちらの主張が正しかったのかは、いずれ歴史が審判を下すだろう。ただ、どちらを信じるかで、貯金や投資、借金をして家を買うべきかといった私たちの「今の行動」は変わってくる・・・
「専門知」の分裂……それは、個人にとって厳しい判断を迫られる時代となって、眼前に広がっている・・・

・・・当時(2002年)の私は、「リフレ派」寄りだった。日銀の政策はあまりに消極的に思え、それまでの政策を批判し、積極策を取るべきとの考えを記した。「だが、そう考えるのは、今アメリカにいて、アメリカ人のエコノミストや当局者の意見を聞きすぎているためかもしれない」との留保はつけた。米国の主流派エコノミストの多くは、日本が取るべき金融政策については、「リフレ派」の立場だった。
私が米国の主流派への懐疑を強めたのは、その1年後、03年のことである。FRBは00年のITバブルの崩壊後、超金融緩和を続けていた。金利低下を生かし、住宅を担保に借金を増やして新車を買うといった人々の行動に、日本の80年代のバブルと共通するにおいを感じた。米国を去る直前に書いたFRBの連載の最後の記事は「危うい成長構造」という見出しにした。

当時、米国の当局者やエコノミストに「住宅バブルが起きつつある」と指摘したが、「日本とは全く状況が違うよ」と、ほとんどの人に相手にされなかった。バブルが崩壊し、世界を揺るがす金融危機に発展したのは5年後だった。
今も米国の主流派の学者・エコノミストの中には、日本経済の処方箋について「リフレ派」的な考えを持つ人は多い。
ただ、神様のようにもてはやされた当時のFRB議長、グリーンスパンの評価はバブル崩壊後に急落した。少なくとも私は、FRBや米国の著名な学者の多くが、住宅バブルや金融危機の兆候を見逃したのを目撃して、経済学の権威だからといって、正しい見方や予測ができるとは限らないと感じた。中央銀行の力も過大評価しないほうがいいと考えるようになった・・・