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経済

「失われた20年」という命名

12月12日の朝日新聞経済面コラム「波聞風問」、原真人・編集委員の「「失われた20年」だったのか」から。

・・・同じように、「失われた20年」という言葉の罪も小さくない。白状するが、これを初めて世に問うたのは私たち朝日新聞取材班だ。8年前、日本経済の四半世紀の変化を描いた連載をもとに「失われた〈20年〉」(岩波書店)という本にした。その後、この言葉を表題に盛り込んだ経済書の出版が相次いだ。
当時、表題をめぐって取材班と編集者でかなり議論になった。バブル崩壊後の経済低迷の長期化は「失われた10年」と呼ばれていたが、さすがに「20年」という認定はなかった。でも、私は推した。かつての日本経済の栄光、日本企業の強さを懐かしみ、それに比べ今は・・・という意識がどこかにあったのだろう。
二つのキーワードは「失われた」成長を取り戻すためならギャンブル的な政策もやむなしという空気を生んだ。そして低成長や低インフレのもとでも持続可能な財政や社会保障にしていくのだという、本来めざすべき道を見失わせてしまったのだと思う。いまは名付けを悔やんでいる・・・

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ネットショッピングでの顧客対応

中古の本を探すときに、アマゾンを重宝しています。昔なら、本屋や古本屋を巡り、図書館で探しました。アマゾンならすぐに見つかり、安いものから高いものまで表示されます。あまりに汚いのは嫌なので、そこそこきれいなのを選んで購入しています。

先日、ある本を注文しました。届いたのは一見、新本のようにきれいでした。ところが、読んでいくと、結構たくさんのか所にラインマーカーで線が引いてあります。
出品した古書店に「線が引いてあります。読むのには問題ないので、返品はしません」と電子メールで送ったら、「申し訳ありません。返金します。本を送り返してもらう必要はありません」と返事が来ました。そして、カード決済の際に、返金されていました(請求書から同額が差し引かれていました)。
アマゾンには出品者の評価も載るので、気をつけているのでしょうね。

マルク・レヴィンソン著『例外時代』

マルク・レヴィンソン著『例外時代』(2017年、みすず書房)が勉強になりました。副題に「高度成長はいかに特殊であったか」とあります。20世紀後半の世界各国の経済を、経済成長という観点から分析したものです。
第2次世界大戦から1973年(石油危機)までを第1期とし、世界の多くの地域で異常なほどの好景気が見られた時期とします。
1973年から世紀末までの第2期は、成長が失速し、国によっては破綻します。

日本の高度経済成長については、私たちもよく知っています。そして、バブル崩壊後の低迷も。
この本は、世界各国(先進国、中進国、後進国)を各章ごとに取り上げ、成功と失敗を記述しています。よくこれだけ調べたものだと、感心します。そこから見えてくるのは、日本の経済成長も、決して唯一のものではなかったと言うことです。そして、戦後の世界各国での経済成長は、歴史的には例外の時代だったということです。
世界的視点から見ることで、日本の姿が相対化されて理解できます。長い歴史から見ることで、その時期の位置づけが分かります。

お勧めです。
みすず書房は、良い本を出しますねえ。

株式市場が表す「失われた26年」

11月15日の日経新聞オピニオン欄、梶原誠・コメンテーターの「「失われた26年」どう挽回」が良い分析をしています。
株式市場が、26年ぶりの高値を付けました。それだけを見ると良い話なのですが、期間を広げ、視野を広げて見ると、違ったものが見えてきます。日本は取り残されているのです。
・・・まさに「失われた26年」だ。日本経済がバブル崩壊の後始末やデフレで苦しんでいる間に、世界は先に行ってしまった。
世界の主要株価指数を26年前から見てみよう。米国は6倍、欧州もアジアも4倍を超える。各国は米リーマン危機、欧州債務危機、アジア通貨危機と、歴史的な危機を経験したが、それらも乗り越えてきた・・・
わかりやすいグラフがついています。もちろん、株価だけが経済を表すものではなく、暮らしやすさを表す物でもありません。

記事では、もう一つの指摘もされています。
・・・気がかりなのは、日本企業の強みである「社会との共生」という経営哲学ですら世界に先を越されそうなことだ・・・
・・・本来なら、世界の経営者が日本に学びに押し寄せるところだ。日本には近江商人が誇った「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」の伝統がある。日本の資本主義の父である渋沢栄一の「論語とそろばん(倫理と利益の両立)」という経営哲学もある。
ところが実際は、なかなかそうならない。それは「そろばん」、つまり長期的な株価停滞が示すように、企業の稼ぎ方が見劣りしているからではないか。
「あなたは間違っている」。14年、東京での討論会の壇上で声を荒らげたのは米ハーバード・ビジネス・スクールの名物教授、マイケル・ポーター氏だ。同氏が11年に打ち出した、社会に報いることで稼ぐ経営理論、CSV(クリエーティング・シェアード・バリュー)について、邦銀の頭取経験者が「日本では目新しくない」と感想を述べた時だった。ポーター氏の目には、日本の経営者は社会との共存を語るだけで、それで稼いでいるとは映っていなかった・・・

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民主主義と資本主義の関係

9月25日の日経新聞オピニオン欄、マーティン・ウルフ(ファイナンシャルタイムズ、チーフ・エコノミクス・コメンテーター)の「民主主義 立て直すには」、電子版では「民主主義 危うい資本主義との“婚姻関係” 」から。
・・・民主主義が後退している。自由なグローバル経済への信認も低下している。民主主義と資本主義は本来、“婚姻関係”にあるが、何度も危険な状態に陥った。今も厳しい局面に見舞われている・・・
・・・民主国家の割合を国内総生産(GDP)に占める貿易額の比率と並べて比較することもできる(貿易額のGDP比は、人や資本の移動といった他のグローバル化指標とも強い相関性がある)。
歴史を見ると、民主化とグローバル化はほぼ相関関係にあることがわかる。要は19世紀の産業革命が政治革命をもたらし、独裁主義から民主主義への移行を促した。逆に、反グローバル化は反民主化と連動している。
これは当然だろう。米ハーバード大学のベンジャミン・フリードマン教授が主張するように、民主主義は豊かな時代に進展するが、貧困下では後退する。実際、1820年以降、世界の1人当たりの平均実収入は13倍に増え、高所得国ではそれを上回った。経済発展に伴い国民の教育が必要になり、国民を戦争に動員しようとすれば、政治的に多様な考え方を包摂することが求められた。
逆に金融危機は貧困や不安、そして怒りを引き起こした。民主主義には、勝者は敗者を破滅に追い込むために権力を行使することはないという勝者への信頼が欠かせない。しかし、負の感情はそうした信頼を消し去ってしまう。

民主主義と資本主義は関連が実証されているだけではない。民主国家では全ての人が政治の意思決定に加わり、資本主義の下では誰もが自由に市場を利用できることが前提になるという意味で、ともに平等の理念に基づいている。
だが大きな違いもある。民主政治には国民の連帯が必要だが、資本家たちは愛国主義には関心がない。民主主義では全ての市民に発言権があるはずだが、資本主義では富める者が最も大きな発言力を持つ。有権者はある程度の経済的安定を求めるが、資本主義には好不況の循環が付きものだ・・・
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