カテゴリーアーカイブ:社会

東京への憧れ

2025年8月14日   岡本全勝

過疎問題の原因の一つに、東京への憧れがあります。読売新聞「あすへの考」でも指摘しました。
先日、あることから、司馬遼太郎著『街道をゆく37 本郷界隈』(原著は1992年、朝日新聞社)を読みなおしていたら、287ページ「漱石と田舎」に、次のような文章がありました。

・・・本郷からすこし離れて、想像を自由にさせたい。
明治後の東京が異常な憧憬を地方からうけてしまったことについてである。
当時の英国の田舎に住む紳士階級にとって、首都のロンドンは単に、金融や商工業、あるいは政治をするためのいわばビジネスの機能であるにとどまり、特別な尊敬の対象ではなかったはずであった・・・
・・・アメリカもそうらしい。アメリカのある日本学者がいった。
「日本のふしぎは、田園(いなか)を一段下にみることですね。アメリカ人はニューヨークいに住むよりも、田園に住みたがります。日本人の場合、ひょっとすると逆ではないでしょうか」
ひょっとするとどころではない。こんにちの日本ほど東京への一極集中のはなはだしい時代はない。アメリカの若い人が、ワシントンD.Cにあこがれてのぼってくるなどという話はきいたことがないのである。

都あこがれという日本人の習癖は、はるかなむかしながら、八世紀初頭に出現した平城京(奈良の都)のころにさかのぼるべきなのかもしれない。
当時は商工業が未発達で、都市の必要などはなく、都市は存在しなかった。でありながら、唐の長安の都の三分の一の規模の大都市が大和盆地に出現したのである。青や丹で塗られた宮殿・官衙あるいは都城の楼門は圧倒的な威容を誇った。
日本じゅうが、まだ竪穴住居や掘立小屋に住んでいたころだったから、多少の謀反気をもっていた地方地方の土豪も心をくじかれたに相違なく、要するに津々浦々の鄙どもは、文明に慴伏(しょうふく)させられたのである。首都尊敬という型は、こときにはじまったかとおもわれる。

江戸時代の江戸は、さほどでもなかった。
政治的首都とはいえ、江戸は諸大名の城下の巨大なもので、古の平城京のように質がちがうというものではなかった。加賀百万石の城下の金沢も、規模の大小があっても、江戸と等質の都市だった・・・
・・・こういう状態が一変するのは、江戸が東京になってからである。
「神田界隈」のくだりでふれたように、明治後、東京そのものが、欧米文明を受容する装置になった。同時に、下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした。いわば、東京そのものが、”文明”の一大機関だった・・・

・・・ともかくも、明治の東京は、あらゆる分野で欧化に魁(さきがけ)をした。
八世紀の平城京は、やがてその”文明”を国分寺という形で地方に配るのがやっとだったが、一九世紀後半の東京は、機械の伝導装置のように、あらゆる学問や技術を、轟々と音をたてるようにして地方にくばった。
ただし、伝導には時間がかかった。地方へは十年は遅れた。明治の地方人にとって東京がまぶしくみえたのは当然だったといえる。
「東京からきた」
というだけで、地方ではその人物に光背がかがやいているようにみえた。おまなおそうなら、文化的遺伝といっていい・・・

高齢外国人の増加、介護支援

2025年8月11日   岡本全勝

7月28日の日経新聞に「高齢外国人23万人に介護の壁 認知症進み日本語忘れる「母語がえり」」が載っていました。

・・・日本に住む外国人に高齢化の波が押し寄せている。65歳以上の在留外国人は2024年末時点で23万人に上り、10年間で1.5倍に増えた。加齢や認知症のため日本語を忘れてしまう「母語がえり」がみられるなど、言葉の壁や食習慣の違いなど介護には特有の難しさがある。20日投開票の参院選で外国人政策に関心が集まる中、専門家は支援の強化を求めている・・・

出入国在留管理庁によると、65歳以上の在留外国人は2024年12月時点で23万447人。韓国・朝鮮人が6割、中国人が3万2000人、ブラジル人が1万5000人、米国人が8800人です。
課題となっているのが、介護の受け皿不足です。外国人の介護には5つの壁があるとのこと。コミュニケーション、識字、食事、文化や習慣、心の壁です。
彼ら彼女らは、介護保険制度に関する知識も乏しく、頼れる人がいない場合もあります。意思疎通もままならず、孤立しています

高齢者を含め、在留外国人の悩み、そして受け入れる地域社会を支援するために、専門の役所・部署が必要でしょう。出入国在留管理庁は出入りを管理する役所であって、在留外国人のお世話をする役所ではありません。地方行政に責任を持っている総務省が乗り出すべきだと思います。

スマホ長く使うほど孤独感

2025年8月10日   岡本全勝

7月29日の日経新聞に「スマホ長く使うほど孤独感 若者は幸福感じる対面重視へ」が載っていました。
・・・スマホを長時間使うほど孤独を感じる傾向が強まっている。つながっているはずなのになぜ孤独感を募らせるのか。そこには対面とオンラインの差異があるという。使用時間が長いZ世代は危機感を持ち、脱スマホを模索する動きも出始めた。

「私の人生って楽しいのかな」。東京都内の女性会社員(24)はインスタグラムを見て感じる。スマホを見る時間は1日9時間ほど。激務に疲れ、ベッドで寝転びながら友人の楽しそうな外出の投稿を見ると「意味もなくさみしくなるし自己嫌悪になる」。
2024年に内閣府が実施した調査で「孤独を感じる」人の割合は、スマホの使用時間が1時間未満で35%。4〜5時間だと42%、8時間以上は53%と、長く使うほど高い傾向にあった。
つながっているのに孤独を感じるのはなぜか。理化学研究所脳神経科学研究センターの赤石れいさんはそのカギを「対面の交流の減少」と見る。赤石さんらは24年に国際共同チームで若者のデジタル機器の使用と幸福感・孤独感に関する研究を行った。主に20代の若者を対象に21日間、SNSの使用時間や対面での会話時間、その日に感じた寂しさと幸せの度合いなどを1日の終わりに尋ねた。
調査の結果、対面での会話が孤独感を減らし、幸福感を増やすことに大きく影響していた。一方でSNSなど不特定多数の人とのオンラインでの交流は孤独感を増やし、幸福感を減らすと判明した。女性は影響がより大きかった・・・

・・・「また時間溶けた」。東京都の会社員、高橋遼さん(23)は手軽に見られる60秒程度のショート動画から離れられない。「1本くらいと見始めるといつの間にか2時間経っている」。見るのは何気ない生活の映像などで「次の動画は役に立つかもと期待して見るが何も心に残らない」。
採用支援のRECCOO(東京・渋谷)がZ世代を対象に実施した調査(24年)では、約9割が毎日ショート動画を見るが、83%が「無駄な時間」と考えていた。
スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏は著書「スマホ脳」で、人間の原動力ともいえる脳のドーパミンを放出させるのはお金や食べ物、承認そのものではなく「それに対する期待だ」と記す。スマホの通知音に「大事なことかもしれない」と手に取るのをやめられないという・・・

・・・世界でも「脱スマホ」に注目が集まる。24年にオランダで始まった「オフライン・クラブ」という取り組みではカフェの入り口で2000円ほどの参加費を払い、スマホを預け、デジタル機器なしで数時間を過ごす。若者中心に支持を集め、7カ国に広がった。
「日本でも今後、同様の動きが出る」とみるのは日本デジタルデトックス協会の森下彰大理事だ。同協会は20年から実践法を教える「デジタルデトックス・アドバイザー養成講座」を開く。24年の受講者数は20代が最も伸び、前年に比べ1.2倍となった。30代までが半数以上を占め、「ビジネスチャンスと見て参加する人が多い」(森下理事)という・・・

夏の甲子園は北海道で

2025年8月9日   岡本全勝

甲子園で、高校野球の熱戦が続いています。熱中症対策で昼に試合をしないとか、工夫しているようです。
知人の説ですが、いっそのこと、北海道で開催してはどうでしょうか。
夏休み中に開催するならば、炎天下での試合は避けられません。
北海道も今年は暑いようですが。札幌ドームは、プロ野球の日本ハムファイターズが移転したので、空いているそうです。
すると、阪神タイガースも、遠征を続ける必要がありません。

「甲子園」という名称にこだわるなら、本家甲子園の許しを得て、札幌ドームの名称を「分家甲子園」とする。球児たちが記念に持って帰るための「土」も、甲子園から持ってくるとか・・・。

若い調理人が働き方改革でやめていく

2025年8月9日   岡本全勝

7月30日の朝日新聞「売られた「なだ万」中」は「「働き方改革」若手が離れた」でした。

・・・午後9時ごろ、料理長が若い料理人に声をかけて回る。「帰って、帰って」。若手は帰宅を始める。残業時間の規制が比較的ゆるい管理職の料理長らと、アルバイトが残り、調理や片付けを続ける――。
なだ万の元総料理長で、顧問の上村哲也(63)は、この10年の変化をそう表現する。

昔は違った。店の営業時間が終わってから、だし巻き卵の練習をし、大根のかつらむきをした。「ひと昔前は修業、修業だった」
だが、アサヒビールの傘下に入ると、「昭和の会社」で、徒弟文化だったなだ万にも「働き方改革」の波が押し寄せた。1日の労働時間を原則、8時間とする労働基準法の順守が厨房に広がった。
それ自体は、従業員を守るために必要なことだ。ただ、予期せぬ余波も起きた。若手がひとり、またひとりとなだ万を辞め、個人経営の割烹や料理店に移っていった。
「もっと時間に縛られずに修業がしたい」。多くの若手から迫られても、現場の料理長らにできることはなかった。
労働時間が減り、残業代の分だけ給料が下がったことも、若手離れに影響したとみられる。

和食料理人のなり手不足も深刻になった。10年以上前は料理人の募集をかければ、すぐに全国から集まった。だが、専門学校で求人を出しても次第に「簡単には集まらなくなった」(上村)。600人ほどいた料理人が300人ほどに減り、慢性的な人手不足に悩むようになった・・・