9月14日の読売新聞夕刊の読書欄に、書店のない自治体が増えていることが紹介されていました。全国では330団体にも上るそうです。全国の市町村数は1700あまりですから、2割近くが本屋さんのない自治体です。しかも、市町村合併後ですから、合併前の旧市町村で見るともっと多いのでしょうね。47都道府県ごとの市町村数が載っていますが、香川県がゼロで、栃木・富山・石川・福井・広島・大分が1市町村です。
インターネットでどんな本でも買うことができますが、それは目的を持った人だけでしょう。子どもや一般の人は、やはり本屋の棚を見て、読みたい本を探すのではないでしょうか。もちろん、学校や公立の図書館がその代替機能を果たしていると思いますが。私の育った村にも本屋さんはなく、隣の町の本屋さんがバイクで届けてくれる月刊学習雑誌はうれしく、また本屋に行くことはとてもうれしかったです。その「病気」がいまだに続いていて、本屋に行くことが一番の趣味になっています。
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CSRは社会貢献ではない。CSVとの違い
CSRという言葉を、聞かれたことがありますか。Corporate Social Responsibility、「企業の社会的責任」と訳されることが多いです。あなたは、どのような活動を、CSRだと考えていますか。ボランティアや寄付活動、また法令順守や環境保護活動といったものででしょうか。しかし、社会貢献とか、企業の本業に関係がない追加的に実施されるものという認識は間違いなのだそうです。「CSR=社会貢献という考えは、時代遅れ」(東洋経済オンライン、2014年3月3日、下田屋 毅さんの解説)。
・・・欧州委員会が2011年10月に発行した「CSRに関する欧州連合新戦略」によれば、CSRとは、「企業の社会への影響に対する責任」と定義されている。具体的には「株主、広くはそのほかステークホルダーと社会の間での共通価値の創造(CSV)の最大化」と、「企業の潜在的悪影響の特定、防止、軽減」の2つを推進するとしている。法令順守や労働協約の尊重は前提条件と位置づけ、「社会」「環境」「倫理」「人権」「消費者の懸念」を企業活動の中核戦略として統合するというものだ・・・
他方で、CSVという言葉も出てきています。Creating shared value :共通価値の創造は、アメリカの経済学者マイケル・ポーターが提唱した概念です。一部に「CSRは古く、これからはCSVだ」と言う人もいるようです。それが間違いであることも、この下田屋さんの論文をお読みください。
そこに出てくる、ネスレのCSRのピラミッドが、わかりやすいです。いちばん下が「コンプライアンス、人権、行動基準など」で、2段目がサステナビリティ、そしていちばん上がCSVです。
田村太郎さんに教えてもらったところによると、次の通りです。
「CSRは企業が事業をする上で、経営・環境・社会に関する 情報開示を行い、改善計画を示して活動するもので、本業と 不可分なものです。社会貢献活動はCSRのほんの一部であり、 また本業での社会責任に関連しない社会貢献活動は、CSRの 中にも入りません。 CSVは企業行動を通じた価値創造というコンセプトですから、 CSRとは次元が異なる概念です」
存在する答えに向かうことと、自分で答を探すこと
毎日新聞9月9日夕刊、畑村洋太郎さんの「技術大国のおごりを捨てよ」から。
・・・日本企業は戦後、欧米の産業に追い付き、追い越せとばかりに努力を続け、経済成長を遂げてきた。そのピークは1980年代。日本の技術力や品質が外国で認められると、自らを誇ってこう呼んだ。「技術大国」と。とりわけ世界市場をリードしてきた一つが家電メーカー。だが今は、韓国、中国勢の大量生産による低価格攻勢にさらされるなどして経営が悪化している。この問題をどう捉えればいいのか。戦後日本の産業界を見続けてきた畑村さんの観点は独特だ。戦後70年の歩みを二つの時代に分けて考える。奇跡の50年間と、何をしたらいいか分からない20年間だ。
奇跡の50年についてはこう語る。「闇夜に光る灯台を目印にすれば船は目的地を見失わないように、日本企業は欧米の先進例を目標に『存在する答え』へ向かって必死で歩み、努力してきたからこそ高い技術力を身に着けた」。
その後の20年は、灯台にたどり着いたものの、次の目標を見失ったと見る。「日本企業は自分で『答え』を探さなければならなかった。それなのに『自分たちの技術は高い』との自己評価にあぐらをかくだけで、自らの頭で考え、努力することを怠ってきた」・・・
私は、『新地方自治入門』で、欧米に追いつくという目標をうまく達成した日本の行政が、達成したが故に目標を失い、次の目標を探しあぐねていることを論じました。
日米中韓、若者意識調査
8月28日に、国立教育振興機構が、日米中韓の4カ国の高校生を対象に行った「生活と意識に関する調査」結果を公表しました。8月29日の日経新聞などで紹介されています。4か国の若者の、意識の共通な点と異なる点が浮き出ていて、興味深いです。
例えば、「自分の国に誇りを持っている」について、中国は88%、日本が73%、アメリカは67%に対し、韓国が41%です。中国は学生たちの本心が反映されているかどうか定かではありませんが、日本が意外と高いです。マスコミは「国民は日本に自信を持っていない」というような論調を書きますが、そうではないのですね。韓国の41%の理由は、何でしょうか。しかし、「自国の未来は明るい」については、中国が88%、アメリカが49%、韓国が33%、日本が32%です。
「お金があれば望みはかなう」については、中国が44%、アメリカが48%、日本が59%に対し、韓国が92%です。自由経済、競争社会、アメリカンドリームのアメリカが低く、韓国が92%なのは驚きです。他方で、「今の社会は公正だ」については、中国が55%、日本が32%、アメリカが28%、韓国は11%でしかありません。(それぞれ資料10ページ)
その他の項目も、たくさんあります。ご関心ある方は、お読みください。ところで、記者発表の概要版で、20ページもあります。う~ん、特徴を3枚くらいにまとめられませんかね。
日米の医療水準比較、通説の間違い
8月28日の読売新聞解説欄に、佐藤敏信・日本医師会総合政策研究機構主席研究員・元厚労相健康局長の「手術データが示す医療水準」が載っていました。
・・・一国の医療水準を把握し、比較する場合、よく知られた指標として「平均余命」や「健康寿命」がある。「乳児死亡率」なども用いられる。これらの指標で見ると、日本は世界一あるいは世界最高水準にある。
だが、日本の医療に対して多くの国民が抱くイメージは「誰もが一定レベルの医療は受けられるものの、トップレベルでは米国にかなわない」というものではないだろうか。国民皆保険の日本の医療はしばしば、すべて普通席の列車に例えられる。これに対して患者の経済力次第の米国は、普通席だけでなく特等席まである。やはり特等席にはかなわないだろうと、私も漠然と思ってきた。
しかし、このイメージは必ずしも正しくないらしい。日本の普通席の質は米国の特等席より上かもしれない、というデータがそろい始めたからである・・・
として、これまでに蓄積されたデータを比較しています。例えば、消化器がん領域のいくつかの切除手術について、手術後一定期間内の患者の死亡率を日米で比較したところ、日本の成績の方が良好でした。しかも、日本側はほぼ全病院(約2000)のデータなのに、アメリカ側は選ばれたトップランクの病院(約500)のデータなのです。詳しくは原文をお読みください。
佐藤さんは医者で、大震災直後は環境省で健康担当の部長を務めていました。放射線の健康影響についての質問に、時には感情的とも思える追求にも、的確に答えてくれました。