外国人観光客が近年急増し、インバウンドという言葉がはやりました。その中でも、中国人観光客の増加が目立ちます。そして、爆買い。ありがたいことです。40年前のパリの日本人を思い出させます。12月28日の「地方行政」(時事通信社)に、次のような指摘が載っていました。
小売業界によると、1顧客当たりのレシートの長さは平均15センチメートル。それが爆買い客だと1メートルになるのだそうです。商品より先に、レジのロール紙からなくなるという話です。
12月27日の読売新聞、「編集委員が読む」森恭彦記者の「京都中国の人多いですね」にも、興味深い指摘が載っています。
中国では、「唐宋時代を見たければ日本に行け」という言い方があるのだそうです。北方民族が支配した元や清の時代に失われた文化が、日本に残っているのです。京都は「小長安」と呼ばれます。それ以外にも、いろんな指摘があります。原文をお読みください。
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蘇我氏と藤原氏
倉本一宏著『蘇我氏―古代豪族の興亡』(2015年、中公新書)が、興味深かったです。蘇我馬子が権勢をふるい、蝦夷と入鹿が大化の改新で滅ぼされたことは、皆さん学校で習いましたよね。
しかし、この本によると、大化の改新後も、蘇我氏は有力豪族として生き残ったのです。改新後、蘇我倉山田石川麻呂が力を持ったことは知っていましたが、本宗家が滅んだあとも、別家が力を持ちます。天皇家は引き続き、蘇我氏と姻戚関係にあり、多くの皇子が蘇我氏の血を引き継いでいます。天皇家も、それを意識した婚姻を続けます。それだけ、蘇我氏の地位は高かったのです。それに反発したのが、蘇我氏の血の入っていない中大兄皇子です。
奈良時代に入っても、蘇我氏の血を引く多くの皇子がいました。しかし、その地位を藤原氏に奪われてしまします。天皇家との婚姻による権力者の地位を、藤原氏が引き継ぐのです。ただし、藤原氏にも蘇我氏の血は入っています。藤原不比等の妻に蘇我氏の娘が入っていて、武智麻呂、房前、宇合を生みます。そして、房前の藤原北家が最も栄えます。没落した蘇我氏は、平安時代にどうなったのか。この本をお読みください。
私の生まれ育った明日香村大字岡は、入鹿が首をはねられた板葺宮跡があり、発掘されて公園になっています。私は、ここでカエルを捕っていました。小学校の隣には、馬子の墓といわれる石舞台古墳があり、その上に登って紙飛行機を飛ばしていました。大きな石組みですが、東側(羨道から見て右側)から登ると、簡単でした。現在は、石の上に登ることは禁止されています。
お坊さんの手配手数料
12月26日の朝日新聞に、「お坊さんネット手配「中止を」 アマゾンに仏教会要請へ」という記事が載っていました。
・・・ネット通販大手のアマゾンジャパンで申し込むことができる僧侶の手配サービスが始まった。このサービスが「宗教行為を商品化している」として、全国の主要宗派などでつくる全日本仏教会(全仏)が年明け、米アマゾン本社に対して文書でサイト掲載の中止を申し入れることが分かった・・・
詳しくは原文をお読みください。宗教は商品としての扱いになじまない、というのが理由のようです。他方で、お坊さんの読経が、金銭の授受によって行われていることも事実です。その宗教行為が無料で行われれば、どうなるのでしょうか。商業としては成り立たないけれども、非営利活動としては「斡旋」が成り立つのでしょうね。対象となる宗教行為が有料でも、斡旋が無料ならどうでしょうか。
都を目指す
先日、ブルデューの経歴を紹介しました(2015年12月5日の記事)。フランスの田舎で生まれ、勉強して地方の中心都市に出て学び、最後はパリのエリート校で学びます。日本も同じで、明治以来、学問を身につけ、立身出世する道が開かれました。パリや東京へ出て一流校で学ぶことは、地理的移動であるとともに、社会的上昇の階段を手に入れることも意味しました。私も、地方から東京の大学を目指した多くの学生も、同じでした。
もちろん、「上京」「上洛」は、明治以前からある言葉で、都に上ることは価値があったのです。しかし今は、東京が双六の上がりではなくなりました。国際化が進むと、ニューヨークや上海など、世界が活躍の場になります。
被災地の子ども、田村太郎さん
昨日、田村太郎さんが、多文化共生で朝日新聞記事に取り上げられたと、紹介しました。本人からお礼とともに、毎日新聞にも出ていますと、電子メールがきました。12月7日「震災後に貧困、学習意欲は持続 「被災地・子ども教育白書」 公益社団法人調査」
・・・復興庁の田村太郎参与は、被災地から就職先や進学先を求めて東京などに出たものの、生活になじめずに地元に戻ったケースが少なくないと紹介。今後はこうした若者たちの支援についても検討が必要だと述べた・・・