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社会

建築の職人さん

富山県建築士会が、『建築職人アーカイブ―富山の住まいと街並みを造った職人たち』(2016年、桂書房)を出版しました。
家を建てる際にお世話になる職人さんたちの紹介、聞き語りです。木挽、製材、大工、左官、瓦葺き、畳、造園などなど。聞けば、知っている職人さんたちです。大阪城を建てたのは誰か、というなぞなぞがあります。答は豊臣秀吉ではなく、大工さんです。でも、大工さんだけでは家はできないのですよね。建築士会は、建築士=設計者の団体です。社会的地位も高く、有名な建築家や事務所は知られています。それに比べて、職人さんたちは身近な存在であり、「高名」ではありません。しかし、職人さんがいなければ、家は建ちません。
私も読み始めましたが、なるほどと勉強になります。私の家も、この人たちにお世話になって、できたんですよね。
畏友の小林英俊さんから、「宣伝せよ」との指示が来たので、紹介します。小林さん自身が建築士で、この本の編集を担当しました。私にとっては、富山県庁時代のバンドマスターです。当時は、県庁職員でした。ほかにも専門家的趣味があり、異能の人です。睡眠時間を削って、頼まれた仕事や頼まれもしない仕事をする、「偉大な世話役」です。

鉛筆

3月5日の朝日新聞別刷りbe「サザエさんをさがして」は、鉛筆がテーマでした。国内の鉛筆生産量は、1966年の962万グロス(1グロスは12ダース)がピークで、1985年頃にボールペンに逆転され、近年はボールペンが1026万グロスに対し、鉛筆は137万グロスです。
三菱鉛筆によると、1994年にはHBが5割弱だったのが、2014年には2割に減り、太くて柔らかい2Bが2割から4割に増えたのだそうです。HBを使っていた大人がボールペンに移行し、子どもが使う2Bが残っているということでしょうね。
私もボールペンと万年筆なので、鉛筆は使いませんねえ。ボールペンは、もっぱら三菱のジェットストリームです。ぺんてるのサインペンのプラマンもよく使っていたのですが、部下への指示書を書くことが少なくなり、使うことが減りました。「知的生産の技術」「知的生産の技術2」。

サイバー攻撃

朝日新聞同様日別刷りbe、1月23日フロントランナーは、サイバーセキュリティ技術者の名和利男さんです。
1昨年、日本に「着弾」したサイバー攻撃は、前年の倍の250億件余りとのことです。とんでもないことに、なっているのですね。弾が飛んでくるところが見えない攻撃と、防御なので、私たちにはなかなかピンときませんが。見えないところで、日夜闘っている人たちに、感謝します。

数学をめぐる議論が、社会を変える。2

この本の第1部は、昨日書いた、イタリアでのカトリックとイエズス会が、自由な研究を押さえ込み、秩序を維持することに成功します。しかしその代償に、研究が進まなくなります。第2部は、舞台をイギリスに移し、ホッブスが敵役になります。ホッブスは、政治学を勉強した人なら知っている「リヴァイアサン」の著者です。彼が、その思想の延長で、数学を勉強したとは、知りませんでした。彼の主張では、絶対君主がこの世を治めます。それは、教皇に代わる統治者であり、唯一の秩序を維持する者です。それに対し、まだ誕生したばかりの、ロイヤルアカデミーが対抗します。
17世紀のイギリスの政治混乱、2度の市民革命が、この唯一の秩序派と自由な研究派との対立に重なるのです。そして、ホッブスは負け、自由な研究派が勝ちます。それから、イギリスの発展が始まります。
イタリアの自由な思想が終わり、イギリスで自由な思想が始まる。その象徴が、数学をめぐる議論として描かれています。なるほどと思います。もっとも、教皇派・王党派対自由な研究派・市民派を、すべて数学の対立で説明するのは、いささか無理があるようです。しかし、一つの象徴としては、理解できます。マックス・ウエーバーの、プロテスタントが資本主義を発達させた論より、面白いです。
とはいえ、この本は、上下2段組、300ページあります。「挑戦してやろう」という人に、お勧めです。たくさんの知らない人が出てきて、寝ながら読むには少々大変です。

数学をめぐる議論が、社会を変える

アミーア・アレクサンダー著『無限小 世界を変えた数学の危険思想』(邦訳2015年、岩波書店)が、面白いです。無限小の議論は、連続体、例えば線を分割できるかどうかです。この本は、そのような数学的議論ではなく、それが中世の神学、哲学、社会に与えた影響を書いた本です。数学の棚でなく、政治哲学、歴史社会学の棚にあって良い本です。
宗教改革以降、ローマ教皇を頂点にした秩序が崩れます。それを再興したいカトリック側の先兵になったのが、イエズス会です。イエズス会は、その優れた教育システムで、優秀な宗教者を育て、世界各地に送ります。その際に、神学とともに、数学が重要視されます。それは、古代ギリシャの数学を模範とし、秩序の象徴だったのです。
そのイエズス会からすると、地動説を唱えるガリレオとともに、無限小は秩序を乱す、許しがたい悪人です。そこで、弾圧します。
それまで、科学や数学で最先端を行っていたイタリアが、その後、自由な研究ができなくなり、研究の中心はアルプスを越えて、フランスやイギリスに移ります。
読んでいて、「へ~」と思う分析です。
天文学、数学における「古典的秩序」対「自由な発想」の対立が、それだけにとどまらず、社会を見る見方、社会観に影響を与えます。それについては、次回に書きましょう。