ジグムンド・バウマン、ティム・メイ著「社会学の考え方」(邦訳2016年、ちくま学芸文庫)を読みました。山本泰先生の最終講義に出て、社会学は社会をどのように見て、どのように説明しているのか、改めて勉強したくなったのです。ピーター・バーガー著「退屈させずに世界を説明する方法」(邦訳、新版2015年、新曜社)や、同「社会学への招待」(邦訳、新版2007年、新思索社)も読みました。寝床で読み続けている本も他に数冊あります。
大学時代には、マックス・ヴェーバーの没価値性(いまは価値自由と言うようです)や、カール・マンハイムの存在被拘束性を聞いて、なるほどと思いつつ、「そんなもんかいな」としか思いませんでした。
社会学の各論は、その後それぞれに触れたのですが、社会学の考え方・全体像を再確認したかったのです。寝ながら読むには、ふさわしくないのですが(反省)。
読んでみて、驚くような「新事実」はなかったです。私のふだんのものの見方が間違っていないと、自信がつきました。また、専門家は「このように考え方や、課題と分析を整理するのだ」とわかりました。門外漢が知りたいのは、その分野の地図です。まあ、教科書風に概説し詰め込むと、抽象的にならざるを得ないのでしょうが。
本を読んで、知らないことを得ることも、楽しみであり重要ですが、知っていることの再確認、あるいは専門家による整理を確認するのも、重要です。
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補助犬
補助犬って、ご存じですか。厚生労働省、社会・援護局、障害保健福祉部、自立支援振興室の品川 文男補佐から、「政府広報番組に出演したから、岡本のホームページで広く世間に紹介しろ」との指示が来ました。品川君は、復興庁で被災者支援を担当し、これまでにない分野、これまで付き合いのない人たちと、新しい取り組みを試みてくれました。ありがとうございました。
フットワーク良く、現場に出かけるのです。もちろん、現場に行くと、新たな課題を拾ってきます。でも、それが行政の新たなフロンティアなのです。霞が関に閉じこもっているだけでは、新たな課題はわかりません。
番組は「身体障害者補助犬」についです。インターネットビデオで、約20分だそうです。開始直後35秒の頃に、当の本人である品川補佐が出演します。紺の上着を着て、まじめな顔で説明しています。
山本泰先生
この春、山本泰・東大教授の最終講義に行ってきたことを、書きました(2016年3月21日)。その資料が、先生のホームページに載りました。「社会学がわかるとはどういうことか?」は、社会学はそういう学問なのだということがわかります。「懇親会」には、私も登場します。
謝罪文化、パフォーマンス?
7月29日の朝日新聞オピニオン欄「それって不謹慎ですか」、マッド・アマノさんの発言から。
・・・日本には謝罪文化っていうのがある。企業が不祥事を起こすと、記者会見で幹部たちが雁首そろえて謝る、あれだよ。薬害事件で、突然、製薬会社の幹部数人が、一斉に額が床につくほど土下座した。これには本当に驚いた。
謝らないことには、世間が収まらない。「まず謝っちゃおう」というパフォーマンス、儀式だね。これで人々は留飲を下げるわけだ。でも謝ったからといって自らの責任を認めたわけではない。こんな目くらまし、僕は納得いかないよ。
こういう下地があるから「不謹慎だ」と批判されると、すぐ謝っちゃうんじゃないの。攻める方もおもしろがってやる。どちらも理詰めでは論争しない。これは日本人が最も不得意なんだ。
アメリカに10年ほど家族と住んでいたことがある。謝罪会見なんて一切、見たことない。とにかく交通事故でも謝ったらだめ、と友人からよく言われた・・・
・・・私ですか? 外では謝らないけどね、家では妻や息子にいつも謝っています。謝らないと収拾がつかなくなる。だから家庭の平和のためにね・・・
マナーの作り方、国民性の変化。エスカレーター
7月20日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」は、「エスカレーター片側空け出現」でした。1980年代から、急ぐ人のために、エスカレーターの片側を空けることがマナー(礼節)になりました。関西では左側を、関東では右側を空けるようです。私も「新地方自治入門」で、「現在作られつつある習慣」と紹介しました。しかし、最近では事故防止のためなどに、空けない=2列に並ぶことが推奨されています。興味深いのは、次のようなことです。
まず、そのマナーの導入に際し、「先進国を見習え」という手法が用いられたことです。
・・・1980年代の朝日新聞をめくってみると、ロンドンの地下鉄で見られる習慣の素晴らしさを絶賛し、翻って日本では…と嘆く記事がいくつも見つかる。
「日本の都市でのふしぎな光景は、すいているエスカレーターでもほとんどが歩かぬことだ。(中略)一種の『こっけいな日本風俗』の一つであろう」(83年11月28日付)
「片側一列に立って、急いで昇降する人たちのために、かたわらを空けておく、英国などでみられるマナーは日本でもまねたいもののひとつだ」(86年8月5日付夕刊)・・・
今読むと、新聞の論調、そしてそれを受け入れた国民性に、驚きます。今このような記事を書くと、どのような反響が返ってくるでしょうか。たった30年で、こんなに変わるのですね。もっとも、この手の手法は、形を変えて使われています。
作家の山本弘さんは、次のように語っています。
・・・日本人が昔から「マナーを守る礼儀正しい民族」だったかというとそんなことはありません。歴史の本で大きな事件はわかっても、細かいことは書かれていないのが普通ですから、誤解してしまうのかもしれません。社会が一種の記憶喪失になってしまっているともいえます。
交通にかかわるマナーでいうと、駅弁の食べかすやゴミを座席の下に突っ込んでおく、などというのは当たり前でした。現代の清潔な列車からは想像もできないでしょう。僕が子どもの頃にはまだ電車の乗り降りでも、降りる人と乗る人がぶつかり合って大混乱していました・・・