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社会

『「反・東大」の思想史』

8月18日の読売新聞書評欄、尾原宏之著『「反・東大」の思想史』を取り上げた、苅部直・東京大教授による「東大の権威 抵抗の系譜」から。

・・・かつては毎年、東大入試の合格者発表の直後に、複数の週刊誌が特集号を出して、全員の氏名と出身高校を堂々と載せていた。個人情報保護法のなかった前世紀の話であるが、自分の受験生時代から疑問に思っていたことがある。ふだん受験競争の弊害を説き、東大卒業者が多いとされる官僚への批判を繰り返しているリベラル派の週刊誌・新聞が、どうして「東大」ブランドへの信仰を 煽あお るようなまねをするのか。

「東大」の権威の解体を唱えたり、「東大生も実務では役に立たない」と豪語したりするのに、本音の部分では東大を頂点とする大学の順位づけを信じている。この意識の二重性が、近代史を通じて日本社会にはしっかりと根づいているのである。まさしく思想史の問題だろう。

本書で尾原宏之はこの課題に果敢に挑んでいる。そもそも明治国家が近代化を進めるために、東大を頂点とする大学制度を作る過程と並行して、それに対する批判も声高に主張されていた。私学による高等教育を確立しようとした福澤諭吉の慶應義塾大学や、「民衆」に語りかける政治家とジャーナリストを養成した、大隈重信の早稲田大学。また、知識偏重の打破をめざす大正期の自由教育運動や、「インテリ」による指導を拒否した労働運動。「反・東大」の潮流もまた、無視できない勢力を同時代にはもっていた。
だがそうした動きも挫折や妥協に終わり、反対に東大の側が新しい知的潮流をとりこんで、みずからの権威を維持することになった・・・

ペットボトルという言葉

先日、このホームページに「たくさんのペットボトルの空き容器」を書きました。実は、最初は「ペットボトルの空き缶」と書いたのですが、有力読者から「おかしい」との指摘を受けて、「ペットボトルの空き容器」と書き換えました。

缶や瓶には、空き缶、空き瓶という言葉があります。ペットボトルの場合は、何と言うのでしょうか。そこで、ペットボトルという言葉を考えていたのです。
英語では、plastic bottleで、PET bottleも使われるようです。ボトルとは、瓶のことですよね。すると、ペットボトルは、日本語にすると「ペット瓶」でしょうか。

日本語にするとき、プラスチック瓶、合成樹脂瓶とすれば、わかりやすかったのでしょう。つづめることが得意の日本語では、「プラ瓶」とか。でも、ペットボトルという表現が「格好良い」と考えた人がいたのでしょうね。
「ペットボトル」という言葉を使うなら、「空き瓶」がふさわしいのかもしれません。

24日追記
読者から、次のような趣旨の意見がありました。
「「瓶」は、もともと土器である瓦に属します。水筒に使う「筒」という表現が、竹製品だけどいいのではありませんか」

人の弱みつけこむテック企業

8月11日の日経新聞、トロント大のジョセフ・ヒース教授の「情報中毒から理性守れ」「人の弱みつけこむテック企業 哲学者が憂える副作用」から。

・・・ソーシャルメディア、アルゴリズム、そして人工知能(AI)。情報技術は恩恵と同時に様々な問題を社会にもたらしている。テクノロジーと適切に向き合うにはどうすればいいのか・・・

「問題は、企業が人間の弱みにつけこむことがあるという点だ。私たちの脳は大量の情報を瞬時に処理できる。だからスマートフォンの画面からとめどなく流れてくる刺激にくぎづけにされてしまう。ここに商機を見いだしたのがビッグテックの企業群だ。
これらの企業のサービスにうつつを抜かしている間に、貴重な資源である集中力が奪われてしまった。刺激に身を委ねるばかりで熟考の習慣を失った人々は非合理的な判断に傾きやすい。思考停止、他者への攻撃的な態度、そして摩擦と分断。情報技術がもたらしたそうした状況を見るにつけ、今の社会は正気を失っていると思う」

「動画共有サイトやネットショッピングのサイトは消費者の検索・閲覧履歴を学習し『おすすめ』を繰り出してくる。次々に表示されるコンテンツには中毒性があり、気がつくと見入ってしまう。これを1日に何時間も眺めていたら、人生の長い時間をオンラインで過ごすことになる」
「人間の認知の特性を研究したテック企業は様々な手法を用い、時間や注意力という私たちの貴重な資源を収奪する。だからネットを見続けるのがよくないことは誰だってわかっているが、弱点につけこまれあらがえない。まずこの現実に目を向ける必要がある」

世間で広がる英会話

先日の地下鉄駅でのことです。外国人旅行者と思われる家族連れに、駅員さんが英語で話していました。説明を受けて家族は、出口に向かって進んで行きました。
駅員が手すきになった頃合いを見て、質問しました。「英語は必須ですか」と。駅員さん曰く「はい、しゃべれないと仕事になりません」とのことでした。
車内放送でも、録音でなく、車掌さんが英語で説明しています。

東京の地下鉄や鉄道は、外国人観光客がたくさん乗っています。ロンドンやパリでも、観光客と思われる人がたくさんいますから、東京も同じようになったということですね。
外国企業を相手にするような専門の職場だけでなく、訪日外国人が増えて多くの職場で英語が必要になりました。ホテルはもちろん和風旅館でも、従業員が英語を話すようになりました。中国語を話す従業員も増えています。

かつては、「私は英語は話せません」と変な自慢をする人がいました。中学3年間、高校3年間、場合によっては大学4年間(予備校1年間)も英語を習っていながら、話せないのはおかしいですよね。難しい学術用語を使うのではなく、日常会話です。
学校での英語教育は、将来使わない場合は教養でしかありませんでした。しかし職業に必要となると、習得に力が入るでしょう。

博物館の外国人訪問者

先日、キョーコさんのお供で、東京国立博物館「神護寺展」に行きました。暑い日が続いていますが、今行っておかないと行けないだろうと決心しました。
展示物については、それぞれに素晴らしいものですが、それについては実物を見ていただくとして。千年もの間引き継がれてきたことに驚きます。それらは、紙、絹、木でできています。火災や虫、盗難の危機を乗り越えて、守られてきたのです。

ここで述べたいのは、その混雑ぶりです。夏休みの時期もあるのでしょうが、大変なにぎわいで、切符売り場には長蛇の列ができていました。事前に切符を入手していたので、並ばずに入りましたが。
会場も、混雑していました。展示物は、仏像と掛け軸、書類ですから、美術展とは異なりそれほど華やかではなく、わかりやすいものでもありません。子どもを連れて行ったら、「つまらない」と言いそうです。

私の観察では、この会場と本館では、半数以上が外国人観光客と思われる人たちでした。でも、ルーブル美術館に行っても、大英博物館に行っても、プラド美術館に行っても、大半が外国人観光客とおぼしき人ですよね。
私はかつて外国からのお客さんに、東京国立博物館(特に埴輪)、皇居東御苑、大名庭園跡を勧めていました。訪日外国人が増えると、日本らしさを見るために、博物館に行く人も増えるのでしょう。
しかしその観点からすると、東京国立博物館は狭いですね。上野の森にいくつも文化施設が集まっているのは、よい発想でした。ほかにも、そんな地区があればよいのですが。