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社会

ボストン市民社会の文化人類学

渡辺靖著『アフター・アメリカ ボストニアンの軌跡と<文化の政治学>』(2004年、慶應義塾大学出版会)を読みました。いつか読もうと思っていたのですが、思い立って。面白くて、引き込まれました。勉強になりました。

アメリカ発祥の地、ボストン。そこには、伝統的な階級社会があります。アメリカ最古で最上の名門家族である「ボストンのバラモン」。他方で遅れてやってきた、アイルランド系移民家族の「ボストン・アイリッシュ」。彼らもまた、アメリカンドリームを実現して、中流の地位を占めます。そして、その後から来た移民が、その下の階級を形成します。
アメリカは、しばしば「保守とリベラル」「白人と黒人」と色分けされますが、白人社会にも、このような階級が存在します。

著者は、アメリカ人でない(日本人留学生)という立場にもかかわらず、勇猛果敢にこの人たちにインタビューを試み、実現します。そして、時には「語りたくない話」を聞きます。
まだ、電子メールがない時代です。その苦労は、並大抵だったではないでしょう。
一読をお勧めします。この項続く

輸入思想

朝日新聞1月31日の論壇時評、小熊英二さんの「富山=北欧論争 リベラルは上滑りなのか」から。
小熊さんは、井手英策さんの『富山は日本のスウェーデン』(2018年、集英社新書)を紹介したあと、次のように述べています。

・・・もっとも井手は、富山のこうしたマイナス面も著書に書いている。そのうえで彼は、スウェーデンもかつては家族総出で働く保守的で家父長制的な社会だったこと、西欧をモデルにするばかりではいけないことを指摘し、こう述べている。
「リベラルの議論がどうしてもうわうすべりな感じがして仕方ないのは、社会の根底にある土台、風土や慣習のようなものと、そのうえに据えられる政策とがうまく噛みあっていないからではないか・・・保守的な社会の土台を見つめ、その何が機能不全となり、何が生き残っているかを見きわめる。そしてその土台にしっかりと根を張れるような、まさに地に足のついた政策をリベラルは考える責任がある」・・・

私はこの指摘に納得しているのですが、小熊さんは、井手さんの主張を批判しています。原文をお読みください。

いつものことながら、古くなって恐縮です。書こうと思って、切り抜いてあったのですが、他のことにかまけていて。資料にしろ本にしろ、すぐに他の資料の中に埋もれて「行方不明」になってしまいます。それが、ひょっこり出てきて・・。

企業広報の変化、平成の30年

3月13日の日経新聞「私見卓見」、江良俊郎・エイレックス代表取締役の「企業広報に変化突きつけた平成
・・・平成が始まる3年前、1986年に大学を卒業して以来、企業が手がける広報と危機管理の業務を支援してきた。まもなく幕を閉じる平成は企業広報に大きな変化が生じた時代だった。私が考える3つの変化から今後の企業広報のあり方を探りたい・・・
として、次の3つを挙げておられます。
1 危機が起きたあとの対応の失敗が、企業の存続に直結するようになったこと。雪印乳業が倒産した。
2 リスク要因の多様化。労災認定を受けた家族の記者会見、アルバイト店員の不適切投稿。
3 危機管理に取り組む企業の進化。トヨタのように、社長が記者会見に臨むようになった。

・・・現代社会は多様な価値観を尊重する一方、不寛容な面もある。危機意識の高い企業は社会の求めに敏感だ。主体的な危機対応を心がける。平成の次の時代、企業は社会が要請するコンプライアンス経営と説明責任を徹底する必要がある・・・

勉強になります。原文をお読みください。
私も、おわびのプロだと自任していたのですが。「おわびの仕方

市場と情報化が追い立てる競争と不安

3月1日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思さんの「平成の終わりに思う にぎやかさの裏、漂う不安」から。

・・・この数年間で、市場競争はますますグローバルな規模へと拡張し、情報関係のイノベーションはさらに加速した。つまり、世界の国や人々の間の空間的な距離は縮まり、新しい技術開発はいっそう短時間になっている。その結果、一方では人々にグローバルな舞台が用意されると同時に、そのためにかつてない競争圧力にさらされ、イノベーションの加速は、これも人々に新たな可能性を開くと同時に、たえず時間との闘いを強いている。社会の流れについていけない者は多大なストレスを受けざるを得ないし、この変化と競争の真ん中にいる者も、もはや抜けだすことのできないメカニズムの自動運動のなかで疲れはててゆく・・・

・・・グローバリズムとイノベーションが一気に加速し、人々の自由は拡大し、カネもモノもあふれるなかで、人々が生きにくさを感じるのも当然だろう。自然に寄りかかれた価値や道徳観の崩壊、家族や地域や信用できる仲間集団の衰退、数値化できない人格的なものや教養的なものへの信頼の失墜、言論の自由の真っただ中でのPC(ポリティカル・コレクトネス=政治的正しさ)的正義による言論圧迫、それに対抗するかのような言いたい放題のSNS。「バベルの塔」に似せて言えば、神が人々に自由(好きな言葉をしゃべる自由)を与えた結果、言葉はもはや通じず(共通の規律や規範がなくなり)、バベルの塔はそのまま放置された、とでも言いたくなる・・・

山奥を訪れる外国人

2月25日の福島民友新聞に「奥会津に訪日客急増」という記事が載っていました。
昨年1年間に奥会津7町村の宿泊施設に泊まった外国人は、延べ2153人で、前年比1.7倍だそうです。
7町村は、柳津、三島、金山、昭和、只見、南会津、檜枝岐です。
2015年には459人だったのが、3年で5倍近くに増えています。
JR只見線から眺める絶景や、情緒あふれる温泉を目当てに、訪れるのだそうです。
会津若松へは行った人もあるでしょうが、そこからさらに山奥です。日本人もあまり行かないところです。

奥会津に押し寄せる外国人、只見線はラッシュ状態」という記事を見つけました。