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社会

現代の宗教事情3、日本は宗教に寛容か

現代の宗教事情2」の続きです。

「日本人は他宗教に寛容なのか」(P203~)に、興味深い指摘があります。「日本人は多神教なので、排他的な一神教に比べ寛容、平和である」という通説が、覆されています。世界価値観調査によると、次のようになっています。

他宗教の信者も道徳的であるは、アメリカ80%、ブラジル79%、インド61%、中国14%、日本13%です。
他宗教の信者と隣人になりたくないは、アメリカ3%、ブラジル3%、インド28%、中国9%、日本33%。
移民・外国人労働者と隣人になりたくないは、アメリカ14%、ブラジル3%、インド47%、中国12%、日本36%です。

日本は、他宗教にとても不寛容です。そして、他宗教や移民に対しても、嫌悪度が高いのです。
日本は信頼の高い社会と言われていましたが、それは「身内」には親切ですが、「ソトの人」には冷たい社会でした(山岸俊男著『信頼の構造』1998年、東大出版会)。

現代の宗教事情2、傾聴

現代の宗教事情」の続きです。『現代日本の宗教事情 国内編I』には、「第7章 現代日本社会での傾聴のにない手たち」という項目があります。
キリスト教社会では、チャプレンという人たちがいます。軍隊、病院、刑務所などで、傾聴し、心の安らぎを与えてくれます。日本の刑務所でも、教誨師がいます。
私が、傾聴という言葉を知ったのは、大震災の時でした。

終末期医療、ホスピスでも、傾聴、スピリチュアルケアが取り入れられています。
アメリカの格付け機関が、身体医療の質に加えて、宗教的な相談を受けられる専門家の存在も求めていて、日本国内でも既に25か所の医療機関が認定を受けています。病院という世俗の場所に、宗教が求められています。

ところで、これらは、精神科医とどのように違うのか。宗教は、死やあの世について、語ってくれます。この項続く

現代の宗教事情

岩波書店「いま宗教に向きあうシリーズ」を紹介します。
その第1巻、堀江宗正編『現代日本の宗教事情 国内編I』(2018年)を読みました。

戦後の日本では、戦前の国家神道の反省に立って、かなり厳格な政教分離が貫かれています。さらに、宗教の話は、古くさい迷信だと思われたり、避けてとおる面もあります。初詣、地鎮祭、お葬式などで、習俗に近い形では広く受け入れられています。
しかし、人類は大昔から、形は違え、宗教とともに暮らしてきました。また、熱心に信じている人たちもいます。世界では、なお、宗教に起因する戦争も続いています。

私は、社会の安定機能としての宗教に、関心を持っています。人類はいろんな不安を持っていました。しかし、現代になって、飢餓、貧しさ、戦争、略奪などを克服し、多くの病気も治せるようになりました。すると、心の不安が大きくなります。孤立、いじめ、メンタルヘルスなどなど。古代から、宗教が、悩める人たちに心の平安を与えてくれました。
また、大震災の際には、遺族から「お葬式を出して欲しい」という要望がありました。また、親しい人を亡くしたことや、大災害に遭ったことで、心の悩みの相談が課題になりました。宗教は、この悩みに答えてくれる存在です。傾聴活動もしてくださいました。

今後、どのように、心の問題と取り組むか、宗教をどのように位置づけるか。社会の問題であり、行政も避けて通れない問題です。現状がどうなっているかを知りたくて、この本を手に取りました。いや~、知らないことばかりで、勉強になります。
この項続く

日本社会を変える働き方改革

4月1日から、働き方改革の法律改正のいくつかが適用されます。3月25日の日経新聞夕刊「働き方ルール どう変わる? 」が、わかりやすい解説をしていました。
働き方改革にはいくつもの項目があるのですが、特に大きいのは「残業時間の規制」と「同一労働同一賃金」でしょう。これが日本の職場や労働慣行を変えることになると、期待しています。

残業規制は、長時間労働をなくすためのものです。これまでの働き方を変えないと、この規制にひっかかる職場は多いのではないでしょうか。これをきっかけに、長時間労働が減り、効率が上がると良いのですが。

もう一つの、同一労働同一賃金は、正規と非正規の格差を是正することになるでしょう。
・・・同じ企業の中で同じ質と量の仕事をしているならば、年齢や性別などの違い、そして正社員やパートなど雇用形態の違いに関係なく、同じ額の賃金を払わねばならないという原則です・・・
・・・雇用者全体に占める非正規の割合は18年の平均で38%になります。また非正規の平均年収は17年で175万円と、正社員の35%の水準です。そこで能力や経験が同じであれば正社員と同一の基本給を支給するなど、待遇差を縮小することにしたのです・・・

ボストン市民社会の文化人類学2

ボストン市民社会の文化人類学」(渡辺靖著『アフター・アメリカ』)の続きです。P239以下に、「居場所の喪失」が書かれています。

ボストン・ブラーミンとボストン・アイリッシュという2つの集団。彼らの生活を支えていた「居場所」の感覚が、戦後急速に希薄になります。
ブラーミンは、経済的社会的特権地位を低下させることによって。アイリッシュの方は、経済的社会的に上昇することによってです。かつての区切られた地域から出て、他の地域に住むことや、他の社会集団と結婚することが、それを加速します。
それぞれの集団の中で助け合い、他方で他の集団とは交わらずに暮らしていた人たちや家族が、個人主義が進むことで、その結束が崩れていくのです。
「日本は欧米に比べて家族主義(家族の束縛)が強く、個人主義が育っていない」という主張がありますが、個人主義と思われるアメリカでも、結構そうではないのです。

とはいえ、人間は一人で、無色透明な空間に生きているのではないことを、再認識します。