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社会

自信過剰の時代から自信喪失の時代へ

6月21日の朝日新聞オピニオン欄、暉峻淑子さんへのインタビューから。
・・・ バブルの最盛期に出版した著書「豊かさとは何か」で、「日本は豊かさへの道を踏み違えた」と警鐘を鳴らした暉峻淑子さん。「画一的モノサシで優劣をきめ、敗者を排除していく社会の流れ」に抗したいと訴えた。あれから30年余。96歳の経済学者の目に、日本社会はどのように映っているのだろう・・・

――いまの若者は、バブルの時代を知りません。いまや、日本の名目GDP(国内総生産)はドイツに抜かれて4位。IMF(国際通貨基金)の調査では2023年の1人当たりのGDPは34位です。
「当時はモノとカネがあふれた絶頂期。日本の1人当たりのGNP(国民総生産)がアメリカを追い越した時代でした。自信過剰で、あふれたカネは株と土地の投機に流れ、地価が暴騰。その後、バブルは崩壊し、不良債権の後始末に苦しむことになります。この国の政治は、お金を教育や社会保障といった社会の共通の土台を築くために使ういいチャンスをみすみす逃してしまった」
「バブルが自信過剰の絶頂期だったとすれば、いまは逆に、自信喪失の時代です。『失われた30年』という言葉に象徴されていますね。でも、変わっていないものがあります。それは『生き生きとした人間の活力が戻ってくるような社会』になっていないということ。19世紀のドイツの経済学者エルンスト・エンゲルが、本当の富は国民の生活水準で表される、と言っています。『豊かな生活』はますます遠のいています」

――具体的には?
「例えば、労働時間は相変わらず長く、社会保障も削減される一方です。新自由主義によって非正規労働が広がり、フリーランスや、ギグワークなど生活の計画を立てられない働き方が多くなりました。偏差値重視の教育もそう。私たちの意識の画一化、つまり権力を持つものになびきやすいという特徴も変わっていません」
「多数の人々が、競争社会の中で認められたい、いい地位についてお金持ちになりたいっていう、一つの価値になびいている。経済価値優先に目を奪われ、人権や個人の尊重という大切な価値を置き去りにしたままなのです」

不安な未来より過去の縁

6月18日の朝日新聞オピニオン欄「サヨナラができない」から。
・・・「サヨナラだけが人生だ」という言葉がある。その通りと思ってきた。だが、スマホ1台で地球の果てまで「つながり」に追跡される時代は、「サヨナラできないのが人生だ」なのかも。

「不安な未来より過去の縁」 土井隆義さん(社会学者)
かつて若者の交友関係は、中学、高校、大学へと進学するに連れ、入れ替わっていくのが常でした。でも今は違っているようです。高卒で就職した同窓生と会って遊んでいる大学生はよく目にしますし、中学時代の仲間も「同中(おなちゅう)」と呼んで大切にしています。
近年は生まれた土地の人間関係がずっと維持されて、生活拠点が変わっても付き合いが消滅することはあまりありません。惜別と出会いで関係が更新された時代とは異なっています。

交友関係が入れ替わらない理由に、LINEのようなツールの浸透があるのは事実でしょう。しかし彼らの心理として、新しい関係を作ることへの不安が大きいのもまた事実です。
1990年代から2000年代にかけての日本では、ネットの発達にとどまらない大きな変化が起きています。1人当たりのGDP(国内総生産)も実質賃金も上昇から横ばいへと転じ、右肩上がりの時代が完全に終わったのです。
かつての若者にとって、未来とは目前にそびえる山のようなものでした。努力して登れば、一段高い自分になれると信じられた。しかし今の若者には、未来は平坦な高原としか映っていません。しかも霧がかかっているし、下りもあるかもしれないと感じてしまう。

「大学生の生活と意識に関する調査」(20年)では、「日々の生活で考えていることは」の質問の回答で、「よりよい未来を迎えられるよう」が約17%に対し、「過去を振り返りながら」が約30%と大幅に上回っていました。
積極的に未来へ目を向ける若者もいます。しかしそこでも「これから」の不安を減じる保険であり、時には命綱となるのが「これまで」の人間関係です。
一番安心できるのは血縁で、どの調査でも近年は家族を大切に思い、両親を尊敬する若者が多数派です。生まれた地域に今後も住み続けたいと答える者も多い。幼少期から同じ環境で気心の知れた仲間が「これから」の資産なのです。
血縁や地縁のような、かつて多くの若者が「しがらみ」と感じて嫌い、抜け出したいと願った「枠組み」に、むしろ積極的に包摂されることで安心感を得たいと思うのが今の若者です・・・

生涯子なし女性、日本突出

6月21日の日経新聞に、「生涯子なし女性OECDで最多 75年生まれ女性の28%」が載っていました。

・・・経済協力開発機構(OECD)は20日、1975年生まれで子どものいない女性が日本では28.3%と、比較可能な26カ国で最多だったとする報告書をまとめた。55年生まれで子どもがいない女性の割合と比べて16.4ポイント上昇しており、日本の増加幅が最も大きかった。
OECDの報告書は「出生率の維持にはジェンダー平等や仕事と育児の公平な分担を進めることが最も有効だ」と言及した・・・

1955年生まれだと11.9%でした。20年間に16.4ポイント上昇しています。
記事に、1955年生まれと1975年生まれの、各国対比の表がついています。この間に、アメリカを除く各国で増えています。1955年生まれだと、各国が10~15%程度だったのですが、1975年生まれでは15~25%程度です。日本が突出しています。

女性の社会進出と意識の変化に、社会の仕組みと社会の意識の変化が追いつかなかったからでしょう。この30年の社会の変化がいかに激しかったかを、反映していると思います。連載「公共を創る」の論点の一つです。

ミスター××

先日の朝日新聞に「ミスター復興」と書いてもらって、喜んだのですが。
「ミスター××」って、男社会の言葉ですよね。「ミスタージャイアンツ」はまあいいとして。
私が女性だったら、どう表現したのでしょうか。「ミス復興」だと、美人コンテストを想像する人もいるでしょう。ミセスもいますよね。
そして、これもカタカナ英語ですよね。

SNSって何のこと

先日「DBSってわかりますか」を書きました(以下の文章は以前に書いて放置してありました)。

SNSとよく聞きますが、あなたは意味はわかりますか、説明できますか。恥ずかしながら、私はできません。
インターネットで調べたら、次のような説明がありました。「SNSはソーシャル・ネットワーキング・サービスを略した言葉。和製英語。英語ではsocial mediaと呼ぶ」。
へえ、SNSって日本語なのですね。インターネットのオックスフォード辞書で調べてみました。”No exact match found for “SNS” in English”でした。

で、肝心の意味についてです。NHK for schoolでは、「SNSとはソーシャルネットワーキングサービスの略で、インターネット上で交流できる仕組みです。 TwitterやFacebook、Instagramなど、使う人の用途によってさまざまな種類がありますが、共通した特徴は他の人と繋がり、情報を共有できることです」とあります。
私は、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムも使わないので、よくわからないのですが。「他の人と繋がり、情報を共有できること」なら、電子メールを複数人でやりとりするも含まれてしまいます。もう少し説明が必要だと思います。

ところが、英語のウィキペディアには「Social networking service」という項目があります。そこでは、ソーシャル ネットワーキング サイトの定義が書かれています。機械に日本語に訳してもらうと「オンラインソーシャル メディアプラットフォームの一種で、人々が同様の個人的またはキャリアの内容、興味、活動、背景、または現実を共有する他の人々とソーシャル ネットワークや社会的関係を構築するために使用します」とあります。これもわかりにくいですが、ソーシャル ネットワーキング サイトの定義として「オンラインでさまざまな種類のコンテンツを交換するために連絡先ネットワークの構築を容易にする Web サイト」と書かれています。これがわかりやすいかな。

もう一つ知りました。contentの和訳をインターネットで調べたら「コンテンツ」と出てきます。そしてコンテンツは、「インターネットやテレビ、紙などのメディアを通して伝えられる情報内容のこと」だそうです。では、Webを日本語にしたら・・