「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

明るい日本に、誰がするのか

ところで、マスコミや識者が、しきりに「日本は暗い」「先行きが見えない」とおっしゃいます。近年の、はやり言葉です。しかし、私は、これが日本を暗くしている原因の一つだと、考えています。
もちろん、社会や政治の問題を指摘するのが、その人たちの仕事です。でも、悲観的なことばかりを言っていても、事態は好転しません。そして、良い面を取り上げずに、バランスを欠いた問題指摘は、国民に間違ったメッセージを送ります。
日本の経済が停滞していることは、事実です。しかし、世界第2位の経済力を持ち、中国に抜かれても第3位です。一人当たりGDPはかつての第2位から低下しましたが、なお19位です。他国と比較するなら、日本のどこが優れていて、どこが劣っているのか、そして何をすべきかを議論すべきでしょう。
現在の日本の不況は、外需とともに、内需の弱さによります。国民が多くの金融資産を持ちながら、消費をしないのです。それは、先行きが不透明と思っているからでしょう。悲観論は、それを、ことさらにあおっているのです。
自由、平等、安全、健康長寿、清潔、便利さ、社会資本、努力が報われるといった面で、日本は世界最高水準の国です。もちろん理想と比べれば、足らないところもあります。でも、そんなにだめな国なのでしょうか、日本は。
つい10数年前まで、ナンバーワンの国と自信を持ちながら、突然真っ暗かのようなことをいう。日本人も日本社会も、その間に、突然変異などしていません。自虐的な評論の方を、疑うべきです。
子育てをする時に、子どもの欠点ばかりを指摘するのが、良い子育てでしょうか。欠点は指摘しつつも、長所を褒める。褒めることが、子育てや部下育てのコツでしょう。
昨日の大晦日、久しぶりに、NHKテレビの「紅白歌合戦」を見ました。ごらんになった方も多いと思います。若い歌手の元気な歌と踊りを、どう思われましたか。
日本は、まだまだ捨てたものではありません。「今どきの若い者は・・」という言葉より、「いつも評論家は・・」という言葉の方が、当たっているかもしれません。批判と欠点の指摘ばかりを繰り返し、悲観論をまき散らす評論家は、やめにしませんか。
コップの水を見て、「もう半分しかない」とみるのか、「まだ半分ある」とみるのか、という議論があります。前者は、財産を食いつぶしつつある2代目の繰り言であり、後者は、次なる挑戦をしようとする前向きの姿勢でしょう。
悲観論だけでは、何も生みません。もちろん、裏付けのない楽観論も、空虚です。「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」は、フランスの哲学者アランの言葉だそうです。

現代の飲む・打つ・買う

企業のコンサルタントの方に教わった、小話です。
かつての企業経営者には、飲む・打つ・買うを好きな人が、多かった。酒を飲む、ばくちを打つ、女を買う。現在の経営者も、のむ・うつ・かうを好むのは同じである。ただし、のむは、サプリメントを飲むこと。うつは、鬱。かうは、ペットを飼う、だそうです。
体調を優先して、サプリメントを飲む。お酒を飲んで身体をこわすのと、大違いです。うつが鬱なのは、わかりますね。悩みが多いのでしょう。ペットを飼うのは、家族に相手にしてもらえず、寂しさを紛らわせるためだそうです。う~ん。

弱い者が発展する、続き

昨日書いた「弱い者が発展する」に、何人かの人から、反応がありました。予想していたのですが(苦笑)。
「その前に、飢え死にしてしまいます」「それは、運のいい人だけです」などなど。
でも、今の部署にしがみついていながら、「発展がない」なんて不満を言わないでください。また、追い出されて発展した人を、やっかまないでください。安住に発展なし。ローリスク・ローリターン。冒険に、発展あり。ハイリスク・ハイリターン。

弱い者が発展する

吉村仁著「強い者は生き残れない-環境から考える新しい進化論」(2009年、新潮選書)を読みながら、かつて議論した次のようなことを、思い出しました。この本の内容からは、ずれるのですが。
強い者と弱い者の、どちらがその後、発展するかです。条件が変わらなければ、当然、強い者が勝ち残ります。しかし、同じ条件や環境は、長くは続きません。すると、弱い者が次の時代の勝者になるのです。
暮らしやすい森を追われた哀れな猿が、その後、人類に進化しました。森に残った強い猿は、そこで進化を止めました。追い出された方は、二本足歩行を始め、様々な生き残り戦略を、工夫しなければなりませんでした。
ヨーロッパで暮らしにくかった人、食っていけなかった人は、新大陸に追い出され、そこで今日の発展を作り上げました。
NHK朝の連続ドラマ「おしん」では、兄は家に残り貧しい農家のままでした。口減らしに追い出されたおしんは、努力して豊かになりました。
資源に恵まれなかった日本は、技術を発展させ、経済大国になりました。日本よりはるかに資源に恵まれた国は、そんなことをしなくても豊かでしたが、技術は日本より後れました。
弱い者が、従来の場所を追い出されます。そして、次の場所は、必ずしも暮らしやすい場所ではありません。条件が良い場所ならば、強い者が先に行くはずです。そして、その条件の悪い場所で、適応し、能力を伸ばした者が、発展するのです。会社や組織でも、同じような例はたくさんあるでしょう。会社や学問にあっては、従来の場所はそのうちに飽和します。新天地を開拓しない限り、次なる発展はないのです。
もちろん、追い出された者が、すべて成功したわけではありません。努力とともに、運も必要でしょう。

社会保障制度、前提とした社会の変化

17日の日経新聞経済教室は、貝塚啓明先生の「構造変化への対応遅れる社会保障」でした。1950年代、60年代に設計された日本の社会保障制度が、日本社会の変化によって現実にそぐわなくなっていることを、簡潔に整理した論文です。
当時は人口も経済も右肩上がり、終身雇用制や年功賃金制を前提としていました。今は、経済は停滞し、少子高齢になり、非正規雇用が多くなりました。
介護保険は、その社会の変化に対応するためにつくられたものです。しかし、健康保険や年金制度は、財源と給付の前提が大きく変化しました。これについては、少しずつ手直しを、してきています。しかし、生活保護が大きな機能を期待されることは、この近年のことです。
詳しい内容と改革の方向は、原文をお読みください。