「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

現代の飲む・打つ・買う

企業のコンサルタントの方に教わった、小話です。
かつての企業経営者には、飲む・打つ・買うを好きな人が、多かった。酒を飲む、ばくちを打つ、女を買う。現在の経営者も、のむ・うつ・かうを好むのは同じである。ただし、のむは、サプリメントを飲むこと。うつは、鬱。かうは、ペットを飼う、だそうです。
体調を優先して、サプリメントを飲む。お酒を飲んで身体をこわすのと、大違いです。うつが鬱なのは、わかりますね。悩みが多いのでしょう。ペットを飼うのは、家族に相手にしてもらえず、寂しさを紛らわせるためだそうです。う~ん。

弱い者が発展する、続き

昨日書いた「弱い者が発展する」に、何人かの人から、反応がありました。予想していたのですが(苦笑)。
「その前に、飢え死にしてしまいます」「それは、運のいい人だけです」などなど。
でも、今の部署にしがみついていながら、「発展がない」なんて不満を言わないでください。また、追い出されて発展した人を、やっかまないでください。安住に発展なし。ローリスク・ローリターン。冒険に、発展あり。ハイリスク・ハイリターン。

弱い者が発展する

吉村仁著「強い者は生き残れない-環境から考える新しい進化論」(2009年、新潮選書)を読みながら、かつて議論した次のようなことを、思い出しました。この本の内容からは、ずれるのですが。
強い者と弱い者の、どちらがその後、発展するかです。条件が変わらなければ、当然、強い者が勝ち残ります。しかし、同じ条件や環境は、長くは続きません。すると、弱い者が次の時代の勝者になるのです。
暮らしやすい森を追われた哀れな猿が、その後、人類に進化しました。森に残った強い猿は、そこで進化を止めました。追い出された方は、二本足歩行を始め、様々な生き残り戦略を、工夫しなければなりませんでした。
ヨーロッパで暮らしにくかった人、食っていけなかった人は、新大陸に追い出され、そこで今日の発展を作り上げました。
NHK朝の連続ドラマ「おしん」では、兄は家に残り貧しい農家のままでした。口減らしに追い出されたおしんは、努力して豊かになりました。
資源に恵まれなかった日本は、技術を発展させ、経済大国になりました。日本よりはるかに資源に恵まれた国は、そんなことをしなくても豊かでしたが、技術は日本より後れました。
弱い者が、従来の場所を追い出されます。そして、次の場所は、必ずしも暮らしやすい場所ではありません。条件が良い場所ならば、強い者が先に行くはずです。そして、その条件の悪い場所で、適応し、能力を伸ばした者が、発展するのです。会社や組織でも、同じような例はたくさんあるでしょう。会社や学問にあっては、従来の場所はそのうちに飽和します。新天地を開拓しない限り、次なる発展はないのです。
もちろん、追い出された者が、すべて成功したわけではありません。努力とともに、運も必要でしょう。

社会保障制度、前提とした社会の変化

17日の日経新聞経済教室は、貝塚啓明先生の「構造変化への対応遅れる社会保障」でした。1950年代、60年代に設計された日本の社会保障制度が、日本社会の変化によって現実にそぐわなくなっていることを、簡潔に整理した論文です。
当時は人口も経済も右肩上がり、終身雇用制や年功賃金制を前提としていました。今は、経済は停滞し、少子高齢になり、非正規雇用が多くなりました。
介護保険は、その社会の変化に対応するためにつくられたものです。しかし、健康保険や年金制度は、財源と給付の前提が大きく変化しました。これについては、少しずつ手直しを、してきています。しかし、生活保護が大きな機能を期待されることは、この近年のことです。
詳しい内容と改革の方向は、原文をお読みください。

近代日本の成功・本人の努力と環境の幸運と

近代日本が驚異的に成功した理由には、日本自身の努力(国民の努力と政府の舵取りが良かったこと)があります。しかし、日本の努力だけでは、こうも成功しなかったのではないかというのが、わたしの考えです。その際の、日本を取り巻く条件(国際的な条件)も、大きかったということです。
戦後の高度成長は、日本の努力だけでなく、競争相手がいなかった、追いかけてくる相手がいなかったことが、大きかったのです。アジア各国はそれぞれの事情で、日本を追いかけることができませんでした。それ故に、日本だけが先進国を追いかける利益を独占しました。1990年代になってアジア各国が追いかけてくるようになると、日本経済の優位性は、弱くなりました。このことは、何度かこのHPで書きました。
もっとすごかったのは、明治維新から日露戦争までです。東洋の島国が30年間で列強と伍するまでになるという、世界の歴史でもまれに見る大成功でした。維新の英雄たちの活躍がなければ、この成功はなかったでしょう。しかし、このときも、国際条件が幸いしました。
アメリカは南北戦争で忙しく、イギリスとフランス、ロシアは、クリミヤ戦争で忙しく、日本にかまっていられなかったのです。あの列強諸国が、侵略の手を控えた時期、19世紀後半に日本は、世界にデビューしたのです。アジア各国は、列強の支配や影響に悩みましたが、日本だけが、違う道を歩むことができました。日本が中国などと比べ、富国強兵・殖産興業につとめたことは、評価されるべきでしょう。しかし、ペリー来航が1800年だったら、どうだったでしょうか。もちろん、アメリカの事情で、そんなことはありえませんでしたが。
近代日本の歴史で、この二つの時期、19世紀後半と20世紀後半の日本の驚異的成功は、日本だけでなく、世界の歴史として記録されるでしょう。しかし、もしその時期が半世紀だけ、前か後にずれていたら、これほどの成功はなかったでしょう。
勝者は成功を自分の功績としたがり、敗者は責任を他者に負いかぶせたがります。真実は、しばしばその中庸にあります。あるいは、視野の外にあります。