1月9日の朝日新聞経済欄で、韓国がカンボジアやラオスで、証券取引所の売り込みをしていることを伝えていました。市場経済の重要なインフラである証券取引の仕組みを、教えるのです。
新興国にとって、もの作りを輸入するだけでなく、経済や社会の制度・インフラを輸入することも重要です。日本も明治以来、たくさんの制度を欧米から輸入しました。典型が、法律や行政の仕組みです。
日本も先進国になったので、アジアなどの新興国のお手伝いをすることが、期待されています。法務省が、カンボジアなどでの法整備に協力していることが有名です(参考文献、松尾弘著『良い統治と法の支配-開発法学の挑戦』(2009年、日本評論社)など)。また、JICA(国際協力機構)が、いろんな技術援助をしています。
少し視野を転じて、先進国を含めた世界への社会インフラの貢献となると、あまり思いつきません。かつて、日本が先進国に「輸出」した法律の例として、迷惑メール防止法を教えてもらったことがあります。アメリカの国会議員が、日本に勉強に来たのです。他に、何かありますかね。
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スウェーデン、日本と違う社会の成り立ち
先日、高岡スウェーデン公使の著作『日本はスウェーデンになるべきか』を紹介しました。「一つのモデル、スウェーデン」(2010年12月28日の記事)。そこでは、スウェーデン社会の奥底にある、社会と個人のあり方についての考え方(高岡さんの表現では「本質」)が、日本とかなり違うことを紹介しました。高岡さんの説を、もう少し紹介しましょう。この本では、4つの違いを挙げておられます。
1つは、自立した強い個人です。厳しい気候風土の中で、子供も女性も高齢者も障害者も、自分でできることは自分でやる。そして本当に世話になる必要がある時は、公的セクターが支援するのです。自分で運び自分で組み立てる、家具屋のイケアも、この現れだそうです。家具の配送に関する興味深い経験談も、書かれています。
2つめは、決まりを守るスウェーデン人です。路上駐車の例などが書かれていますが、これに比べれば、日本人は決まりを守っていませんねえ。
3つめは、透明性です。情報公開、個人番号など、なるほどと考えさせられることが書かれています。
4つめは、国境を越える連帯です。
自立した個人は、一見冷たい社会に聞こえます。しかし、決して他人に無関心ではないのです。その逆で、援助の必要な人には、みんなで手を差し伸べる。社会も国家もです。それと比較すると、日本は、これまで地縁、血縁、社縁で助け合っていたので、その機能が弱くなると助け合いや連帯が少なくなったのでしょう。またそれは、「身内」には親切ですが、「ソトの人」には冷たい社会でした(山岸俊男著『信頼の構造』1998年、東大出版会)。もちろん、スウェーデン社会も、すべてを手放しで喜べるものではないでしょうが。
高岡さんの本は、スウェーデンと日本の、社会の成り立ちの違い、その上にある制度の違いを、わかりやすく解説してあります。経験談や数値も豊富で、なるほどと納得します。スウェーデン型国家を目指すにしても、違う道を取るにしても、日本の未来を考える際に有益です。
ところで、高岡さんは、イラン公使に転任になりました。新任地でのご活躍を、お祈りします。
一つのモデル、スウェーデン
高岡望スウェーデン公使が、『日本はスウェーデンになるべきか』(2010年、PHP新書)を出版されました。高岡公使は、約10年前に省庁改革本部で一緒に仕事をし、ご苦労をかけました。全省庁を対象とした改革だったので、外交官である彼も、参加してくれたのです。
日本では、かつてスウェーデンは、福祉の先進国としてお手本とし、あるいは国連平和協力の先進国として視察先の一つでした。実は、地方分権の進んだ国でもあります。リーマン・ショック後、市場重視型経済モデル・「小さな政府」に疑問符がつき、高負担高福祉・「大きな政府」のスウェーデンが脚光を浴びています。
しかし、制度を輸入しただけでは、スウェーデン型の社会には、なれないようです。高岡公使は、スウェーデンの生き方の、より深いところにある「スウェーデンの本質」を、この本で論じておられます。2年間、彼の地で暮らした経験からの、考察です。先日までは、ノーベル賞授賞式の対応に追われておられたとのことです。今は、氷点下の寒さだそうです。
PHP新書は、たいがいの本屋に並んでいるので、ぜひご覧下さい。
都市の人間関係の変化
高澤紀恵著『近世パリに生きる-ソシアビリテと秩序』(2008年、岩波書店)が、興味深かったです。
16世紀から18世紀にかけてのパリが舞台です。ソシアビリテ(人と人との結合関係)に注目し、都市の社団(住民の集まり)が様々な都市機能を担っていたのが、徐々に王権に組み込まれていく過程を描いています。近世パリにおける都市社団は、街区や教区という近隣関係、あるいはギルドという職業集団です。それが、治安、防衛、徴税、ごみ処理などの機能を果たしていました。代表者を選び、自らの負担と奉仕で、処理していたのです。しかし、次第に王が任命する官職と組織に取って代わられます。それら機能の主体でもあった住民は、統治の客体に転化するのです。
都市のソシアビリテという観点からの、都市統治・都市自治論です。政治史では、法令や制度から見た政治と行政が主ですが、それでは実際の姿が見えてきません。一方、権力者の伝記や市井の住民の日記による歴史研究もありますが、それにも限界があります。社会的な機能を果たす人間関係から見ることは、極めて有意義ですが、資料から検証するには大変な困難があります。この本は、それに成功しています。
類書に、結社の世界史シリーズ(山川出版)、第3巻福井憲彦編『アソシアシオンで読み解くフランス史』(2006年)などがあります。こちらは買ったまま、積ん読状態になっています。反省。
自由の国の不安、アメリカのデモクラシー
渡辺靖著『アメリカン・デモクラシーの逆説』(2010年、岩波新書)が、勉強になりました。渡辺教授は、文化人類学者です。社会学から見たアメリカ政治とアメリカ社会論です。自由と自助(自己責任)を信奉する国民、自らの出世や富を求め激しい競争を続ける国民、そして課題を解決するために結社をつくり政治を動かす国民。そのエネルギーが今日のアメリカをつくり、世界の憧れとなってきました。しかし、その一方で、格差、差別、対立も生んできました。自由が行き着いた先の、孤独な個人主義もです。
教授は、ジョセフ・デュミット教授の論文を紹介し、新しい病が増えていることを指摘されます。米国精神医学会による『精神疾患の診断・統計マニュアル』で見ると、1986年に182だった分類は、1994年には294へと細分化され、病が増えているのだそうです。国立健康統計センターの報告(2007年)では、情緒・行動面で問題があると親に見なされた就学年齢の子ども(4~17歳)は、14.5%にもなります。うち3分の1が処方薬の治療を受け、ほぼ同数がカウンセリングなど処方薬以外の治療を受けています。国立精神衛生研究所の報告(2004年)では、18歳以上のアメリカ人の4分の1以上が、精神疾患を患っているとしています。
渡辺教授は、「今日の新自由主義的な文化や制度のもとでは、自らの精神性や身体性という、個人に最も直近なはずの領域でさえ、自らの責任や判断によって統治・所有することが困難になっているという逆説に他ならない」と述べておられます。
自由と豊かさにおいて、日本はアメリカの後を追いかけてきました。日本社会は、このような事象も後追いするのでしょうか。