カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

長谷川貴彦著『イギリス現代史』

長谷川貴彦著『イギリス現代史』(2017年、岩波新書)が、勉強になりました。
かつて、近藤康史著『分解するイギリス―民主主義モデルの漂流』(2017年、ちくま新書)を紹介しました(2017年7月2日)。後者は、民主主義の母国イギリス政治の変容を分析した本です。前者は、第2次大戦後のイギリスを、首相と政党・その政策の変化によって説明した本です。
ただし、狭い政党政治の世界だけでなく、それを生みだした社会の変化、あるいはその政策が変えた社会を説明しています。戦後の福祉国家とケインズ政策から、サッチャー首相に代表される新自由主義、そしてその延長としてのブレア首相の「第三の道」。二大政党制の機能不全。

社会は、経済成長を続けつつも、アメリカの台頭と帝国の解体による栄光の低下、ポンドの価値の低下が続きます。イギリス病とサッチャリズム。製造業から金融情報業への転換。リーマン・ショック。上流階級と労働者という階級区分が、中間層の増加で薄くなり、他方でアンダークラスと呼ばれる漏れ落ちた白人層が生じ、製造業の衰退は活力のない地域を生みます。移民の増加も、社会を変えていきます。既成秩序に異議を申し立てる若者、パンクロック。スコットランド独立運動、北アイルランド問題。
社会の亀裂、地域の分裂。それを、政治がどのように扱っていくのか。やはり、イギリスは一つのお手本です。

イギリス社会の変化を分析した本としては、アンドリュー・ローゼン著「現代イギリス社会史、1950-2000」(2005年6月、岩波書店)を紹介しました。これも、伝統と秩序の国が大きく変化したことを、様々な分野から分析しています。

本書は、新書という制約の中で、というか新書という形の故に、わかりやすい時代区分と、鮮やかな切り口で、イギリス社会と政治の変化を説明してます。分厚い本より、この方がわかりやすいですよね。もちろん、大胆に特徴づけ分析するのは難しいことです。
戦後の日本社会、あるいはもう少し時期を絞って高度成長期以降の日本社会の変化を、簡潔に分析した本はありませんかね。社会がどのように変わったか、その際に経済や政治がどのように関与したかです。そこを、どのような角度から切り取るか。そこに、筆者の力量が示されます。

建築から見る日本の政治

東大出版会のPR誌『UP』9月号の、隈研吾さん執筆「心と体の建築へ―『もがく建築家、理論を考える』に寄せて」が、勉強になりました。
戦後日本の建築家と建築様式の歴史ですが、私は、政治学として読みました。日本が欧米に追いつくために国家を挙げて取り組んだこと、追いついたこと(バブル崩壊)でその仕組みが限界だと分かったこと、次の仕組みを模索していることです。それが、建築様式・建築家の代替わりとして説明されています。非常にわかりやすい分析です。原文をお読みください。

日本の建築の世界で、隈さんは第4世代の建築家と呼ばれます。第1世代は丹下健三や前川国男らで、東大建築学科の出身です。彼らは戦後建築界を担い、モダニズム建築(コンクリートと鉄でできた工業化社会の建築様式)の第1世代でした。
欧米では、モダニズムの巨匠、コルビュジエ、ライトらは、20世紀の初頭に登場します。国家的正統な建築教育を受けず、19世紀までの建築様式を批判して新しい流れを作ります。それまでの主な発注者が国家だったのに対し、20世紀の工業化の主役である民間向けの建築へと転換するのです。権威主義的で装飾のある建物から、効率優先の建物に変わります。

「一方日本は、欧米が先行した工業化を国家のイニシャティブによって一日も早くキャッチアップしなければならなかった。かくして、東大卒が、その主役を務めるなりゆきとなったのである」。
そして、日本と自民党政権が、国家による公共工事によって、工業化と経済活性化を進めたこと。欧米各国のような、二大政党によるイデオロギー対立(階級対立、大きな政府か小さな政府か)は、日本にはなかったこと。代わりに、地方間の税金の取り合い、公共工事の奪い合いのバトルがあり、その調整作業が自民党政治であったと、指摘します。

本論では、この後、第2世代以降の紹介が続きます。
「この前後日本のOSの恩恵を最も受けたのが」第2世代の建築家、槇文彦、菊竹清訓、磯崎新、黒川紀章でした。この戦後日本のシステムは、バブル経済の崩壊によって、限界を露呈し、それに変わるシステムを模索するのが、第3代4世代の建築家の主課題になりました。一つの回答が、海外に飛び出していくことでした。
しかし、その「日本への無関心、無責任」「日本を捨てて、忘れたフリ」は、3.11の大災害と東京オリンピックで状況が変わります。

「1964年の東京オリンピックが、戦後日本システムを見事にヴィジュアル化して世界に提示したように、2020年のオリンピックは、大災害後、原発後の日本をはっきりと具体的に世界に見せなければならない。それができなければ、もはや建築も、建築家も、世の中から用がないものとして、忘却されるに違いない・・・
・・・それは19世紀から20世紀にかけて、建築が経験した大転換、国家から民間へ、美から効率へという大転換以上の、大きくて根本的な転換を覚悟しろということである」。

建築家の役割を通して提示された、日本社会が直面している大きな課題です。政治家と官僚はその第一の責任者です。原文の「それができなければ、もはや建築家も・・」という指摘は、私たちにこそ当てはまります。

幕末の天皇

藤田覚著『幕末の天皇』(2013年、講談社学術文庫)が勉強になりました。近代の天皇制を理解するには必須の本だと、書評で書かれていたので、手に取りました。
江戸時代、それ以前から、天皇・朝廷は権威は持ちつつ、権力は持ちませんでした。そもそも「天皇」という呼び名も、長く途絶えていたのです。権威も、徳川幕府に押さえ込まれた形での権威です。これは、多くの人が知っていることです。
では、どうして突然、幕末に天皇の権威がさらに上昇し、権力を持つにいたったか。そこに、光格天皇と孝明天皇の存在が大きいのです。著者は、冒頭に次のように書いています。
・・・なかでも孝明天皇は、欧米諸国の外圧に直面し国家の岐路に立ったとき、頑固なまでに通商条約に反対し、鎖国攘夷を主張しつづけた。それにより、尊皇攘夷、民族意識の膨大なエネルギーを吸収し、政治的カリスマとなった。もし、江戸幕府が求めたとおりに通商条約の締結を勅許していたならば、その後の日本はかなり異なった道を歩んだのではなかろうか。
たとえば、反幕運動、攘夷運動の高揚による幕府の崩壊とともに、幕府と一体化した天皇・朝廷もともに倒れ、その千数百年の歴史にピリオドを打つという事態も想定される。また、外圧に屈服した幕府・朝廷に対する反幕府反朝廷運動と、攘夷運動の膨大なエネルギーの結集核が不在のため、長期に内戦状態が続き、植民地化の可能性はより高かったのではないか・・・

知らないことが多く、何か所も「そうだったんだ」と驚かされます。また、「歴史のイフ」という視点から、事実を追いかけるだけの歴史学ではない、興味深い分析が書かれています。これだけの内容が、文庫本で読むことができるのです。お勧めです。

国民の一体性の崩壊

読売新聞7月31日の「論壇誌」(文化部・小林佑基)から。
・・・ジャーナリストの会田弘継氏は、政治学者の宇野重規氏との対談「ポスト真実時代の言語と政治」(『中央公論』)で、アメリカでは格差や不平等の進行で、かつて貴族と庶民の間にあったような、文化的な断絶が生じ始めているかもしれないと述べた。宇野氏も近年、国民は一体だという、国語によって作られた近代国家のストーリーが通用しなくなっていると指摘。国民の一体性を確認する言葉が嘘くさくなり、国内の他者への想像力も及ばなくなっているとした。大声の極論ばかりが称賛され、中庸の人々が沈黙することで、相手を説得しようとする言葉や、少しでも妥協できる基盤を作ろうという努力が失われたと嘆く・・・
原文をお読みください。

近代革命で、封建制の身分制社会を壊すことで、平等で自由な国民国家を作りました。熱狂的な革命を伴ってです。フランス革命やアメリカ独立革命から200年余り。国民国家は、耐用年数を迎えたのでしょうか。
西欧では経済発展が滞り、移民の流入が社会に分断を持ち込み、国民の一体性という神話が維持されにくくなりました。独裁国家ならずとも、自由主義・民主主義国家でも、何か「敵」を設定し、それへの戦いに国民を誘導しないと、一体性は保てないのでしょうか。
敵でなく、目標を掲げて国民を導くことで、社会の安定と一体性を保つことも、政治の役割でしょう。

企業と行政との協働

復興の過程で、企業の社会貢献が重要であると、指摘しました。拙著『東日本大震災 復興が日本を変える-行政・企業・NPOの未来のかたち』(2016年、ぎょうせい)。慶應大学法学部での公共政策論でも、一つの柱としています。

福島県庁が、意欲的に企業との協働に取り組んでいます。「企業等との包括連携協定」です。リンク先の具体事例をご覧いただくと分かりますが、地産地消、観光、地域の見守り、がん検診推進、森林づくりなど、多岐にわたり、またなるほどと思う事例が並んでいます。ご覧ください。
庁内各課にまたがるもの(企画調整課所管)
それぞれの課の所管分