「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

稲継先生の新著『シビックテック』

稲継裕昭・早稲田大学教授が『シビックテック』(2018年、勁草書房)を出版されました。
シビックテックとは聞き慣れない言葉ですが。副題に「ICTを使って地域課題を自分たちで解決する」とあります。

金沢市では、分別ゴミをいつ出せば良いかが、スマートフォンですぐにわかるアプリがあります。
奥能登地方には、「のとノットアローン」という子育て中の親を支援するアプリがあります。イベント、遊び場やお店の地図、信頼できる相談先などが載っています。
これらに共通するのは、ICT機能を使って、誰でも簡単に便利に使えること。市役所でなく、市民が主体になって作っていることです。

稲継先生は、これを「自動販売機モデル」(市民が税金を投入すると、サービスが出てくる。出てこない時は、自販機を叩く)から、市民が自分たちで地域の問題を解決する社会への転換だと主張されます。自販機モデルには、機械の中がブラックボックスで、市民からは見えにくいことも、含まれています。

ICTの発達によって、このような形での、市民による地域の問題解決ができるようになったのですね。
これまで市民参加というと、市役所への抗議行動、要請行動が主で、市役所と協働するとしても、審議会への参加、計画過程での参加でした。しかし、スマートフォンやパソコンを使って、「知りたい情報」を提供することが簡単にできるようになりました。
そして市民が知りたい情報は、市役所の仕事だけでなく、企業や地域が提供しているサービスなどもあります。これから、このような市民参加が広がることを期待しましょう。
もちろん、このような動きだけで、地域の課題がすべて解決するわけではありません。しかし、「地域の課題は市役所が解決してくれる」という通念を変えていくでしょう。

砂原先生の新著

砂原庸介教授が、『新築がお好きですか? 日本における住宅と政治』(2018年、ミネルヴァ書房)を出版されました。「何だろう」と疑問を持たせる書名ですね。

日本では、新築の持ち家が好まれます。若いうちはアパートや社宅に入っていても、最後は新築の持ち家を持つことが、「住宅双六」の上がりでした。家を建てることが、男子一生の夢でした。
では、なぜそのような意識が、国民の間にできあがったのか。政府が強制したのでも、誘導したのでもありません。政府の住宅政策はありましたが、必ずしも新築持ち家ではありません。住宅メーカーや工務店、不動産屋などが提供し、国民が選択した結果、できあがったものです。
教授は、これを「制度」として分析します。ここで制度とは、法律、共有されている規範、習慣など、個人の住宅選択を制約するものです。

私はこの本の主旨を、「戦後日本の住宅(新築持ち家志向)を対象とした、政治行政の政策と国民の行動の相関の分析」と理解しました。政府の政策と国民の意識が相まって、このような新築持ち家志向ができあがるのです。それを分析した本です。
江戸時代の町人が大家さんの長屋を借りて住んでいたこと、戦前でも夏目漱石が借家住まいをしていたことなど、新築持ち家は必ずしも日本の伝統ではありません。経済学からしても、新築持ち家が経済的とも思えません。それを支えたのが、「制度」です。

私は、「制度」を2つに分けて、理解しています。一つは狭い意味での制度です。 法律や規則など、明示的にルールと定められているもの。 政府が定めるものだけでなく、会社が(従業員向けに、顧客向けに)定めるものなども含みます。
もう一つは、国民が持っている「通念」です。規則として決められていないのですが、多くの国民がそれが良いと信じているものや、慣習です。これが、社会の運用や秩序を支えています。
法制度が国民に一定の行動を強制し、後者がそれを支える関係にあります。法制度がなくて、通念だけがある分野も多いです。冠婚葬祭などは、後者の部分が大きいです。

さて、この通念が続くのか、変わるのか。これについても、分析されています。
既に空き家が膨大な戸数になり、売れなくて負の遺産になっています。他方で、大都市での土地の値上がりで、戸建ても新築マンションも、サラリーマンには手の届かないものになっています。質の良いマンションもできています。
実は、この通念を支えてきた基礎には、土地についての神話(土地は最高の財産)と所有権絶対の意識があります。この部分が変わらないと、住宅についての意識は変わらないのです。でも、あれだけ執着された農地が放棄され、空き家(空き土地)も増えつつあります。この経済的変化が、通念を変えていくでしょう。
私は、変わると想像しているのですが。といいつつ、私も宅地を買い、戸建て住宅を建てました。

世界史の中の明治維新、そして150年。

東京財団の連載「明治150年を展望する」第5回は、「世界史と日本史のサイクル」でした。
1868年が世界史的にどのような時代であったかが、簡潔に述べられています。
当時、先進的な国民国家を実現していたのは、イギリスとフランスだけです。
日本が明治維新で近代国家への道を歩み始めたのが、1868年。ところが、西欧でも、同じような動きが進んでいたのです。ドイツが国家統一を成し遂げたのが、1871年。イタリア王国の成立が1861年、国家統一が1870年。アメリカが南北戦争で国家分裂を回避したのが、1865年でした。
日本史では、「アジアで唯一」という「日本特殊論」に自尊心をくすぐられて(それはそれで良いことなのですが)、世界で同様なことが起きていたことを忘れがちです。

連載でも指摘されているように、これら新興国が、先進大国イギリスとフランスに挑戦します。ドイツ、日本、イタリアは、戦争によってもです。
アメリカは、2度の戦争ではイギリス・フランス側につきますが、経済的に凌駕します。
(西)ドイツ、日本、イタリアは、第2次世界大戦で敗戦国になりますが、今度は経済で躍進し、アメリカを追います。
しかし、アジア各国がベトナム戦争後、特に中国が文化大革命後に、経済発展路線に転換し、追い上げてきます。そして、20世紀末から21世紀初頭にかけて(つい最近、そして今です)、これら先進国を脅かすようになりました。

この連載は、以前に紹介したことがあります。「東京財団、明治150年の分析」。その他の回も、お読みください。

イノベーション政策、政府の役割

6月15日の朝日新聞オピニオン欄、神里達博さんの「イノベーション政策 政府は「主導」より「対処」を」から。詳しくは、原文をお読みください。

・・・ 最近、「イノベーション」という言葉をよく耳にする。現政権においてもイノベーションは非常に重視されており、「第三の矢」とされる「成長戦略」においては、中心的な役割が与えられてきた。
イノベーションさえ起これば経済は成長プロセスに乗り、日本社会は再び活気を取り戻すはず。そんな漠然とした期待が広がっているようにも思う。しかし、それは確かなことなのだろうか。
今月は、この概念の本来の意味を確認した上で、近年の日本の「イノベーション政策」について、少し考えてみたい・・・

・・・ 一方、その過程やメカニズムについての学術的研究もなされてきた。その結果、イノベーションを管理するための知識も、ある程度は蓄積されてきた。だが、社会に強いインパクトを与えるようなイノベーションの多くは不連続的な現象であって、事前の計画や設計ができる類いのものではないことも分かってきた。
また、真に影響力の大きいイノベーションは、以下のような物語を伴うことも多い。少数のパイオニア、時には狂信的ともいえるような情熱を持った人たちが、世間の冷たい視線にもめげず努力を続ける。そしてついに成果を世に示す日が来る。人々は驚愕し、世界が変わる――この種のストーリーは当然、計画や設計にはなじまない・・・

・・・本来、科学技術政策と産業政策は別ものだが、最近は産業政策、特にイノベーション政策の手段のように科学技術政策が位置づけられることが目立っている。
実際、政府の科学技術政策の司令塔「総合科学技術会議(CSTP)」は、14年の内閣府設置法改正により、「総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)」に名称変更された。
加えて、閣議決定で設置された「日本経済再生本部」のもとに置かれた「産業競争力会議」の、さらにその中のワーキング・グループが、CSTIに対して「宿題」を出し、CSTIが対応するという、不思議な現象も起きているという。
これを「官邸主導」と呼べば聞こえはいいが、国会の議決に基づく、法的根拠のある行政組織が、閣議決定を根拠とする組織の「手足」のごとく走り回っているとすれば、問題ではないか。

これらは一部の例に過ぎないが、日本では他にも、すでにさまざまな政策が、イノベーションの名の下に動員されていく流れにある。それが本当に日本社会を豊かにするならば、一つのやり方かもしれない。だが、シュンペーターが指摘しているように、本物のイノベーションが起これば、それはしばしば既存のシステムの破壊を伴うということも、忘れるべきではない。
かつての通商産業省は、石炭から石油へのエネルギー革命に対処すべく、石炭対策特別会計を設け、石炭産業を安定化させ、離職者の生活を守ることにも気を配った。
行政の本来の仕事は、イノベーションを加速することよりも、その結果起こるさまざまな社会経済的なゆがみに対処することではないだろうか。結局のところ、政府はイノベーションという難題に、どのように、どこまで関わるべきなのか、いま一度、落ち着いて見つめ直すべき時だろう・・・

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロって、知っていますか。
ブルクハルト著『イタリア・ルネサンスの文化』 (1974年、中公文庫)を読まれた方なら、カバー表紙に出て来た、あの特徴ある横顔の人です。
15世紀、イタリア・ルネサンス期のウルビーノ公国の君主。傭兵隊長、屈指の文化人でルネサンス文化を栄えさせたことで有名です(ウイキペディア)。

ドイツの歴史学者による、『イタリアの鼻 ルネサンスを拓いた傭兵隊長フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ』(邦訳2017年、中央公論新社)を読みました。この本のカバーにも、同じ肖像画が使われています。槍試合で右目を失い、鼻の上が欠けているのも、そのせいです。彼が描かせた絵が常に左の横顔なのは、そのような理由がありました。

面白いです。「闘っては一度も負けず、とびきりの文化人で、領民にも優しい」というのが、彼の評判です。傭兵隊長として高額な「外貨を獲得し」、そのおかげで、領民から厳しく取り立てることがなかったようですが。
この本によれば、実際は、彼は兄弟を暗殺して領主になり、権謀術数を尽くして傭兵隊長として名を上げます。そして、その汚れた手を隠すためにも、有能な君主として見せるためにも、文化人として振る舞い、伝記作家にも「良いことばかり」を書かせます。戦争に負けても、「引き分けだった」とか「彼だからこのような結果で済んだ」と言うようにです。

中世イタリアは、大きく5つに分裂していました。教皇領、ナポリ、ベネチア、ミラノ、フィレンツェの5つです。それぞれが生き残るために、強いものが出てくるとみんなで叩きます。こうして、バランスオブパワーが保たれます。傭兵隊長としても、イタリアが統一されては困るのです。失業することになるのですから。
マキャヴェッリが、君主論を描く背景です。合従連衡、小競り合いは繰り返されますが、決定的な大戦争は回避されます。傭兵隊長に払うお金がなくなると、戦争は終わります。隊長にとって、部下の傭兵たちは重要な財産ですから、むやみに消耗させることはしません。闘うけれども、死者は出してはいけない。「大人」の世界です。
一般民からすると、その道のプロ同士がゲームをやっている、それを見物しているようなものでしょう。戦闘に巻き込まれると、えらい目に遭いますが。近代になって、国民が兵隊に取られるようになり、さらに現代になって、総力戦になって非戦闘員も戦闘に巻き込まれるようになりました。当時の戦争と現代の戦争は別物です。

このような社会(一定の枠の中の競争)が続くと、いろんな結果が生まれます。戦闘による競争とともに文化による競争、権謀術数の知恵とワザ。君主、軍人、文化人、建築家・・・。領民は困るでしょうが。
社会が人をつくり、人が社会をつくります。